05ミルストイ学園
リーシャたち四人はミルストイ学園へと至る余りに急勾配な坂道をぽかんと見上げていた。
乗ってきた馬車ではこの坂を上れないと言われ、ここへ放り出されるように降ろされてしまったのだ。
荷物を運んでくれた商人たちは当然とこんな事ぐらい知っていた訳で、この坂を荷車を牽いていても上れる従魔や動物を宛てがって作業に当たっていた。
たまたまリーシャたち四人は未だ幼くとも体を鍛えていたから、このぐらいの坂は問題なく上れるのだけれども、文官だけを目指す子供たちに取っては辛い道程ではなかろうか。
しかし予め調べて事前対策しておくことが、ここでの常識、いや求められている対応能力なのだろう。
そう、これが帝国名物の悪習、もとい古き良き風習(失敗して覚えれば心に焼き付き次に繋がる反省となる)であり罠であった。
「では往きましょうぞ!」
「チュバチチチ」
ティロットは元気である。
まあ、首都リーシャンハイス近郊ではなかなか山登りなどできないから、なにかとわくわくさせるものが有るのだろう。
斜面の角度はきついが歩くだけなら問題ない。
その掛け声に促されてリーシャたち一行は歩き始める。
坂道は灰色乾岩と言われるもので舗装されており、表面は滑らないように横線が幾筋も引かれていた。
右端が切り立った崖状になっているからか、マギーは四人がそちらへ行かないように注意を促している。
後ろからはまたもや新たな学徒を乗せた馬車が到着した様子で、がやがやと喧騒を立てながら乗客が降り始めた。
「これ以上は馬車では上れません。すみませんが徒歩でミルストイ学園へと向かってください」
「そ、そんな! この坂を上るのですか?」
「私には無理です。すみませんが従魔が牽く荷車か牛車をリーシャンハイスで手配してもらえますか? 私たちはここで待っています」
「いや、少しずつでもあのこたちみたいに徒歩で登った方が宜しいかと思いますが……ん?」
「えっ、あれは馬車かな? じゃないですよ! た、確か魔動車って乗りものではないでしょうか!」
リーシャたち四人とその侍女たちはその頓狂な声にはっとすると、慌てて道を空け左横に整列し直ぐ様礼を執る。
坂道に対して垂直方向やや左から右に向かって次第に近づきつつある魔動車を、リーシャが【遠見】の御業で確認すると、やはり白金色の髪に翠玉の瞳を持つ少女が奥の座席へ座る姿が見える。
「――間違いない、アリア殿下です。そうでした、殿下は私たちと同い年でした。そう、これからあの御方と御一緒に学園での日日を過ごせるのですね――」
通り過ぎる魔動車にお乗り遊ばすアリア殿下は崖側を眺めていらせられる。
礼を執りながらリーシャは気づかないうちに頬へと涙が零れていた。
「はい、アリア殿下と同じ学徒として、この学園で学べるのです」
皇族、貴族とは崇拝される存在でなくてはならない。
だからこそ資質が問われ結果を残したものたちが当主として認められる。
然すれば人人は空気を吸うように皇族、貴族の御方方を崇め敬う。
或る意味それだけ厳しい世の中なのかもしれない。
漸く坂を登り切った一行の向かう先、五十mほど進ん所には大きな門が見える。
建物を兼ねた門のようで守衛が常時に勤務できる体制をとっているようである。
門で入園手続きを済ませて無事にメルペイクを“護衛従者”として登録できた事で、一同ほくほく顔の一行が学園の敷地内に入れば、広大で隅隅まで手入れされた庭園の所所に建物が疎らに建てられていた。
この広大な庭園に誰かが手入れをするかと思うとぞっとする光景である。
手前には人口河川というか小川が横切るように流れていて、そのためにわざわざ石作の技巧を凝らした橋が架けられている。実に無駄である。
橋の手前までくると北西側に建物の影になって見えていなかった大きな池が見える。
小川はそこから流れてきていた。
「池ですよ! 池が見えるのですよ! あそこへ見に往くとしましょうぞ!」
ティロットが移動しようとする前に侍女のライチェさんが確り押さえ込む。うん、さすがに慣れている。
まあ、一度逃したら捉まえるのに苦労してきたのだろう。
「手前の建物は図書館ですね。また後で寄ってみましょう。北東……右側の奥にある建物がお嬢様方の住まわれる寮のようです。先ずは寮に行きまして寮管理の方にご挨拶をいたしましょう」
地図を片手にマギーが一行を先導する。
その言わんとする三百mほど北東へと向かった先には、大きな建物が幾つか並んでいた。
あれがリーシャたち四人とその侍女たちがこれから暮らす寮なのだろう。
そして、一行はマギーを先頭に頭上にはぱたぱたと翼で飛ぶにしては浮きすぎている護衛? のメルペイクを伴って、女子寮管理人スリバリー女史のもとへ挨拶に向かった。
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「従魔……でしょうか?」
目を丸く見開いたスリバリー女史の一言である。
「はいっ! “護衛従者”としての登録証は守衛の方に確り手続きしていただいてここに有ります!」
リーシャは勢いで乗り切ってしまう作戦なのかはきはきと喋る。
だが、少しその趣は違うようだった。
「はい確かに書類の方は問題有りませんね。これは構わないのですけれども貴女方がこれから住まう寮の建物は、文官……中立派閥を中心として集めております。これには理由が有りましてそれの更に奥に在る建物こちらへは、ルトアニア大公領出身者とタリス皇女殿下の派閥を中心として集めております。この意味が解りますよね?」
「はい」
「チュビ」
リーシャとメルペイクが代表して返事をする。
「……見る限り従魔としては大人しい部類ですし頭も良さそうですけれども、呉呉も粗相の無いよう留意をお願いいたしますね」
「はい、この子は常に私たちの誰かが付きますし、そういった機微も理解できる子です」
「チュビバ」
スリバリー女史は満足そうに大きく頷いて改まる。
「では今日から五年間長いようで短い間ですけれども、良き隣人として宜しくお願いいたします」
そう言ってスリバリー女史は綺麗な礼を執る。
「はい、こちらこそ宜しくお願いいたします」×四
「チチチ」
リーシャたちは、? ……チェロルだけか細い声で挨拶を返し侍女たちは黙して礼を執った。メルペイクは……うん、たぶん挨拶だと思う。
寮に到着した一行は、と云うよりリーシャたち四人は、リーシャ用に与えられた寮部屋区画の応接室兼執務室にて、じっとしておくようにと侍女たちから待機命令が発令されていたのだ。
侍女たちは届いていた荷物を手分けしてそれぞれの部屋区画へ運び出さなくてはならない。
リーシャの部屋がなぜか、ではないな、必然的に大きな区画部屋が貸し与えられているため、玄関の大広間にまとめて荷物が届けられていた。
勿論、四人がじっとしているなんてそれほど長くは続かない。
誰しもうずうずしてくる、そんな時にマギーが見計らったようにちょうど良く現れた。
あの大量の荷物がそんな簡単に片付いたとは思えない。
「出発前にガルトア・グラダード男爵から連絡をしていただいた通り、明日は寮内の同派閥が多目的大広間に集まる予定となっております。そこで明後日行われる模擬社交の立食会に於いて、派閥として親交が許されている方方を再度確認すること。そして状況次第ですが決められた挨拶の順番を仲介役と相談いたします」
社交といっても誰彼構わず交流するわけにはいかない。
当然、貴族社会だから未だ幼い身空で男性との交流なんてとんでもないことであり、講義や環境が完全に別けられているのに模擬社交が用意されるのはただの危険な罠である。
えっ? 子どもたちにこういった根回しなどの段取りを自分たちでさせなくて良いのかって?
確かに帝国には古式ゆかしい伝統的な教育方針として、子どもたちに失敗しても良いから、いや敢えて失敗させるために、なんでも自分たちで段取りや根回し問題が起きた時の解決までをさせる風習がある。
だけれども、あれは対外的なものであり万人が認めるものでは無い。
文官たちじゃなくても非効率的なことは嫌うはずだよ。うん、たぶん。
さて、マギーは明日の段取りを念押ししに来ただけなのだろうか。
「連絡事項は以上です。宜しいでしょうか? はい、では今からこちらに来る途中に見掛けました図書館の奥にある池を見に行きましょうか」
マギーは全員が頷くのを確認して庭の散策を提案する。
「やったー!」
「はい」「ええ」「うん!」「チュビ」
ティロットは大燥ぎだ。
マギーは他の侍女たちに手伝ってもらい、リーシャの重要な荷物だけを先に片付けると残りの荷物はお願いする代わりに子どもたちのお守り請け負ったのである。
そして取り急ぎ戻ってきたわけだが一番大変なのはマギーなのだろう。
なにしろ荷物の勝手は他の侍女たちでも解っているのだし、なにより、リーシャたち四人を任せられるのもマギーくらいであって、他の侍女たちは専属で付いているお嬢様一人でも手一杯なのだから。
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修正記録 2018-03-29 11:45
「ぽかんと」追加
ここの場へ → ここへ
だろうか。 → だろう。
「 まあ、首都リーシャンハイス近郊ではなかなか山登りなどできないから、なにかとわくわくさせるものが有るのだろう。」追加
「私には無理です。すみませんが従魔が牽く荷車か牛車をリーシャンハイスで手配してもらえますか? 私たちはここで待っています」追加
「いや、少しずつでもあのこたちみたいに徒歩で登った方が宜しいかと思いますが……ん?」追加
魔動車のアリア殿下 → 魔動車にお乗り遊ばすアリア殿下
頬から涙が零れ → 頬へと涙が零れ
「はい、」追加
学べるのですね → 学べるのです
「 皇族、貴族とは崇拝される存在でなくてはならない。
だからこそ資質が問われ結果を残したものたちが当主として認められる。
然すれば人人は空気を吸うように皇族、貴族の御方方を崇め敬う。
或る意味それだけ厳しい世の中なのかもしれない。」追加
奥には → 進ん所には
お嬢様方の寮でようです。 → お嬢様方の住まわれる寮のようです。
飛ぶには浮きすぎ → 飛ぶにしては浮きすぎ
いただいて → していただいて
数字を漢数字に変更(縦書き対策)
「侍女たちは」追加
では無いな。 → ではないな、
「四人が」追加
うずうずしてきた、 → うずうずしてくる、
ちょうど良く見計らったように → 見計らったようにちょうど良く
ルビを追加
相談します → 相談いたします
うん → うん!