3.5:転機
物事には転機というものがあると力也は幼いころから思っていた。
鬼道家の跡取り息子として生まれ罪を狩るという定めを背負いながらも、その宿命から逃れ自由に生きることを許されたのは、その時に転機があったからだ。
あの時のことをふと思い返してみる。
当時自分は家業を行うことが嫌だった。
厳密には人では無い存在。鬼だといわれても目の前にいるのは元人間で。飛び散る血は赤く生臭く吐き気を催すような現実がそこにはあった。
親父の横で仕事を見ていたある日、耐えられなくなった力也は小野寺神社へと逃げ込んだ。
あそこは罪を被った人間は入れない、一種の結界のようなものがある。鬼を殺すことで罪を被っていた鬼道家の人間は、探しにこれないとわかっていたのだ。
その時に小野寺神社で会ったのが士郎だった。
―どこか痛いの?―
眼鏡をかけていないくりくりした純粋な瞳で、境内に隠れて泣いていた力也を士郎が覗き込んだ。
―ほっといてくれ。―
本当は家業が怖かった。人殺しなんてしたくなかった。それを言ったところで少年には何もわからないだろうと力也は思った。
力也が少年から顔を背ける。
男が泣いているところを見られるのは恥だと幼いながらに思ったからだ。
そんな力也に何を思ったのか士郎は手を伸ばしてきた。目の前が士郎の手で塞がれる。
何しやがると怒鳴ろうとした力也は、眼前に浮かび上がってきた光景に驚いてその言葉を飲み込んだ。
世界が、世界が変わって見えた。
境内にあった木は赤々と燃え、町中に火が灯っている。火事というわけでは無い。何かはわからない力強いエネルギーが色々な生き物から発せられているのが見えた。
―怖くないよ。僕らはとても大切なことをしているんだ。―
まるで力也の思いを見透かすように、少年は力也の嘆きを言い当てた。それと同時に少年は力也に世界には青い火が灯る事があると教えてくれた。その火を消さないといけない。それはこの暖かな赤い火まで凍えるような青に染めてしまうから。
この少年が八神の家の人間だとわかったのは、そのすぐ後のことである。
「隙あり。」
大きな掛け声に驚き力也の体が硬直した。動きの止まった力也の前襟を桂は掴んで足を踏み込んで背負い投げをしようとする。
意識がよそに行っていたために反応が遅れる。重心が既に移動しバランスが崩れていた。
投げられる直前。力也は自分から前のめりに前転をした。空中にいる間に桂の前襟を巻きつけるように掴む。相手の勢いを利用し足からうまく格技館の畳の上に着地すると、逆に桂を背負い投げをした。
「八神流、木の葉返し。」
投げ飛ばされた桂は何が起こったのかわからないという表情で天井を見上げていた。
今まで本気で相手をしたことなど大会でもほとんどなかったが、まさか本家の技を使わされるとは思わなかった。確実に桂は成長している。それだけはわかる。
「・・・愛の力か。」
力也が小さく呟くと、桂が顔を真っ赤にしながら上半身をおこし胡坐をかいた。どうやら聞こえたらしい。何か言い返そうと口をぱくぱくさせていたが、どうやら自分でもわかっているようだ。結局何もいわずに黙り込む。
桂に背を向け、飲み物を飲もうと自分の鞄が置いてある格技館の隅へ向かう。鞄から取り出したスポーツドリンクを飲みながら、力也は部活の風景を眺めた。
荻窪弘樹の事件というよりも顧問が夏休み明けからいなくなってしまったために、柔道部に練習に来ている生徒はほとんどいなかった。まだ公表されていなかったが真美が殺した人間の中にその顧問がいたようだ。いったい何をしたのか。想像もしたくない。
一方、桂は顧問がいなくなってから意気揚々と部活に励んでいた。試合に参加させてもらえなかったり、先輩を贔屓したり桂は安部先生が嫌いなのだ。
「そういえば、八神のやつ3組の三村に告白されたの知ってるか。」
「士郎が?」
唐突に話し始めた桂をまじまじと力也は見た。
「三村だけじゃない。この前夏休みにあった小野寺っていただろ。2組のやつ。あいつも八神を狙っているらしい。つっても三村の方は断ったみたいだが、力也は八神の本命知ってるか。」
「何で俺に聞くんだよ。」
「仲いいだろ、おまえら。高校生だったら恋愛位するだろうし。恵子がやたら気にしてるんだよね。八神君ぐらい可愛ければ恋人がぐらいいるはずだとか言って。無理に聞き出すつもりは無いけど、好きな奴がいるなら応援したいしな。」
「意外だなおまえがそこまで人を気にするなんて。」
力也が指摘すると桂は腕組を考え込んだ。
「う~ん。あいつ良いやつじゃん。それも馬鹿がつくほど。困ってる時は何も言わずに助けてくれるし。人との距離をとるのがうまいっていうか何ていうか。まあ、俺はおまえの好きなやつも気になるんだけどな。」
「俺に勝ったら教えてやるよ。」
「ということはいるのか。誰だ、どんな奴だ。」
飲料水を鞄にもどし格技館の中央にもどる。桂が笑みを浮かべて力也の後に続き対峙した。
俺は士郎が好きだ。
桂に技をかけながら力也は思った。
士郎に告白された時は嬉しかったし、あいつと一緒にいるのはとにかく楽しい。しかし友達以上の関係を求めているのかどうかわからなかった。
いや嘘だ。
たぶん俺はあいつをモノにしたいと思っている。
心だけでなく体も。
士郎はどうだ。どういう付き合いを求めているんだろう。俺があいつに迫ることであいつを傷つけてしまわないだろうか。俺が病院に送られた時のように、あいつが泣く姿だけは見たくない。
何回桂に技をかけただろう。
チャイムの鳴る音に気がつき時計を見ると最終下校時刻になっていた。格技館の中は既に力也と桂だけでちらほらといた部員の姿は無い。急いで二人は掃除をして備え付けのシャワー室でシャワーを浴び格技館を出た。
「桂く~ん、力也~。」
大きな声で自分たちの名を呼ばれ。学校を出ようとしていた二人の青年は校舎側を振り返った。大きく手を振りこちらに近づく少女と少年が見える。噂をすれば影ということなのだろうか。
「こんな時間まで脚本作り?」
桂が恵子に尋ねると恵子は首を横にふった。
「今日は教室でやるタコ焼きを作ってみたの。せっかくだからタコ以外にも何か入れられないか考えてたら、こんな時間になちゃった。はい、桂君。あ~ん。」
恵子が手に持っていたタッパからたこ焼きをとりだしつまようじで桂の口にまで持っていった。力也の目から見ればそれは歪な形をしていたが、桂は嬉しそうにそれを食べる。3人が黙って見守っているとしばらく租借した後に桂は怪訝な顔をした。
「これは・・・イカ?」
「その反応からすると、スタンダードすぎてインパクトがなかったようね。」
桂の普通な反応に恵子が悔しそうな表情をした。
「チョコとかマシュマロとか、次は入れてみたいなぁ。あ、二人とも普通のたこ焼きもあるからね。稽古しておなか減ってるでしょ。よかったら食べてね。」
「これ士郎が作ったのか。」
士郎から渡されたタッパの中身を空けると、まさにたこ焼きというたこ焼きが現れた。先ほどの球体になっていないイカ焼きと比べるととても美味しそうだ。
「おまえ料理もできるのか。」
桂も驚いて士郎を見る。
一つ爪楊枝で取り出し。力也は自分の口の中に入れた。
「うまい。」
力也が顔を綻ばせると士郎も嬉しそうな顔をした。やっぱりこいつ可愛いなぁとそう思った。
物事には転機がある。
もしかしたら今がまたその時なのかもしれない。
揺れ動く気持ちに折り合いをつけるために、学園祭の日に告白の返事をしようと力也は心に決めた。




