モンスター居酒屋「魔民」の夜
「あの野郎!!!ふざけやがって!!!」
ビールを一気に流し込むと、スライムの高見沢は荒々しく中ジョッキをテーブルへ振り下ろした。
「ちょっとちょっとぉ、店の物壊したらちゃんと伝票につけさせてもらうからね」
「ママは黙っててくれよ!
オレは…オレは…
こんな屈辱を味わったの初めてだ!!!」
透き通るようなマリンブルーがチャームポイントの高見沢だが、この日は大量のアルコールと抑えきれない怒りで、夕日のように全身を赤く染めていた。
「まあ、気持ちはわかるけどよお、そんなに飲んだら毒だぜ。
俺たち魔物は体が資本なんだからよ」
そう言って、テーブル席の対面に座るミイラ男の小室は、包帯のスキマから小さな小瓶を取り出し、高見沢に差し出す。
「ダンジョンで拾ったんだけどよお、良かったら飲んどけよ」
「ウコンエキスか…かたじけねぇ…
やっぱりよお、持つべき魔物は友達だよな!!!」
黄金色の液体を飲み干した高見沢は、目に涙を浮かべ唇を噛みしめる。
「これは私の奢りだよ。
こいつを食べて勇者なんかブチのめしておくれよ」
「カツ丼食って勇者に勝つか…ママありがとよ…
愛してるぜ!」
「んもう、高見沢さんは調子がいいんだからぁ」
古ぼけた店内が笑いに包まれる。
ここは滅多に人の寄り付かない、魔物が住む森の中にある居酒屋「魔民」。
くさった死体の倖田ママが作る素朴な家庭料理と、ジョッキ1杯2ゴールドという安酒を目当てに、夜な夜な鬱憤を晴らしたいモンスター達が集まってくる。
「おう、席空いてるかい?」
また一匹、暖簾をくぐってモンスターがあらわれた。
「あら、氷室さんいらっしゃい。
ちょうどよかったよ、高見沢さんが荒ぶっちゃってねぇ。
慰めてやっておくれよ」
「おう、任せときなって。
愚痴を肴に一杯やるのも乙じゃねえか。
とりあえず…お新香と敵羅頼むね」
岩石魔神の氷室は魔民の常連で、面倒見の良い性格は周りのモンスター達からも一目置かれる存在だ。
「どうしたんだいタカミー?
悩み事があるなら、この氷室岩が聞こうじゃないか」
「ああロックさん、聞いてくれよ。
やられたんだよ…勇者の野郎によ…」
「ん?何事かと思ったら、いつものことじゃないか?」
そう、高見沢が勇者に倒されたのは今日が初めてではない。
今、魔王を倒すため冒険をしている勇者は、高見沢のことを目の敵にしていて、用もないのに移動魔法ですっ飛んできては、ぶちのめしていくのだった。
「違うんだよ!
今日もさ、日課の早朝マラソンやってたんだよ。
後ろから誰かが走ってくる気配を感じたから、挨拶しようと振り返ったら、あの野郎がいたんだよ」
「勇者か」
「ああ…
恥ずかしいんだけどよ、突然のことで驚き戸惑っちまったんだ」
「いやいや、恥ずかしいことねえよ。
オレだって、今のあいつに突然来られたら動けなくなるぜ。
レベル60以上あるんだからよ。それで?」
「そしたら、あいつ動けないオレをニヤニヤ笑いながら、
ギガディラン出しやがったんだよ…」
「そ、それって雷系の最強呪文じゃねえか!?
あいつメチャクチャだな」
天空の神を呼び覚まし、相手に雷の鉄槌を食らわせるギガディランは、勇者が修得することの出来る最強魔法であり、スライムの高見沢でなくとも、その衝撃に耐えることが可能なモンスターはほんの一握りだ。
「偶然、その現場をオレが通りかかったんだけどさ、もうタカミーぐっちゃぐちゃ。
飛び散った残骸を拾い集めたから、なんとか再生できたけどな」
その惨劇がよほどショックだったのか、小室は口元の包帯を力強く噛みしめる。
静まり返った魔民の店内には、洗い物の音だけが虚しく響く。
「おれ…悔しいぜ…
半年後には子供が産まれるってのに、オヤジのオレがこんな仕打ちを受けてるなんてよお…
あの極悪非道の鬼畜勇者に、なんとか一泡吹かせてやりてえよ…」
相手は執拗にレベル上げを繰り返し、伝説の装備もコンプリートした最強の勇者だ。手の届く相手ではない。
店内の魔物が高見沢に同情するが、為す術はない。
「まあ飲めよ…」
氷室岩の差し出した敵羅のショットを高見沢が無言で飲み干す。
「そうだ、今日はこの後、嘆きの洞窟近くに最近出来たキャバクラ行かねえか?オレが奢るからよ。
こんな日は可愛い子と騒いで、嫌なこと忘れちゃおうぜ!
なあ小室も行くだろ?」
「ああ、落ち込んでる高見沢は見たくないからな」
「もう、これだから男ってのは、どうしようもないねぇ。
こんないい女が近くにいるってのに」
「ママは***も***も腐っちまってるじゃねえか!」
再び魔民に活気が戻った。
だが、次の一言で、これまで勇者の斬られ役で苦汁をなめてきた魔物たちの運命が大きく変わろうとは、この時誰も知る由もなかった。
つづく