新・アリとキリギリス
童話「アリとキリギリス」の新解釈
ある草原の外れに放浪の旅の末に辿り着いた流れ者のキリギリスが佇んで居ました。そのキリギリスは、必要最低限の荷物が入ったバックパックが一つと片脇にバイオリンを抱えているだけの軽装でした。
キリギリスは路上ミュージシャンです。思うがまま、自由な旅を続けて移動し、居心地が良い場所を見つけては暫く滞在し即興でバイオリンを演奏して、集まった聴衆からの僅かなチップでその日を暮らす気ままな生活です。
この日も新たな土地で早速楽器を奏で始めると、多くの動物たちがその音色に惹かれて足を止めて聴き入って居ました。その大勢の聴衆の前でキリギリスは得意な面持ちで、見事な音楽を奏でていました。
すると、集まった聴衆だけで無く、辺りの咲き誇る花々や緑溢れる木々にとまっている鳥たちでさえも自ら唄う事も忘れてうっとりとした表情で聴き入り、メロディーに合わせて躰を左右に揺らしていました。
しかし、その素晴らしい音楽に耳も傾けず、黙々と地面を這い図周り自分の躰より大きな荷物を運ぶ1隊が有りました。
それは、「働きアリ」さんたちでした。
大汗をかきながらただひたすらに重そうな荷物を長い時間を掛けてせっせと巣の中へと運び込みます。そして再び巣の外へと出て来てくると、又遠くへと出掛けて荷物を持ち上げ、運ぶことを繰り返します。その隊列は数百匹にも及んでいます。
キリギリスはそのアリさんたちの方へ向き、高度なテクニックも駆使して懸命に楽器を演奏しましたが、アリさんたちは全く表情も変えず、見向きもしませんでした。
拍手喝采の中で演奏を終えた後、キリギリスはそんなアリさんに近づいて話し掛けました。
「どうして君たちはそんな必死に働いているの?」
でも、その問いかけに誰一人振り向くこともなく、返事もありません。そこで、今度はその内の一匹の肩に手を掛けて尋ねました。
すると、そのアリはようやく歩みを停め、無表情のままで一言答えました。
「僕達は全て女王様の命令で動いています。僕達は働くことが生き甲斐であり、ある指令を受けています。
その指令とは、女王様に生涯を掛けて尽くす事であり、女王様がより強い遺伝子と子孫を遺す事が出来るようにと、より美味しい食べ物を見つけてそれを女王様に捧げて食べて頂くように運んでいるのです」
そう言うと、彼は再び隊列に加わり、無表情のままアリの巣へと荷物を掲げて向かって行きました。
その姿を唖然とした表情で見送ったものの、キリギリスは近くにあった小石に腰掛け、辺りを見回しました。
「良い草原だなあ」…
キリギリスは、この草原を大層気に入り、暫くの間この土地に腰を落ち着ける事を決めました。翌日も、そしてその次の日も同じステージで演奏を続けました。キリギリスは、いつしか街の人気者となり、草原に住む誰にも名前が知れ渡っていきました。しかし、アリさんたちは、相変わらず演奏に耳を傾けることもなく毎日せっせと大きくて重たい荷物を運んでいる日々でした。
ある日キリギリスは、再びアリさんに尋ねました。
「そんなに毎日ひたすらに働いて、休日はどう過ごしているの?」
するとアリさんは面倒くさそうに答えました。
「僕達に休日は有りません。どうして休まなくてはいけないのですか?」
「休みも無いの?毎日そんなに働いて何か楽しい事は有るの?」
「楽しいってどんな感じのことですか?。僕は働く為に生きている。働くそのものが人生(いや、アリ生かな)だ!他のことは何も考えていない」
その応えを聞いて、キリギリスは呆れて更に尋ねました。
「でも、アリさん。恋人は居ないの?たまにはデートしたり、結婚して家族と出掛けるとか、考えないの?」
すると、アリさんは歩くのをやめ、荷物を一旦降ろして答えました。
「僕達は恋も結婚もしない。遺伝子を残すのは女王様と、僕達とは違う『兵隊』と呼ばれるメンバーの中から選ばれし一匹のオスだけです。しかも、交尾を終えるとそのオスは女王様に殺されて食べられてしまいます」
それを聞いてキリギリスは言いました。
「そんな一生の何処が楽しいんだ。恋もせず、家族も持たず、ただ働くだけの一生だなんて」
「アリにはそれぞれ役目が別れていて、それがこの世に存在する意義でも有るのです。僕達には働くことが生き甲斐とインプットされています。感情も持ちません。生き方や仕事に疑問を持つことも、変えることは出来もしない。なので与えられた職務を全うするだけです」
「それで一生を終えて、君たちは満足できるのか?」
「生きる満足と言う言葉を知りません。僕達はクローンなので、自我も無い。メンバーの誰かが倒れても代わりはいくらでも居る。愉しみも悲しみも感じることなく死んだら土に帰るのみです。なので消耗品と同じ。より強く働く若い者がその後を引き継いでゆくだけ」
その答えを聞いてキリギリスは、ただ呆れるだけでした。
ここで、ただ質問に答えるだけだったアリさんは反撃に転じました。
「それよりも、君は毎日ただ楽器弾いて遊んでいるだけじゃないか。働きもせず、将来の為の何の貯えもしないじゃないか。そんなぐーたらな生き方で後悔はしないのか?」
アリはそう言い放つと、再び荷物を背負い上げて隊列に戻って歩き始めました。
キリギリスは、少しだけ間を置いたあと、歩き出したアリさんの後方から言いました。
「君の口から『将来』って言葉が出るとは思わなかった」
その言葉を聞いて、アリさんは、一瞬足を止めましたが、再び何事も無かったようにいつものリズムで歩き去って行きました。
キリギリスは、少し考え込みましたが、
「やっぱり、僕は僕らしくクールな一生を貫こう」そう決めました。
ある日のこと、キリギリスは、いつものステージで演奏をしていると、集まる聴衆の後方にとても可愛いキリギリスの娘が草の陰から観ている事に気が付きました。その娘はその後、毎日のようにキリギリスの演奏を聴きに来てくれました。キリギリスは、思い切って演奏終了後にその娘に声を掛けました。彼女は恥ずかしそうに俯き、緊張しながらも可憐な笑顔で応えました。2人はやがて恋に堕ち、結ばれました。その彼女が居心地の良さそうな草のベッドの上に卵を産み付けた頃、暖かだった季節は過ぎ去ろうとしていました。そして…
キリギリスは、ある日の昼下がり、ステージで演奏中に突然倒れてしまいました。年老いて、寿命が尽きようとしていました。彼のファンは、ステージを囲むように集まってきました。でも、お別れの時が近づいていました。
彼は、掠れる声で言いました。
「短い一生だったけれど、みんなのお陰で素敵な一生だったよ。ありがとう」
そう言い残して、彼は直に産まれてくる子供達の顔も見ること無く息を引き取りました。
アリさんは、相変わらずせっせと働いていましたが、キリギリスが亡くなった事は話で伝わってきました。アリさんは、「思いっきり遊んだ一生に満足出来たのかい?」と、一瞬思いましたが、直ぐに仕事に戻り、無表情で荷物を運びました。
やがて、そのアリさんにも寿命が尽き、路上で倒れてしまいました。しかし、周りの他のアリは、一瞥を送っただけで、倒れたアリさんの事を気遣うこともなく表情も変えずにせっせと荷物を運び続けます。そして一匹の若いアリが来て、倒れたアリさんの荷物を代わりに背負って運び去って行きました。そして、間もなく孤独の中でアリさんは、息を引き取りました。
…皆さんは、アリさんとキリギリスの、どちらの一生がお好きですか??…
~おしまい~