1.9:黙祷
鳥居高校は創立以来の騒がしさに包まれた。荻窪弘樹という少年が屋上から飛び降りたという噂は瞬く間に広がり、第一発見者である士郎は旧友やメディアからの質問攻めにあった。
何の接点も無い生徒だと思っていた。
しかし弘樹という少年と一度会って話をしたことがあるのを士郎は思い出していた。血まみれになって地面に叩きつけられた彼は、昨年の春授業をサボり花見をしていた自分を注意した少年だった。
自殺なのか他殺なのか。それがニュースとしても取り上げられ、通り魔事件や今話題の苛め問題との関与も疑われ。報道関係者は一種のお祭り騒ぎのようにテレビの向こう側で討論を交わしていた。普段あまりテレビを見ない士郎もテレビをつけて情報を集めようとしたが、あの痛々しい光景が脳裏から離れずそのことを思い出さないようにするために昨晩はテレビの電源をきった。
通り魔が犯人といえば通り魔を入れてしまった学校の管理態勢が問題視され、自殺ならば教育やいじめが無かったかどうかが問題になる。
汗をたらしながら黙祷と厳かに宣言する校長先生が可愛そうに思えてきた。いったい少年に何があったのだろうか。士郎はそれだけを考えていた。
一方、平林拓也は静まり返った体育館で黙祷を捧げながら士郎とは別のことを考えていた。
こうやって全校集会を開き弘樹に黙祷を捧げていても何の意味も無い。もし彼にしてあげることがあるとしたら犯人を見つけてその犯人を捕まえることだけだ。こういう思考にいたるのは父親が本庁の刑事だからかもしれない。間違いは正すのが拓也の生き方だった。
少しばかりの黙祷が終わりぞろぞろと生徒たちが体育館から出てくる。ごろごろと雷雨をまとった雲が学校全体を覆うように流れて今にも雨が降り出しそうだった。
教室に戻り荷物をまとめていた士郎の携帯にメールの着信音がなる。ポケットから取り出して受信箱を見てみると拓也からメールがきていた。
「おい士郎久しぶりに一緒に帰ろうぜ。今日部活は休みなんだ。」
携帯の画面を熱心に見ていた士郎は慌てて携帯をポケットの中に入れた。拓也から送られてきたメールの件名には荻窪弘樹が殺された理由と書かれていた。
「なあ力也、今日ちょっと泊まれるか。」
士郎が尋ねると隣の席に座っていた西村恵子がきゃあという悲鳴のような声をあげた。黄色い声というやつである。
「八神君ったらどうしたの。まさかこの前家に送ってもらったときに何かあったんじゃ。」
「西村さん落ち着いて。」
鼻息も荒く自分の肩を揺する恵子を戸惑いの表情で見つめる。
西村さんはいい人だが時々壊れてしまうことがある。女子の間なら男同士を腐った関係として補完することもできるだろうが、実際の男同士の関係をそうやって勘ぐるのはよくない事との様な気がした。いや、自分としてはそういう関係を望んでいるのだが力也が絶対嫌がるだろう。
「そうか。わかった。今日はおまえん家に泊まるわ。」
拒絶の言葉が来ると思って身構えていた士郎は驚いて力也の顔を見た。
「じゃあ今日は私は鈴木君と帰ろうかな。二人ともがんばってね。」
いやいや何を頑張るんだという士郎の声もむなしく、少女は意気揚揚と教室を出て行く。恵子はどうやらあの夜送られていったことがきっかけで鈴木桂と付き合い始めたようだ。まったくもって羨ましい。
「俺たちも行くか。」
そう言われて幼馴染の後を追い教室から士郎と力也も出た。
外は既に雨が降っていた。
連日校門に押し寄せていた報道関係者も、ついに事件に飽きたのか顔を見せなくなった。まさに台風のようである。事件のあるところに現れ、根堀葉堀したあげく去っていく。残されるのは遺族や周囲の人間の悲しみだけ。彼らは伝えるのが仕事であって解決することが仕事では無い。だからしょうがないのだが、何かふつふつとした苛立ちのようなものが湧き上がるのを止めることができない。恥を晒しただけのような気もするのだ。
「やべ、俺今日傘持ってきてないわ。」
靴を履き替え終えた力也が校舎の外のどしゃぶりの雨を見てぼやく。既に傘を広げ外に出ていた士郎は力也のもとにもどり傘を翳す。
「ほい。一緒に入れよ。」
「すまんな。傘は俺が持つ。それにても天気予報は晴れって言ってたのになぁ。」
「俺は昔から雨の匂いがわかるんだよね。天気予報とか見ないし。」
「何だよそれ蛙みてえ。」
広げた傘の中に入るように力也が士郎よりに傘を翳した。そういう優しげな態度に胸が高鳴る。図体はでかいのに昔から力也は優しかった。
「それで何で俺を家に呼んだんだ。」
歩きながら力也が尋ねる。二人の顔は傘に隠れ他の人間から見ることはできない。また雨音のせいで会話も聞こえないはずだ。そう思いポケットから携帯を取り出す。
「今俺達がつけられていることと関係あるのか。」
力也の言葉に携帯をいじる手をとめた。隣の幼馴染の顔を見上げると今まで見たことが無いほど、力也は険しい表情をしていた。
一瞬冗談かと思ったが冗談を言っているようには見えない。
桜並木の帰路を歩きながら拓也からのメールに目を落とした。そしてそれを士郎は力也に聞かせるように読み上げた。犯人が弘樹を襲った人間なら力也の身も危ない。しかしあろうことかこの幼馴染は話をするまで離れないとでも言うかのように士郎の腰を片方の腕で抱き寄せた。
―士郎ちゃんへ。あなたに話をしておきたいことがあります。直接あって話をしたいところですが危険なのでメールで連絡しました。話というのは荻窪弘樹という少年のことです。彼が死んだのには訳があります。この少年は士郎ちゃんにホの字だったんだけど、入学式の当日にあなたの下駄箱に恋文をいれようとした時に偶然。鬼道真美が陰湿な悪戯をしようとしているのを見てしまったの。この数週間彼はずっとあなたを真美の嫌がらせから守っていた。相談された時、たちの悪いイジメだと私も思っていたわ。だけど彼女はもっと深い怨恨のようなものであなたを恨んでいる。彼が最後に私に送り届けてくれたメッセージをあなたにも送ります。リッキーと話をして詳しいことがわかったら私にも連絡をください。追伸―
「あの事件もそうよ、鬼が。鬼がこの地をまた血に染めようとしている。しかし今回は誰も助からないわ。鬼道家も八神家ももうほとんどいないのだから。」
最後までメールを読み上げた後もう一度力也の顔を見ると力也は唇を噛んでいた。かなり強い力で噛んでいるのか血がにじんでいる。抑えきれないほどの怒りを爆発させないように耐えているようだった。
抱き寄せられた手にも力が加わり少し痛かった。
「くそ親父め。士郎には手を出さないと約束させたのに。」
「どういうことだ。俺にもわかるように説明してくれ。」
「話は後だ。気配に殺気が宿った。俺を不意打ちしようなんて十年早いんだよ。」
持っていた傘を折りたたみ電信柱に向かって力也は全力で投擲した。まるでハンマーで殴ったように柱にひびが入りカサはそのまま柱に突き刺さる。それと入れ違いに柱が飛び出した女生徒が士郎に向けて短剣を投げた。その短剣を苦も無く力也は素手で掴み地面に短剣を落とす。
「力也その目はいったい・・・。」
力也の目は黄色に輝いていた。そして襲ってきた少女も同じような黄色の目でこちらを見ていた。それには答えず呆然とする士郎を守るように力也が構えをとる。
「どういうことだ真美。親父が俺を裏切ったのか。頭首の命令は絶対のはずだろう。」
「ふふふ。今は私が鬼道家の頭首なの。」
「おまえまさか親父を殺したのか。罪の無い人間を殺したらどうなるかわかっているはずだろう。」
「罪の無い人間ね。ならどうして私の父親は鬼になったのかしら。私の母親は、叔父様は鬼になったのかしら。彼らはどういうわけか私たちの知らない間に禁忌をおかしてしまった。いったい何をしたのかしら。」
何がおかしいのか笑い始める女生徒を注意深く睨みつけながら士郎は考えをめぐらせた。
まず疑問に思ったのは鬼という言葉である。
鬼というのは昔話に出てくる空想上の生き物のことだろうか。それとも何かを暗示しているのか。今の段階ではよくわからない。
一番わからないのは何故家の一族が絡んでくるのかだった。
何か不自然な点が無いか記憶をたどってみるが、両親が生きていた頃も波際市にある寺の住職さんに良く預けられていて肝心の二人との接点がないことに気がついた。共働きだからしかたないのだなと幼心に感じることがあり、深く聞かないようにしていたが考えてみればおかしな話である。
何か非合法の商いでも営んでいたのだろうか。
「今になってはもうわからない。父上も母上も一族の人間はほとんど死んでしまったから。そして私も理由がどうであれ両親をこの手にかけてしまった。お兄様、あとはあなた次第です。一族の役目を果たすのもよし。そこの糞野郎といちゃいちゃするのもよし。そいつを殺してやりたかったけど私にはもう時間がのこっていないみたい。」
その時になってようやく士郎はこの少女の左手が小刻みに震えてるのがわかった。少女も士郎の視線に気づき右手で抑えるが震えはひどくなっていく。
「最後に話ができてよかったわ。次にあったら私のことは鬼だと思うのね。」
それだけ言うと少女は二人に背を向けた。
「へっくしゅん。」
少女が去った後緊張の糸がきれたのか自分が雨に打たれていることを思い出した。服に水が染み込み体が冷え始めていた。
「びっくりした。驚かすなよ。」
そうぼやきつつ力也が傘を電信柱から引き抜き士郎に向けて翳した。
「話すこと増えたね。」
鼻をすすりながら士郎がおどけて言うと何故だか力也はすまないと謝罪の言葉を口にした。家についたら何から話そうか。立て続けに起こる事件に士郎の頭はめまぐるしく回転していた。