表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/42

7.乙女心と、師匠の秘密



「はい、どぉぞ〜」


 言いながら、エルミナが大きな木のマグカップを差し出してくる。中には、温かな湯気をあげるなみなみに注がれたミルクココア。それが、彼女の一番の好物なのだという。


「ありがとうございます」


「ん」


 礼を言って受け取ると、エルミナは軽く笑ってみせた。それから、さっそくココアに口をつける。早く飲みたくて仕方がなかったらしい。


 材料は温めたミルクと、どこからともなくエルミナが取り出したガラス瓶に入ったココアパウダー。いつでもどこでもお気に入りの味が楽しめるように、魔術で粉末に変えたそうだ。


 チョコレートの香りが鼻腔をくすぐる。湯気を立てるココアは美味しそうだが熱そうだ。ふーふーと息を吹きかけて、慎重にマグカップを傾ける。途端、優しい甘さが口の中に広がり、セリーナはほっと息をついた。


 二人がいるのは、先程と同じリオの検査を行った小部屋だ。


 リオはまだ目を覚さない。検査は問題なく終わったが、少しだけ術式をいじったため目を覚ますのに時間がかかるらしい。


 それで、リオの目覚めを待ちがてら、甘いものでも飲んで休憩しないかと、エルミナがココアを用意してくれたのだが。


(エルミナ様、やっぱり素敵……)


 ぱっと目を引く美しい容姿に、抜群のプロポーション。そういった女性的な魅力はもちろんのこと、飾らない気さくさは接していて心地よい。自立した大人の女性。彼女ほど、この言葉が似合う人もいないだろう。


 そんな風に見惚れていると、紅い瞳がついとセリーナに向けられた。


「なぁに〜? 私に惚れちゃった?」


「い、いえ」


 すみません。そう続けようとしたセリーナだったが、その前にエルミナがにへらと笑み崩れた。


「いやぁんっ。てことは、私たちもしかして相思相愛? 紅の渓谷に連れて帰っちゃって良い? うちも大分大所帯になってきたけど、セリーナちゃんみたいな美少女ちゃんなら大歓迎だわ〜っ」


「え? あ、あの……!」


 突然の展開にセリーナは慌てる。するとエルミナは、あっけらかんと手を振って笑った。


「冗談よぉ、じょうだんっ。セリーナちゃんを連れ出したりしたら、本気のグレイフィールが紅の渓谷に乗り込んできそうだもの。まあ、もちろん? グレイとタイマン張ることになったら、全力で勝たせてもらうけども」


 そう言って、エルミナは不敵に微笑む。まさしく魔女といった微笑みだ。


 悠然と足を組み替えてから、「と、こ、ろ、で〜?」とエルミナはにんまりと唇を釣り上げた。何か嫌な予感がする。本能的にセリーナがそう思った時、彼女は爆弾を投下した。


「実際、グレイフィールとはどんな感じなの? 静かな森のお屋敷に二人でしっぽり、甘々な時間を過ごしているのかしら〜?」


「甘々、ですか?」


目を瞬かせて、セリーナは戸惑う。


「どなたと、どなたのお話ですか?」


「そりゃあもちろん、セリーナちゃんとグレイよ?」


「私とグレイ様がですか? なぜ甘々などと……」


「だって、二人は恋人同士なんでしょう?」


 しばしの沈黙。一拍後、ようやく何を言われたか理解したセリーナは、顔を赤くして勢いよく首を振った。


「ち、ちちちち、違います……! 何を仰るんですか、エルミナ様……!」


「だってぇ、そうとしか見えなかったわよぉ。グレイってば、めちゃくちゃセリーナちゃんを大事にしているっぽいし」


「よくしていただいています! していただいていますが、そういう関係ではなく……」


「えぇ~……? じゃあ、セリーナちゃんはどうなの? グレイのこと、何とも思ってないわけ?」


「っ、!」


 とくんと胸が高鳴り、セリーナはそんな自分に困惑する。動揺してしまったことを隠さなくては。なぜだか直感的にそう思って、セリーナは慌てて目を逸らした。


 ――だが、そうすることで、グレイフィールの美しい顔が瞼の裏に浮かんだ。


(グレイ様……)


 ぎゅっと胸を掴み、セリーナは眉を八の字に下げた。


 一体全体、本当に自分はどうしてしまったというのだ。


 この間から、本格的におかしい。……いや、気づいたのがつい最近だっただけで、ずっとおかしかった気もする。とにかく、グレイフィールのことを思うだけで満ち足りた心地になったり、反対にぎゅっと胸が痛んだりするのだ。


 グレイフィールは恩人だ。居場所を無くしたセリーナを連れ出し、新たな居場所を与えてくれた。婚約者に捨てられ、親にも見限られた自分がいま笑えているのは、彼が手を差し伸べてくれたから。そんな彼を尊敬しているし、慕っている。


 けれども、気がつくとグレイフィールの姿を目で追ってしまったり、彼が出掛けてしまうのを寂しく感じたり。エルミナのことにしたってそうだ。エルミナとグレイフィールが恋人同士だったのかもしれないと思うだけで、胸が締め付けられたり。


(こんなの絶対、普通じゃない……!)


ついに観念したセリーナは、力なく首を垂れた。


「…………じょ」


「じょ?」


「情緒不安定な部分があるのは、確かです」


「……………はい?????」


 正気を疑うような顔で、エルミナがぽかんと口を開ける。けれどもそれすら気づかず、セリーナは『告白』を続けた。


「グレイ様は恩人です。親にすら見放され行き場をなくした私に、手を差し伸べてくださいました。……そのせいでしょう。私は心の底であの方を親か何かと勘違いして、深く依存してしまっているようです」


「……え? うそでしょ? それ、本気?」


「ですが、それだけです。私はあくまであの方の弟子です。弟子としてお側にいられるだけで、充分幸せなのです」


 胸に手を当て、とことん誠実にセリーナは言い切る。なぜかエルミナは、それを呆気に取られたように眺めていた。だが、その一瞬あと、彼女はお腹を抱えて笑い出した。


「あ、あは、あはははは!! ひぃー……っ。待って、ムリ。嘘でしょ???? 今の子ってこうなの!?」


「え、エルミナ様?」


「あ〜、絶対違う。これ、セリーナちゃん限定よね。セリーナちゃんってば、ほんっっっっ……とーに、純粋培養なお嬢様育ちなのね………!」


 何を言ってるのか意味がわからない。わからないが、悪意なく馬鹿にされていることだけはわかる。


 だからだろうか。セリーナにしては珍しく、完全にツボに入って笑い転げるエルミナに食ってかかった。


「え、エルミナ様こそ、どうなのです?」


「どうって、何が?」


 涙を拭いながら、息も絶え絶えにエルミナが答える。幼児(おさなご)をあやすような眼差しにムッとしつつ、セリーナはここ数日の疑問――どころか、時には胸をモヤモヤしたもので覆った悩み――をぶつけた。


「エルミナ様とグレイ様は、恋人同士だったのでは?」


 エルミナが再びフリーズした。と思いきや、今度こそ机に突っ伏して、ひぃひぃいいながらエルミナは悶えた。


「も、もう、だめぇ……。ふ、ふふふ、ふ。死んじゃう……、笑いすぎて死んじゃう……っ」


「な、何がそんなにおかしいのですか!」


「だって……! 私とグレイが、恋人……っ!? ふふ、ふふふ、んふふふふ」


 ようやく笑いの波が治った頃。「あー、死ぬかと思った」と肩をすくめ、エルミナはあっけらかんと首を振った。


「ちがう、ちがう! グレイはね、昔、うちの工房にいたの。あの子が弟子で、私が師匠。無愛想で師匠のこともぜんっぜん敬わない、ほんっっっと可愛くない弟子だったのよ! もう随分前のことだけど」


「そうなのですか?」


「まぁね、魔術師としての才能はずば抜けていたし、そのくせ変なとこでおっちょこちょいだから、思い入れのある弟子ではあるけれど。我が工房の知と技を結集した魔術人形をプレゼントするくらいには、目を掛けているつもりだわ」


「魔術人形……。それって、リオさんとネッドさんのことですか?」


「そっ。二人とも、紅の渓谷が誇る力作よ。あそこまでの完成度を目指すのに、何か月もかかったんだから」


 懐かしそうに笑って、エルミナは肩を竦めた。


「グレイフィールってばあの体質じゃない? 死ねない、老いもしないってんで、ちょーっと荒れちゃった時期があってね。見てらんないから特別にプレゼントしたのよ。ひとりで腐って無駄な時間を過ごすくらいなら、弟子の二人くらい育ててみろ!ってね」


「死ねない、ですか?」


 初めて聞く情報に、セリーナは小首を傾げる。すると、エルミナは明らかに「しまった!」という表情をした。


「えぇ~っと、死ねないってのはね、そのね。……って、ま、セリーナちゃんならいっか」


 誤魔化し笑いとともに首を振ったエルミナだったが、すぐに気を取り直したように手を下ろす。そして、一転して真剣な表情で先をつづけた。


「……私たち3人――三大魔法使いが、普通のひとより長生きなのは知ってるわよね。長寿って意味ではみんな同じなんだけど、理由はそれぞれ違うのよ」


 紅き渓谷の魔女、エルミナ。水晶塔の白き賢人、カルヴァス。そして、ハズレの森の魔法使い、グレイフィール。この中で最も長寿なのが、エルミナだと言う。


 とてもそうは見えない魅力的な笑みと共に、彼女は肩を竦めた。


「私、体のあちこちをいじっているのよ。魔術とか色々使ってね。理由はねぇ、魔術の探求にひとの一生は短すぎるから。もっと生きたい、生きて魔術を極めたい。そんな風にいじくってきたから、今じゃ何がどうなってんだか自分でもさっぱりわからないわ」


 次いで年配なのは、水晶塔のカルヴァスらしい。彼については、セリーナも2度ほど見かけたことがある。水晶塔は女神を信奉する宗教寺院であり、何を隠そう、聖女マリナを異世界から召喚した機関だ。その指導者こそカルヴァスである。


「カルヴァスは……そうねぇ。祈りの力、とでも言えばいいのかしら。本人は信仰の奇跡とか言ってるけど。彼ね、ほとんどの時間を瞑想しているの。思念の世界で、世界の真理を追究しているのね。だから、普通のひとより時間の進みが遅いのよ」


 そしてグレイフィールだ。彼が一番の特殊例だと、エルミナは断言する。


「グレイフィールはね、理由あって精霊に魂の半分を奪われたの。以来、彼の時間は止まったまま。あの子は老いないんじゃない。老いることが出来ないのよ」


 セリーナは息を呑んだ。


 僕の時計は止まってしまった。そういえばテムトの祭りの夜、彼はそんなことを言っていた。あれは、そういう意味だったのか。


「精霊の名はカノア。ハズレの森のどこかにある、時の泉の(ぬし)よ。……グレイフィールは、ずっとカノアを探している。失った魂の半分を取り戻すために、ね」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ