4 戻れません
・前回のあらすじ
女になってたけど、適当な言い訳でなんやかんや誤魔化した。
カゲが女だったり、そのせいでクリスに斬られかけたりと色々あったが、すったもんだの末どうにか一日が終わった。
俺がため息をつきながら日課である剣の手入れを終え、男部屋に戻ると、素顔を晒したままのカゲが机で帳簿をつけていた。
(……やっぱギャップあり過ぎるよな、あんまり喋らなかったけど、声とか普通に男だったし。アレも忍術の一つだったのか? 恐るべきニンジャ隠蔽能力……)
魔法灯に照らされた白く美しい横顔。机の上で文字に視線を走らせる、縞瑪瑙のように優しげな瞳。この国ではあまり見ない黒色の髪は、流れるように滑やかだ。
見れば見るほど、冒険者のような荒事が似合うようには思えない。確かに穏やかな性格ではあったが俺はもっとこう、名領主に仕えていそうな、常に冷静な感じの、仕事の出来る役人っぽい男をイメージしていたのだ。こんな美人だというのは予想外に過ぎる。
これならキモノだかユカタだかを着て、ジパングの姫とでも紹介された方がよほど信じられるだろう。
くるり、と髪を靡かせながらカゲが俺の方を振り向いた。肩にかかる程度の黒髪が、魔法灯の光をわずかに反射する。
「……ロイド」
「お、おお」
「今日使った紅魔石、いくらでしたっけ」
「あー、十七銀貨、だな」
「了解」
カゲは短く返事をして、帳簿に文字を書き連ねていく。
記された文字はアトランティス語の混じったジパング語だ。ジパング語はレインにしか読めないので時々面倒なこともあるが、カゲは学院出のレイン以上に数字の計算が早い。最近は読み書きの練習も兼ねて備品の管理を行っている。
「終わったので、風呂に入ってきます」
ペンを置き、カゲが部屋を出ていく。
カゲは冒険者のくせに潔癖で、拠点にいる間はほぼ毎日風呂に入っている。
水はレインが魔術で出すとはいえ、沸かすための手間は馬鹿にならない。神経質なヤツだと思っていたが、顔が分かると納得の感情しか出てこなかった。
「うーむ……」
顎に手を当てて唸る。クリスにもああ言ったし、特におかしなことをするつもりもないが、どうにも対応に困る。
「……まあ、その内慣れるだろ」
細かいことは気にしないのが冒険者だ。俺は適当に寝る準備を済ませ、ベッドに倒れ込み目を瞑った。
――が、それから体感で二時間後。真っ暗になっている部屋で俺は静かに目を開けた。
ガキの頃路上で生活していた俺は、眠りながらの警戒に慣れ切っており、ちょっとしたことですぐに目が覚める。冒険者としては便利な資質だ。
それでも普段なら多少の物音は無視するし、カゲが部屋の仕切りの向こうでゴソゴソやっていてもそのまま寝るのだが、今日ばかりは違った。
「あん、ふっ、んんっ……!」
「…………」
何やってんだアイツ。
仕切りの向こうから聞こえてくる嬌声。やたらと初々しいそれに反応し、下半身に血が集まる。いかん、鎮まれ。
いや、カゲは俺と違って花街にいかないので、時々夜中に処理していることは知っている。それでも普段はもっと静かだったはずなのだが。
「あっ、これ、やば、いぃ……! 頭おかしくなるぅ……!」
ジパング語なので何を言っているのかはわからないが、大体想像はつく。つーか、一人なのに盛り上がり過ぎだろ。普段は全然喋らねえのに。
もしかして、今まで気にしてなかっただけで夜のカゲはいつもこんな感じだったのだろうか。くそ、もっとしっかり聞いておけば――いや違った、そうじゃない。
「(俺、もしかして今日からずっとこれ聞いて寝なきゃならんのか……?)」
……しばらく寝不足になるな、これは。
俺はそのまま悶々と夜を過ごし、カゲが夜明け前に部屋を出ていったあたりで気を失うように眠りについた。
※
俺はいつもの忍者装束を着て、夜明け前にこっそりと拠点を出た。
昨夜はどうせ解呪してもらうのだからと思って色々とやってしまったが、まあ……うん、すごかった。まさか男と女であんなに違うとは……。
夢中になり過ぎて途中から声が出ていたような気も……いや、流石にそれはないか。エロ漫画じゃあるまいし。
そんなことを考えながら、ちょうどこの街に来ている顔馴染みの聖女がいる教会へと向かう。
まだ夜が明けたばかりだというのに、教会の中では金髪の少女が甲斐甲斐しく掃除をしていた。
彼女は俺の方を向き、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「おはようございます、私に何か……」
「……」
俺は、無言で被っていた頭巾を取った。
一瞬の困惑。しかし、次の瞬間彼女はハッとした表情を浮かべ――爆笑した。
「も――もしかしてあんたですか!? あっはははは! 超ウケる! え、なんですかそれ、まーた愉快なことになってますねえ! あ、ごめんなさい、ちゃんと診るので安心してください、ええ」
俺の顔に青筋が浮かんでいるのでも見たのか、聖女は慌てて鑑定魔術で俺の状態を診察し始める。
そして、一通り見終わった後、ニッコリと笑みを浮かべてこう言った。
「無理ですね、これ」
「は……?」
彼女の名は聖女アウラ。このアトランティス王国の守護神ポセイドンを信仰し、神官としての高い能力と、精霊のように儚げな美貌、それでありながら常に庶民に寄り添う理想の聖女は、悪ガキのような笑顔でくつくつと笑う。
「とんでもなく強力になってますもん、この状態異常。並の勇者のスキルならともかく、ここまで複雑化したものは無理です」
そんな馬鹿な。アウラはこの国でもトップクラスの神官だ。普通の神官じゃどうにも出来ないこのスキルを解呪したこともあるのに……
「まあねえ。ボク以上の腕利きなんか、国の中央都市でも一人か二人ですか。何か魔法威力を増幅させるようなスキルでも使われたんですかね?」
人の心に聡い彼女は、口に出していない俺の思考を見抜いたように返答する。ご愁傷様でーす、と言いながら、満面の笑みで椅子の背もたれにもたれかかった。
「それにしても可愛いです。ジパングの乙女、って感じ。ボクに匹敵するやもわかりませんねこれは」
薄い金髪に銀の瞳、白絹のような美しい肌。全体的に色素が薄く、純白の法衣と混じってしまいそうなほど儚げに美しいアウラは、興味深そうにこちらを見ている。
「でもまさか、カゲヒトさん自身が女の子になっちゃうとは思いませんでしたよ」
俺を本名で呼ぶアウラ。四年ほど前からの顔見知りである彼女は、かつて孤児だった少年だ。
本名はアウル。神官としての高い素養があったにも関わらず、奴隷だった頃押された焼印のせいで神殿に仕えることが出来ないでいた。で、俺が例のスキルを使ったところ焼印が消え、その後優秀なシスターとして頭角を現した。現在は民衆からの圧倒的支持を獲得し、聖女としてその名を世に知らしめている。
「楽しいですよー、この身体。ボクなんかは一応神職なんであんまり変なこと出来ないですけど、それでも顔が良いだけでお布施なんかはガッポガッポですよ、ふへへ」
おい聖女。
「言っときますけどボクの懐には一銭も入りませんからね? ぜーんぶ慈善事業の活動費です。質素な生活してんですよこれでも」
確かに、それは見ればわかる。アウラは身綺麗にこそしているが、法衣なんかは長く使い込まれた跡が見えるし、他に身につけている物も、お洒落に着こなしているだけでよく見ればお手製感が溢れている。その辺も庶民に人気がある一端だろう。
「それに、貧乏人からは巻き上げませんよ、悪徳貴族とかから搾るんです。昔は教会の上層部って貴族と癒着してドロッドロに腐敗してたんですけど、今となっちゃ上層部の悪どいオジサマ方全員ボクにメロメロなので。全く、チョロいもんだぜ」
やってることは正しいと思うのだが、どうにも俗っぽい。人前じゃちゃんと聖女やってるのは知っているけれども。
「ともかく、現状ではどうやっても無理ですね。ポセイドン様に魔力を分けて頂ければ何とか。来月の末は星座の並びが良いですし、儀式の準備を整えれば降りてきてくれるはずです。まあ……ちょーっと諸経費が嵩みますが」
そう言って、アウラはいつの間にか弾いていた算盤を見せる。
そこに示された値段は、冒険者としてそれなりに成功している俺でも顔が引きつるほどだった。
「でもこれ、こっちの利益ほぼ無しですからね。マジで降神して頂こうと思ったら触媒めっちゃ必要ですし、相当良心的な価格です。最近はボクのおかげで教会も貧乏――もとい清貧なので、払ってくれないと泣きますよ。信者の皆さんの前で」
「払うからやめて」
今回の迷宮攻略で得た財宝もあるし、一ヶ月あれば金はどうにかなる。俺はしっかりと書面で契約し、教会をあとにした。
※
拠点に戻る。髪が伸びたせいで蒸れる頭巾を外し、俺はふうと息をついた。
「……あ、今は顔を隠す必要ないのか」
佐藤影一を追っている貴族の目を欺くために着けている忍者頭巾だが、今の顔では流石に俺とはわからない。ある意味完璧な変装だ。
しかし、困った。一ヶ月このままというのは色々とまずい。
昨日は身体が戻ったら幻惑系の忍術で誤魔化そうと思って適当なことを言ってしまったし、レインにはいつ何をされるかわからない。
いや、レインとだったら別にいいって言うかむしろしたいんだけど、この状態でするのは……
「やっぱり、なんか違うよな」
「何が違うって?」
「だって、見た目だけ求められてもなあ。中身を重視してほしいっていうか……」
それにレインのことは男として好――そこで、俺はばっと顔を上げる。目の前には、部屋着姿のレインが立っていた。
「おかえり、カゲ」
「た、ただいま……」
「どこ行ってたのかしら、まさか花街になんて行ってないわよね?」
「教会で、解呪してもらおうかと……」
「ま、カゲならそんなところか。その様子じゃダメだったみたいだけど」
そう言いながら艶やかな手つきで伸びてくるレインの指先を、俺は忍者的反射神経でさっと躱す。
……これ、一ヶ月後に解呪してもらうこと言わない方がいいな。妨害されそうだし、黙ってよう。
「カゲ? 大人しくしなさいよ、あいつらに誤魔化したりするの、手伝ってあげるから」
「断る。大体、仲間同士でやったらクリスに殺されるって昨日のでよくわかっただろ」
「あら、私はあくまで女の子同士としてのスキンシップしかするつもりはないのだけれど。……今のところは」
おい、最後小声でなんか言わなかったか?
「それに、その身体で今まで通り戦えるの? ううん、戦いだけじゃないわ、生活だってままならないでしょ?」
「ぐ……」
「ほら、ね? カゲが嫌なら、どうしても必要なことだけしかしないから」
「……わかった」
普通の肉体の性差だけでなく、この世界には男性しか使えない能力や女性にしか持てない武器など、俺の常識が全く通用しない男女の差というものがある。
昨日の一件で「心は男」ということになっているとはいえ、それでも知らなければおかしいことは多々あるだろう。俺はレインに向かって縦に頷いた。




