2.6:変化の兆し
図書館を出た鬼道真美は黒塗りのベンツに乗り込み港市へと向かうように指示を出した。
今日は八神家の分家である小野寺家が主催する花火大会のある日だ。
まったくこの非常時に小野寺家は呑気なものである。彼岸の火事ということか。原因を作ったのは父上と母上であり私のせいでは無いと大声で叫びたくなる。私だって花火を楽しみたいがそれは叶いそうになかった。
何か不可解なことが起こり始めている。
父と一緒に罪狩りを行なっていた時にもなかったことだ。鬼道家は警察と連携をとり鬼になりそうな犯罪者の動きを追跡しているのだがその動きが妙なのだ。
「渡辺、リストを見せて頂戴。」
後部座席から真美が命令をすると、黒いサングラスをつけた頬に傷のある運転手が、助手席にある紙袋から何枚もあるプリントの束を出した。それを受け取り携帯で表示される地図と照らし合わせる。
「お嬢は図書館で何をされていたんですか。」
「調べごとよ。夏休みの宿題でわからないことがあったの。」
図書館で探していた本は夏休みの宿題ではなかった。
同性愛に関する書物があるかどうか探しに行ったのだ。無いと思っていたがボーイズラブという女性向けのジャンルの小説があり、予想以上に真美はのめりこんだ。
その小説の中で主人公の相手役の男がこんなことを言っていた。
―ただ好きになった人間が男だったというだけだろ―
そうなると士郎は物凄い魅力のある人間ということになる。あのお兄様を幼い時からずっとはべらせて。羨ましい。妬ましい。しかし、あの小説を見て殺意まで覚えなくなったのは事実だ。今なら仕事とは別に殺してしまった荻窪弘樹に謝罪できるかもしれない。怒りに身を任せ自分が死ぬからという理由で他者を殺す。これでは鬼と同じでは無いか。
あの時はどうかしていた。まるで何かにとり憑かれていたような。自分では無いもう一人の自分の感情に飲み込まれていた。
「お嬢聞いてます?あっしの話。」
「ごめんなさい、聞いてなかったわ。」
「ひっどいなぁ。もう一度報告しますね。警察関係者からの情報によると、波際市に現れた鬼は波際市の住人では無いようです。どうやらお嬢のお考え通りかと。」
「地図でも確認したわ。罪を行なった人間たちが波際市へと集まろうとしている。これはいったいどういうことなのかしら。」
「あっしに言われてもわからねえっす。」
「父上が余計なことをしてくれたおかげで、どんどん自体が悪くなっていくわ。」
「そんなに頭を攻めないでやってください。それに俺は頭が八神家の頭を殺っただなんてとても思えねえ。あの二人は本当に仲良くて兄弟のようだったのに。」
「真治さんも由美さんも優しかったわね。」
「あっしのような下々の人間にもそれはよくしてくれやした。」
思い出しかけた思い出を振り払い仕事の準備を始める。
後部座席に置かれている銀色のケースの中には日本刀が納められていた。
八神家の宝刀童子切である。
この刀を持った父上が鬼道家に戻ったとき、父上は既に正気を失っていた。その後、瞳を抜かれた証さんと無残に日本刀で切り刻まれた由美さんが発見され鬼道家は、八神家殺しの罪を被る。
家の中の者は八神家が表向き何もしていないことに苛立っていたため、母上がそれを利用し八神家との断絶を決意した。母上は昔から地位に固執されていた。八神家よりも警察に顔の効く鬼道家のほうが有利だと判断したのだろう。
母上に唆され、父上が証さんを殺したと思っていた。しかし本当にそうなのだろうか。
「お嬢。」
渡辺に声をかけられはっとして前方を見据える。港市に入るトンネルの前にはバリケードが敷かれて数台の車が立ち往生していた。警察が何を勝手にやっているんだと思ったがどうやら彼らが相手にしているのは人では無いものだった。
「警察を下がらせなさい。絶対に私以外はあいつに止めを刺さないこと。」
後部座席から降り渡辺に指示を出す。運転席から降りた渡辺はうなずき警察の責任者を捜して駆けていく。
トンネルの中から数人の人間が出てこようとしているのが見えた。警察が発砲し体中穴だらけになっているが歩みは止まらない。既に罪人は鬼になり始めているようだった。鬼になると身体能力が向上する。完全に変化する前に倒さなくては。
トンネルに向かって真美が走るのと同時に、渡辺が指示を伝えてくれたのか警察が後方へと下がった。童子切を抜く。バリケードを破り波際市に入ろうとした一人目の罪人を、二尺六寸五分の刀が真っ二つにした。血糊を払いバリケードを抜けトンネルの中に入る。ざっと見た感じでは四人ほどの罪人が波際市内に入ろうとしているところだった。
やはり罪人は波際市に集まろうとしている。
本来ならば鬼道家がわざわざ他の県に出張して暴れまわる鬼を狩るほどなのだ。わざわざこの市に来る理由がわからない。まるで何かに引きつけられているようだ。
「うっ・・・。」
四人目まで躊躇無く片付けた舞の体に変化が起こった。
どくん。どくんと心臓が早鐘のように鳴っている。
今まで強靭な精神で耐えてきたがさすがに限界が近い。膝をつき胸を押さえて蹲る舞に最後の罪人が躊躇無く襲い掛かる。
罪人の変化した鉤爪が舞を貫く刹那。舞は逆にその罪人の心臓を同じように、いやそれ以上に禍々しく変化した鉤爪で刺し貫いた。
ついに変化が起こってしまった。これはしばらくしたら直るのだろうか。トンネルの出口付近で壁に体を預け考える。いや、直るわけが無い。罪は積み重なっていくだけなのだ。
「お嬢。」
「くるな。」
自分の帰りが遅いため渡辺がトンネルに入ってこようとしていた。
自分のこんな姿を身内に見られたくなくて怒鳴りつける。既に右腕の鬼に変化した部分の感覚がなくなってきた。母親が変化したときと同じだ。この腕は勝手に動き見境無く周囲の人間に襲い掛かるだろう。
すっと自分の目が据わるのがわかった。
まだ自分の意識はある。切腹なんて時代錯誤でまともじゃない。しかし童子切で自分の首を斬れば誰の迷惑もかからずに死ぬことができる。
「兄様・・・・。」
童子切を首にあてる。
その刀を引く瞬間を見計らったように、千歳川のほうから花火があがった。
その花の光を見た真美の頬に涙が伝う。
馬鹿みたいだ。家のことに引きづられて。こんな退屈な人生。もっと普通の女の子のように生きたかった。それもこれも全て鬼のせいだ。憎憎しげに鬼に変化した手を一瞥する。
「どうして・・・手が・・・?」
一瞬自分が見たものが理解できなかった。鬼のものに変化した手がもとの華奢なものに変わっていたからだ。
「何が起こったというの。」
少女の呟きに答えるように花火が夜空に咲いていた。




