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1.婚約破棄されたら魔法使いに拾われました。


「親愛なるセリーナ。君は私の――私たちの幸せを、心から祝福してくれるね?」


 さざめくホール。


 全身に無数の視線が突き刺さるなか、公爵令嬢セリーナ・ユークレヒトは僅かに顔を上げた。


 灰色がかった銀の髪に、淡い紫の瞳。身に纏うブルーグレーのドレスから覗く白い肌は、いっそ青白いと言えるほど。美人だが、翳りのある印象を与える少女だ。


 対して彼女の前に立つのは、まさに光。


 輝く金色の髪に、柔らかな笑みを浮かべた優しい顔立ち。ずば抜けた美男子というわけではないが、明るく朗らかでサービス精神もある彼を、国民の多くが好いている。


 そんな第一王子、ステファンは、繰り返すように続けた。


「セリーナ。君は私の幼馴染であり、一番の友だ。この佳き日に、私は君とこそ喜びを分かち合いたい。祝福してくれるね、セリーナ」


 穏やかな微笑みには、これっぽっちも悪意がない。それでもセリーナは、刺すように胸が痛むのを感じた。


 セリーナとステファンは、数週間前まで婚約していた。


 ステファンは王位継承権を持つ第一王子。そしてセリーナは、王家に次ぐ名声を誇るユークレヒト公爵家の令嬢。言わずもがな、親同士が決めた政略結婚だった。


 だが、その関係は突然ステファンから打ち切られた。理由は、いままさにステファンと共にセリーナの前にいる少女、マリナのためだった。


 マリナ・アカギリ。彼女は異世界から来た聖女だ。


 聖女というのは女神が遣わせる巫女のようなもので、彼女はニホンという世界から来たらしい。エキゾチックな黒髪に幼さの残る顔立ちで、セリーナとは対照的に明るく無邪気で、太陽のような笑顔の少女だ。


 この世界とニホンでは、色々と勝手が違うらしい。戸惑うマリナを、ステファンは献身的に支えた。そして二人は、恋に落ちた。


〝マリナはこの世界に馴染みがない。聖女という役割を押し付けられ、大きな不安を抱えてるんだ。誰かが彼女を支えてやらなくちゃ。マリナには私が必要なんだ〟


 セリーナに婚約の解消を持ち掛けたとき、ステファンはそう話した。


 ――何が支えだ。何が義務だ。単に、ステファンはマリナに惚れたのだ。


 セリーナは知っている。表向きはマリナのサポートとしておきながら、二人きりで何度も逢瀬を重ねていること。セリーナには一度も向けたことがないような、愛おしげな眼差しを常に彼女に向けていること。


 聖女の保護という大義名分を盾に、自由で愛らしい想い人を手に入れたい。それだけの話。


 だが、セリーナはすべてを飲み込んだ。飲み込んで、理不尽な婚約解消を受け入れた。


 だって仕方がないだろう。セリーナはそういう風に育てられた。


 国王の良き妻であり、王国の聖母であり。王の第一の僕として支え、従い、まるで太陽に寄り添う月のように王国を照らす。


 ――ユークレヒト家は名家だ。もしセリーナが受け入れなければ、王国にどれだけの混乱がもたらされるだろう。その混乱はどれだけの火種を生み、結果、どれほどの国民が血の涙を流すこととなっただろう。


 未来の王妃として育てられたセリーナには、それが痛いほどよくわかった。だからこそ、彼女は黙って頷いた。


 無力な自分には、それしか方法が思いつかなかったから。


「……ステファン様、マリナ様。ご婚約、誠におめでとうございます。お二人の晴れやかなお姿を見て、私も嬉しゅうございます」


 瞳を伏せたまま、おそらくはこの場に最もふさわしいと思われる言葉の羅列を、セリーナは淡々と唇に乗せる。たったそれだけなのに、本日の主役らしく華やかに着飾ったマリナが、ぱっと笑顔の花を咲かせた。


「ありがとう、セリーナさん! 私、セリーナさんとはこれからも……っ」


「おいで、マリナ」


 声を弾ませるマリナを宥め、ステファンがすいと前に出る。彼女に向ける愛おしげな目線に、セリーナは人知れず唇をかみしめる。


「先に式典を済ませてしまおう。セリーナとの時間は、後でゆっくりと取るからね……。ありがとう、セリーナ。ここでまた会おう」


「仰せのままに、殿下」


 ついと膝を折るセリーナに背を向けて、ステファンとマリナは赤いカーペットの上を歩き遠ざかる。これから観衆が見守る中、二人の結婚の儀を執り行うのだ。


 くすくす、くすくすと。微かに草木が揺れるように、密やかな笑いがどこからともなく起こる。


 惨めなお姿。聖女に王子を取られて。華やかさが足りないから。陰鬱な娘。よく公の場に出てこられた。王家に頼まれたに違いない。父君の意向かも。不参加だと角が立つから。円満解消をアピールするために。それにしても、なんておいたわしい。


 ああ。可哀そうな、セリーナ様。


 周りからは見えないよう、セリーナはぎゅっと左手を掴む。息が詰まり、足が震えた。


 この結果を招いたのは自分。こうなるまで何も出来なかった、無力で無能な己のせいだ。わかっていても、胸が苦しくなる。惨めで虚しくて、目の前が真っ暗になる。


 未来の王妃としてステファンと結ばれる。それはセリーナの使命であり、すべてだった。


 ユークレヒト家の、さらなる発展のために。そんな父の野望と期待を、セリーナは一身に背負ってきた。その期待に応えることこそが正しいのだと教え込まれ、ただただ王妃となるためだけに、セリーナはこれまで生きてきたのだ。


 けれども、セリーナは選ばれなかった。これまで彼女が健気に積み上げてきたものは、「愛」という不確かで曖昧な――それでいて強大な存在を前に、脆くも砕け散ってしまった。


 わっと歓声が上がる。ステファンとマリナが、司祭の待つ壇上に到着したのだ。嬉しそうに笑顔で迎える王と、その後ろに側近として控える父。父は一瞬だけセリーナを見たが、すぐに柔和な笑みを讃えてマリナの手に口付けた。


 ああ、父からも見限られたのだと。一瞬、他人事のように思う。ほどなくして、髪と同じに色素の薄いまつ毛を震わせ、悔し涙に滲んだ瞳を俯かせた。


 自分の全てを捧げてきたのに、残ったのは無力で空っぽな自分だけ。悔しくて、情けなくて、セリーナは何度も自問した。


 これからどうすればいいのだろう。何のために生きていけばいいのだろう。


 ここにはもう、セリーナの居場所はどこにもないのに。




 その瞬間、華やいだ聖堂の一角に、影がどっと舞い降りた。




「――なるほど、なるほど。これはまた、煌びやかな式が開かれている」


 ……一瞬、セリーナは何が起きたのかわからなかった。壇上で幸せそうに向き合うステファンとマリナの姿は掻き消え、視界に広がるのは黒い影のみ。何者かに目元を覆われたのだと気づいたとき、先ほどと同じ声が再び頭上から降ってきた。


「いつもと同じに無視を決め込もうかと思ったが……。これほど見ごたえがあるのなら、わざわざハズレの森から出てきた甲斐もある」


 ハズレの森。耳慣れない、それでいて忘れようもない名称にセリーナが眉根を寄せたとき、人々が騒ぎ始めた。


「ハズレの森だって……?」


「待て。あの姿……っ」


「グレイフィール様!?」


 叫んだのは王だった。目を塞がれたままだったから詳しくはわからなかったが、おそらくは声の主を見て飛び出してきたのだろう。何者かの手が動いてセリーナの視界が戻るのと、壇上で結婚式を見守っていたはずの王が目の前に駆け寄るのとがほぼ同時だった。


「グレイフィール様……っ。ああ、まぎれもなく貴方だ。我が城に来ていただけるとは、なんたる光栄! どれほど、貴方にお会いできる日を夢焦がれたか……っ」


 セリーナはそっと後ろを振り返り、目を瞠った。


 肩にかかる青みがかった黒髪と、陶器のような白い肌。涼しげな目元から覗く琥珀を溶かし込んだような金色の瞳と、すっと通った鼻筋。彫刻のように引き締まった肢体を包む、影のように揺らめく濃紺のローブ。


 直接見るのは初めてだが、間違いない。圧倒的なオーラを身に纏い、伝承に聞くのと寸分違わぬ美しい姿をしたその人は、ハズレの森の偉大なる魔法使い、グレイフィールだ。


 魔法使いとは、魔術を極限まで究めた者だけがたどり着くことが出来る、常人とは一線を画した存在だ。中でも数百年を生きる三人の賢人を三大魔法使いと呼ぶ。グレイフィールは。その一人だ。


 にも拘わらず、グレイフィールは滅多に現世と関わらない。彼が姿を見せるのはもっぱら精霊たちが住まうハズレの森の中ばかり。時の権力者たちは、どうにかグレイフィールの懐に入れないものかと代々やきもきしてきた。


 そんな魔法使いが、なぜここに。


「なるほど、なるほど」


 まるで王の声が聞こえなかったように、グレイフィールは繰り返した。


「第一王子の結婚の儀、だったか。これほど盛況なのも頷ける。しかし、しばらく見ないうちに流行りも変わったものだ。十年経てば、それも当たり前か」


 首を巡らせ、周囲を観察しているような気配がする。と、そこで、グレイフィールは壇上に目を留めた。


「……しかし、妙だな。記憶が正しければ、妃となるのは彼女のはず」


 どきりと、セリーナの胸は跳ねた。彼女、と口にするとき、セリーナの肩に置かれたグレイフィールの手にわずかに力がこもったからだ。


 それまで満面の笑みを浮かべていた王の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。


 なぜ、ハズレの森の魔法使いが、王子の元婚約者を気にする。ちらりとセリーナを窺いつつも、グレイフィールの不興を買いたくない王は慌てて弁明しようとした。


「グレイフィール様、これには少々訳がありまして……」


「なるほど、なるほど」


 またしても王の声を聞き流して、グレイフィールは低く澄んだ声で独り言ちる。


「王子は彼女を捨てたのか」


 ぞっと、空気が凍るのをセリーナは感じた。


 壇上にいるステファンと目が合う。おそらくセリーナの背後で、グレイフィールもそちらを見つめているのだろう。怯えと戸惑いを浮かべ、それでも庇うようにステファンがマリナの肩を抱いたそのとき、グレイフィールがふっと小さく笑った。


「ならば遠慮はいらない。セリーナ・ユークレヒトは、僕が貰う」


 砂が擦れるような音がして、ローブが広がる気配があった。思わず振り返ったセリーナは、金色に輝く一対の眼差しと視線が交わった。


 月のように美しいその瞳は、思いのほか優しかった。


「ここに残るか、僕と行くか。決めるのは君だ。強制はしない」


 セリーナにだけ聞こえるよう、グレイフィールは囁く。


「けれども、何かを変えたい。そう願うなら、決断すべきは今だ」


 その言葉はまるで魔法のように、セリーナの心の中に一筋の光を照らした。


 セリーナは首を巡らせて壇上を見た。そこには、唖然としてこちらを眺めるマリナと、その肩を抱きつつも必死に首を振るステファンの姿がある。王子の目は、行くなと強く叫んでいた。


 王太子妃であったなら、セリーナはそれに従っただろう。これまでだってそうしてきた。王子に従うのが、未来の妃として正しいのだと信じて疑わなかったから。


 けれども、ステファンが選んだのはセリーナではない。マリナだ。婚約者に捨てられ、親に見放され、セリーナの居場所はこの国のどこにもない。


 ――このまま、ここにいたって。


「……いい子だ」


 気が付けば、セリーナは差し出された手を取っていた。切れ長の目を細め、グレイフィールはそっと包むこむようにセリーナの手を握った。


「目を瞑っているといい。慣れぬ者には、少々刺激が強い」


「セリーナ!」


 言われた通りセリーナが瞼を閉じるのと、ステファンが叫ぶのとが同時だった。




 次の瞬間、魔法使いとセリーナの姿は、人々の前から忽然と消えたのだった。


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