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【閑話】魔法使いたちの夜


 まん丸の月が濃紺の空に浮かぶ夜。


 差し込む月明かりの下、グレイフィールは肘掛け椅子の上で大きなローブにくるまり、片膝を立てて座っている。


 彼の膝の上には、開かれた古い書物が一冊。その上には、天球儀のようなものがついた錆びたネックレスも乗っている。どちらも年期の入り具合からして崩れてしまってもおかしくなさそうだが、きちんと形を保っているのは彼の魔法によるものか。


 それらを眺めているはずのグレイフィールの琥珀の瞳は、しかしながらどこか遠く、別の場所を眺めているようだ。


 白い指が手書きの文字の上を滑り、止まる。長い睫毛を震わせグレイフィールが目を伏せた時。


 ばたーん、と。静謐な夜にふさわしくなく、扉が勢いよく開いた。


「じゃーん! お酒、持ってきたわよ〜!」


 ワインの小樽とグラスを手に、エルミナがテンション高く来襲する。すでに酒が回ってるのかと疑いたくなるほど上機嫌に現れた彼女に、グレイフィールは呆れた目を向ける。


 パタンと本を閉じ、ネックレスと共に机の引き出しにしまう。しっかりと鍵をかけてから、彼は憮然とした顔で肘掛けに頬杖を付いた。


「お酒、好きじゃないんだけど」





「頭は回らなくなるし、眠くなるし。何を話してるかわからなくなるし、気持ち悪くなるし。なんでそんなもの飲みたがるのか、僕にはさっぱりわからない」


 しかめ面をするグレイフィールの向かいで、エルミナがなみなみとワインを注いだグラスを思いっきり呷る。ごく、ごく、と見ていて気持ちいいほど、赤い液体が彼女の喉へと消えていく。


 ついに最後の一滴まで流し込んだところで、エルミナは「ぷは〜っ」と満足そうにグラスを置く。白い目を向けるグレイフィールに、エルミナはひらひらと手を振った。


「いやぁね〜、美味しいからに決まってんじゃな〜い。美味しくって気持ち良くって、さいっこうの娯楽だわ〜」


「その美味しさが、僕にはわからないのだけど」


「てことはぁ、あなたがまだお子ちゃまなのよ〜。んふふふ。もう数百年生きてるのに、グレイってばかぁわいいんだからっ」


 つん、と人差し指で宙を指す仕草に、グレイフィールの表情はますます渋いものになる。そっぽを向くグレイフィールに、新たなワインをデキャンタから注ぎながらエルミナはにんまりと微笑んだ。


「……にしてもぉ? 巷はハズレの森の魔法使いが動いたってんで大騒ぎよ〜。今回はちょーっと暴れたわねぇ」


 ゆらゆらとグラスを揺らすエルミナに、グレイフィールはちらりと視線を向ける。すぐに興味をなくしたように目を伏せると、彼は面倒そうに吐息をついた。


「そうかな。弟子をひとり、迎えただけだよ」


「その弟子を守るために、一国の王とその部下をどやしつけたくせによく言うわ〜」


「……どやしてはない。わかりやすく話をしただけだ」


「ふふふ。わかりやすく、ねぇ」


 くすくす笑って、エルミナはしどけなく椅子の背にもたれた。


「ここに来る前にこっそりスディール国を覗いてきたんだけど、それはそれは愉快な様相だったわよぉ。例えるならそうねぇ、終わらないお葬式を眺めてる気分だったわぁ」


 それはそうだろうと、グレイフィールは肩を竦める。


 優れた魔術師――魔法使いと呼べるクラスの魔術師をどれほど抱えられるかが、そのまま国力に反映される世だ。特にスディールは水晶塔が古くからあることで、魔術への信仰が厚い。そんな中、どこの国とも親交のないグレイフィールが突然王城に姿を見せたのだ。それはもう、期待に舞い上がったことだろう。


 しかし、その期待は最悪の形で崩れる。グレイフィールが手を差し伸べたのが、よりによって王子からの婚約破棄という憂目にあっていた悲劇の令嬢、セリーナ・ユークレヒトだったことで。


 表面上は円満に解消されたセリーナと第一王子の婚約だが、実際には王子がセリーナとの婚約中に聖女と関係を持ち、王子から一方的に婚約解消を迫ったのだ。これは、いわば公然の秘密である。


 王は慌てた。ハズレの森の魔法使いは、どういうわけかセリーナ・ユークレヒトを気に入ったらしい。その彼女を王子が――ひいては王国が冷遇してしまった。その事実を、ただちに挽回しなくてはならない。


 けれども、講じた策はすべて失敗に終わった。それどころか、ユークレヒト大臣を通じて王国とグレイフィールの間を取り持つようセリーナに働きかけたことで、グレイフィールのさらなる怒りを買ってしまった。


 この失態の責を誰が負うのか。当然、そういう話になる。


「やり玉に上がったのは第一王子よ〜。彼は王位継承権が剥奪されて、田舎城に飛ばされるんですって。それでも諸侯からの糾弾が収まらなくて、スディール国は大混乱よぉ。頼みの水晶塔も王子を見捨てたわ。聖女を糾弾から守るためでしょうねぇ、王子とマリナ・アカギリの結婚をなかったことにしたみたいっ。ふふふ。失脚して〜、失恋して〜、ステファン王子ってばほんっっっとかわいそーにね?」


「……思ってないね? 声と表情がめちゃくちゃだよ」


「やあね、当たり前じゃないっ。浮気よ〜? しかも、あーんな可愛くて繊細で清らかな美少女を泣かせるだなんて、男の風上にも置けないわ」


「完全に主観じゃないか」


 美少女、および美少年にとことん甘い。そういえばエルミナはそういう人物であったと、今更のように思い出す。


 呆れた顔で、グレイフィールは水差しに手を伸ばす。自身のグラスに水を注いでいると、エルミナが「けど、」と目を細めた。


「あなたも、あなたよねえ。セリーナちゃんの実の父からの手紙、ぜ~んぶ王国に突っ返したそうじゃない。セリーナちゃんは、そのこと知ってるのかしら~?」


 ぴたりと、思わずグレイフィールは手を止めた。ややあって、彼は不機嫌そうにエルミナに視線を戻した。


「あんなもの、セリーナが目を通す必要ない。連中は彼女を利用しようとした。彼女を捨てたくせにだ。だから突き返した。間違っているか」


「間違っちゃいないけど……。あの子って責任感強そうじゃない。後で色々知ったら、自分のせいで故郷がめちゃくちゃになったのに何も出来なかったって、自分を責めちゃうんじゃないかと思って」


「その心配はない。僕が教えないし、誰にも教えさせない」


 エルミナは苦笑し、足を組み替えた。


「すーごい自信。さてはあなた、ほかにもセリーナちゃんに隠しているものがあるわね?」


 やはりお見通しかと、グレイフィールは頬杖を突いた。


 ――もちろん、ある。セリーナの元婚約者の第一王子、ステファンからの手紙だ。


「……あれこそ、最も見るに堪えないモノだった」


 ゆらりと、グレイフィールの影が蠢く。それを鎮めようともせず、グレイフィールは強く顔をしかめた。


 王子からの手紙は、彼個人が極秘に送ったものらしい。中には、婚約解消をしたことへの後悔と謝罪、そして懇願がびっしりと書き連ねてあった。


 セリーナと婚約解消をしたのは、自分の本意ではなかった。マリナが聖女として安定し、その役目を全うできるようになったら、改めてセリーナを正統な王妃として迎える予定だった。行き違いがあったことを許して欲しい。自分を許し、戻ってきて欲しい――。


 その先は知らない。気が付けば、手紙は手の中で燃えていた。


 以来、ステファンからの手紙が届くと、グレイフィールは目も通さず処分している。


「セリーナは自由の身だ。もう誰にも、彼女を利用させない」


 君が、この世界のどこかで幸せでいるのなら。一度はそう、身を引くことを選んだ。


 けれども再び二人の道が交わるなら。――彼女が自分と、生きてくれるというのなら。


「彼女を傷つける者を、僕は許さない。たとえ世界を敵に回しても、僕が彼女を守る」


 ぶわりと、魔力が膨れ上がる。薄闇の中、琥珀色の瞳がまるで夜空に輝く月のようにぎらぎらと輝いた。


 ようやくそれらが収まったとき、エルミナはグラスを手に眉をくいと上げた。


「ねえ。グレイにそこまで言わせる、セリーナちゃんって何者?」


 グラスを手に取り、傾ける。ごくりと一口水を飲んでから、彼は涼やかに整った顔をエルミナに向ける。そこにはもう、先程のトゲはない。


 いつも通り平坦に、何事もないように彼は答えた。


「セリーナは、セリーナだよ。健気で可愛い、僕の大事な弟子だ」



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