1.5:花見
「春休みの宿題は今週中に各担当の先生の提出Boxの中へ提出すること。特に鬼道君は提出できるよう頑張りなさい。留年になるわよ。」
へ~いという間の抜けた声が響き教室の中がどっと笑い声に包まれる。通学途中に冗談まじりに話をしていたが、まさか全ての教科の宿題をやってこないとは思わなかった。今年も担任となった富樫先生も呆れて怒る気も起きなかったようだ。
「それでは今日は終わりましょう。」
起立という日直の掛け声とともに全員が席を立ち礼の合図で挨拶をする。半日の授業から解放された生徒達が一斉におしゃべりを始めた。
「ねえねえ、お昼はどうする?」
帰宅の準備をしている士郎の机の前までやってきた恵子が尋ねる。お昼は買ってきてないしどうしようかと悩んでいる士郎に、帰宅の準備を済ませた力也が提案をした。
「どこかで飯でも買って花見でも行こうぜ。」
「いい案ね。そうしましょう。」
力也の提案に恵子がすぐに賛成し三人は花見をすることになった。
学校の近くのコンビニで御握りや飲み物、スナック菓子などを大量に購入した三人は薄野公園へと足を向ける。朝方は晴れていたのにもかかわらず空は雲に覆われ少し肌寒い。少しでも日が当たり桜が見やすい場所を求めて公園内を彷徨っていると、恵子が目敏く都合の良い場所を見つけた。
普段は大学生がサッカーをしている芝生の生えた地域である。芝生を囲うように桜も生えているので花見もしやすい。しかし、昼時のためか公園に遊びに来た幼稚園児の集団や近くの住人がシートを敷いて弁当を食べていた。一見して先客に邪魔にならずに3人が座る場所などは無いように思える。
「鈴木君。私たちも一緒していいかな?」
恵子が芝生を走り3人と同じ学生服を着た少年に声をかける。確かあの少年は力也と同じ柔道部だったはずだと士郎は思い出した。相手の同意を待たずに恵子がレジャーシートを敷く。知り合い何だろうか。自分のクラス以外の友人が拓也しかいない士郎は桂と呼ばれた少年が何組の生徒かもわからなかった。
「西村さん。何でここに。まさか俺と一緒に昼食を・・・。」
「何してんだ、おまえ。」
興奮する桂に力也が突っ込みをいれる。そこでようやく自分たちの存在に気づいた桂が弁当を抱えながら立ち上がり構えをとった。
「でたな鬼道力也。ここであったが百年目だ。」
「・・・盲亀の浮木、優曇華の花、いざ尋常に勝負って、力也何かしたの?」
「いや、こいつが絡んでくるだけだな。」
「永遠のライバルに向かって冷めた態度を、そういう所がムカつくぜ。おまえのせいで俺がレギュラーをとれないんだぞ。」
「知るかよそんなこと。」
「はいはい、鈴木君落ち着いて。あ、八神君そっちのシートの端っこに鞄置いて。一緒にご飯を食べるくらい大丈夫よね。力也も立ってないで弁当広げてよ。」
てきぱきと指示をする恵子に士郎と力也が従う。桂は文句を言うかと思いきや意外なことに構えを解きシートに座りなおした。
「西村さんがそう言うなら。」
その態度に士郎はぴんときた。この少年は恵子のことを好きなのだ。
「そういえば鈴木君は八神君のことを知らなかったよね。」
「いや知ってる。」
「どこかで会ったっけ。」
士郎が首をかしげると桂はにやりと笑みを浮かべた。
「覚えていないのも無理は無いな。昨年の新人戦の時、万札しか財布に無くて困っていた俺におまえはジュースを奢ってくれた。見知らぬやつによくやるよ。」
「思い出した。あの時は丸坊主にしてたからわからなかったよ。髪伸びたんだね。」
「おまえ変わった奴だな。」
「そうだね。八神君は変わってるかもね。そういえば私も友達になる前の話なんだけど、電車の中で痴漢に会いそうになった所を助けて貰ったな。」
「西村さんに痴漢をするなんて。誰だ、誰がそんなことを。」
「怖そうなおじさんだった。でもああいうのって、気づいてても中々注意できないものだと思うの。逆ギレされたりするかもしれない。そういう手助けっていうか、こういうの何て言えばいいのかしら。」
「単純に士郎は困ってる奴をほっとけないだけだろ。」
「そうそう、それよ。さっすが力也、八神君と幼馴染なだけあるわね。」
「何だよおまえら。褒めたって何もでないからな。」
士郎が頬を赤らめると他の3人が笑い声をあげた。
春の風が桜の花びらを運ぶ。会話が楽しいせいか、いつもより食欲がわき、いつの間にか弁当を平らげていた。4人は桜を眺めながら自分なりの食休憩をする。
充実した沈黙とでも言えばいいのだろうか。この時間が士郎は好きだった。無理に笑いをとったり話をしたりするわけでもなく、ただ隣に人がいるだけで満たされた気がする。あまり人付き合いが得意じゃないからこんなことを考えるのかもしれないが、こういうのんびりした付き合い方をできるからこの二人とつるんでいるのかもしれない。
「何かお爺ちゃんみたいだな。俺たち。」
レジャーシートの上に仰向けに横になり眠っていた力也が呟いた。寝言だろうか。読んでいた本を横に置き力也の顔を覗き込むが瞼は閉じられている。
「お婆ちゃんもいるわよ。」
間髪いれずに放たれた恵子の言葉に桂は思わず飲んでいたお茶を噴出した。恵子も士郎と同じように読書をしている。
「何かいいな。おまえ達を見ているとほっとする。」
その声に寂しさを感じ士郎は桂の方に顔を向けた。桂は3人に背を向けぼんやりと遠くの桜の花を見ていた。何かが揺らいでいるのがわかる。
ゲイに生まれたせいかもしれない。一般人の振りをして周囲に溶け込むことを余儀なくされていた士郎は、昔から他人の心を読むのに長けていた。
「今度はどこに遊びに行こうか。」
ぽんと士郎が背を叩くと桂は驚いた表情をした。
にっと笑みを浮かべレジャーシートとゴミになった弁当を片付ける。腕時計を見ると十五時過ぎになろうとしていた。
「八神君そろそろ時間?」
「うん、夕飯の材料買いにいかないと。富樫先生が今日はカレーが食べたいんだって言ってたから。」
「そうなんだ。自炊大変だね。」
「ちょっと待ってくれ、富樫って二組の富樫か。何でおまえと一緒に暮らしてるんだよ。」
「富樫先生は俺の後継人なんだ。力也、俺先帰るからな。」
寝ている力也を揺り動かすと眠そうに目を擦りながら力也は目を覚ました。
「う~ん。もうそんな時間か。待ってくれ送ってく。」
「いいよ別に。」
小さい頃から家が近かったこともあり一緒に学校に行って、一緒に帰るのが日課になっていたが、桂がいるせいで変に意識してしまい士郎は顔を赤らめた。その顔を見られないように通学鞄を持ち立ち上がる。しかし力也は先に行こうとする士郎の腕を掴んだ。振り向くと真剣な表情を浮かべた力也の顔がある。
「通り魔がいて危ないだろ。おい、桂。おまえも恵子のこと送っていけよ。」
力也の言葉に桂は複雑な表情を浮かべた。ライバルである力也に命令されたことに対する苛立ちと、単純に恵子と一緒に帰れるということを喜ぶ二つの気持ちが鬩ぎあっているのだろう。
「鈴木君がよければ送ってくれると嬉しいな。」
通り魔という言葉を聞き危機感を覚えた恵子が桂に頼む。その言葉が一押しになったのか、桂は力也の命令を聞くことにした。
四人が公園から出た後すぐに、力也と士郎はスーパーによるために二人と別れた。一緒に買い物をして荷物を持って帰る時、力也は何も言わずに士郎の分の荷物も持ってくれた。
何故こんなにこの幼馴染は優しくしてくれるのだろう。
学校前の桜並木の通りまで戻ってきた士郎は、軽々と荷物を持ち前を歩く幼馴染の背中に疑問を投げかけた。
「なあ聞いてるのか。」
急に力也が立ち止まりこちらを振り返った。
「あ、ごめん。考え事をしてた。」
「桂を励ましてくれてありがとなって話。部活で頑張ってるのに、あいつ認められてなくて、すっごい苛立っていたんだ。」
「認められていないってうちの柔道部そんなに強い奴いたっけ。俺の記憶が正しければ鈴木君は新人戦で準優勝してなかったか。」
「ちょっと顧問にコネがある奴がいるらしい。困ったもんだ。」
「そうか・・・。」
「士郎怒ってる?」
「ああ、怒ってる。あいつ本気で悩んでたぞ。」
士郎が怒りをあらわにすると力也がぽんぽんと頭を叩いた。
「そういうところが俺は好きだな。これからもずっと親友でいてくれよ。」
親友でいてくれよという言葉が心に響く。嬉しかった。でもそれ以上に苦しかった。
「どうして泣いてるんだ。頭を叩いたのがそんなに痛かったのか。ごめんな、謝るから泣かないでくれ。」
「え?」
両の目から頬に水が流れるのを感じる。慌てて頬を拭うが視界が霞んでいくのがわかる。
「何でもない。ごめん、何でもないんだ。」
これ以上力也に涙を見られるのがいやで勢いよく士郎は走り出した。何で泣いているんだ俺は。情けない。友達でいいって思っていたのに。
ぽつりぽつりと点在する街頭が桜を美しく照らす。その光景も通りを駆け抜ける士郎の目には映らなかった。