第3話 仮面の男(3)
3 謎の女性
市の警察署内部の会議室に捜査1課第9班の精鋭たち、東と他数名の部下が集まっていた。そして彼らの前には、直属の上司である警視、田所の姿もあった。
警視が重い表情で話し出す。
「残念だが、あの後パトカーで追いかけたが、厳鬼とか言うホシには逃げられたよ」と。
やはり、一筋縄ではいかない連中のようだ。
東は悔しい気持ちを抑えつつ、「そうですか……」と答えた。
さらに警視が、「ただし、こんな物が送られてきた」と言って1本のビデオテープを取り出した。何やら、不可解な物が送付されてきたらしい――犯罪者特有の愉快犯的な心理によるものか?――。それから徐にそのテープを再生機に入れた。全員でその内容を確認すべきと考えたのであろう。
そうすると、突然厳鬼の姿がモニターに映し出された。
「親愛なる警察の諸君、私は厳鬼、真の自由論者だ。知っての通り叔父の鬼頭が随分世話になったようだな」と然も低音を利かした声で話し始めた。ただし、当然ながら撮影場所など分かるはずもなく、白い壁を背景にした所で坦々と喋っている姿だけを映し出していた。
「一言、苦言を呈する。君らは富裕者階級に媚を売った法の下で、安穏と権力を行使し、逆に下級階層には緩まぬ強権を振るい弾圧を続けている族に過ぎない。つまりお前らは金持ちに仕える哀れな犬ということだ。金のある者だけ優遇し貧しい者は迫害する悪党ども。お前たちの悪行が不平等甚はなはだしい社会をもたらしたのだ。いいか、近いうちに身も凍るほどの苦難が降りかかると思え。全ての貧困者に平等な権利を与えるために、私が神のごとく鉄槌を下してやる。楽しみに待っていろ。ふぁはははは……」と言ってテープが止まった。
どうやら、奴の警察に対する宣戦布告を意味するメッセージだったような。
東は、この映像を見て、より一層怒りが増してきた。顎に手をやり、唸るような声で「くっ、これは警察への挑戦ですね」と言った。
一方、警視も、同感であっただろう。「そうだ」と言った後、テープを取り出し、無造作に振りながら、「これと同じ物が一部マスコミにも送られている」と渋い顔で答えた。
すると今度は、西村が口を開いた。
「奴は何者なんでしょう。本当に鬼頭の甥でしょうか?」と。
警視は、「それは分からん。こちらの調べでは甥はいるみたいだが、該当する者に辿り着かんのだ。もう一度、性別は問わず、女である可能性も考えて徹底的に捜査するしかないな」と答えた。
「しかし、厄介ですね。素性もはっきりしない、何をする気なのかも分からないとは……」そして、さらなる西村の声に、
「仕方ない。今は静観の構えで待つしかあるまい」と警視は言った。
目下のところ、警察の方も行き詰りを見せているようだ。
それでも、事前に犯罪者の悪事を防ぐのが彼らの使命だ! よって最後に、東が強い口調で、
「何にせよ、奴がどう動いても、すぐに対応できるよう準備だけはしておきます」と断言した。警察官の総意を示した格好になったよう。
「よし、たのんだぞ。十分注意して取りかかってくれ」そして警視の方も、当然ながらその言葉に期待したであろう。
続いて東たちが、「ハッ!」という力強い敬礼を済ませて、今回の会議は終わった。
警官たちは、闘志を胸に、それぞれの持ち場に戻っていったのだ。
吉永の資金パーティが、再度開かれていた。今回の場所は大きな神殿風の建物、ギリシャチックなホールだ。用心してか小規模だが――警護として、東、西村、他3人が見回っている中――取りあえず100名以上の客が楽しんでいた。
そして、主催者の吉永は、恰幅のいい羽振りがよさそうな男と寄り添い、何やら親密に話し込んでいる様子だ。この場所は客にとって絶好の機会なのだろう。客はそれぞれ、海千山千の金の亡者たちだ。ここぞとばかりにお互い自分を売り込んでいた。
一方、そんな中で、東たち警察官は全ての客に目を光らせながら警護に当たっていたという訳だ。
ところが、ここで、さらに注意深く辺りを見回していると、客の中に信じられない者の姿を捉えたような?
「あそこに座っているのは……あの女だ!」何と、東に注射をした女が、対面式のカウンターでカクテルを飲んでいたのだ!
よもや、こんな場所で出会うとは……。これには、東も驚いた。と同時に放ってはおけないと思ったため、訝りながらもすぐさま近づいていった。
だが、その接近を逸早く察したか、女の方が先に、
「あら、東さん、お元気?」と何の警戒も見せず、気さくな態度で声をかけてきたという。
おっと、これは先制パンチを貰ってしまったか? この出し抜けのご挨拶には、流石に東も拍子抜けした。故に、
「君、何でここに?」と思わず問いかけてしまう。
すると女は、「その前に、いつぞやは御免なさい。私、お金をいただくと悪い仕事も請け負うの。だけどあなたのことだから大丈夫だと思って」と悪びれることなく淡々とした口調で答えた。
これは……さらなる絶句か? 東は、知らぬ間に「君は何者だ?」という言葉が口をついて出た。
そうすると、次に女は、「私は花崎桃夏と言います。普段は本名を名乗らないのよ!……でもいいわ。それに今日は、吉永先生のパーティに招待されたんです」と素直に答えたみたいだが……まだ、謎が多すぎる。もう少し情報が必要だ。そこで再度、
「単刀直入に訊こう。いったい、どちら側に就いているんだね?」と尋ねた。だが、女の返答は希望に叶うものではなかった。
「えっ、違いますよ。私はお金さえいただけばいいんです。表や裏のどの組織にも属していませんから」と実に呆気羅漢と言ったのだ。そしてグラスを持ち上げ、「私を逮捕します?」小悪魔のような目で、東を覗き込んで訊いたという。
「いや……」彼女の態度には戸惑うばかりだ。とはいえ、この大胆不敵な女に少なからずも興味が湧いてきた。ただ、本当に厳鬼との繋がりはないのだろうか? もしかすると、この女自身が厳鬼本人という可能性もあるのだが……。そこで東は、もう暫く観察することにした。
よくよく見れば、体つきは身長が女性にしては高い方、スタイルは女性らしく膨よか、と言うよりとてもグラマラス。胸は大きく膨らみ、腰は細く尻にかけて見事な曲線を描いている。それにワンポイントのお洒落なのか、髪に1輪の花を飾りつけていた。つまり、どう見定めても厳鬼ではないと思えた。
(……どうやら、他人の空似だったか?)結局は、そう結論付けるに至る。そして、(それなら、取り合えず今は、彼女の言ったことを信じるしかないようだ)とも判断を下した。とはいえ、何かしら悪人に関するヒントが欲しかったため、
「君は厳鬼を知っているかい?」と尋ねてみた。
そうしたところ、「ええ、この前の雇い主。私はレディーフラワーと言う名で仕事を請け負っただけ、詳しくは知らないわ」と答えた。
その返答で、東は何となく花飾りの意味が分かった気がした。
ならば続いて、可能性は低いだろうが、最も重要なことも問うてみた。
「奴の顔は見たのかい?」と。
「いいえ、直接雇い主には会わないから」
「そうか……」やはり、通り一辺倒な答えだったよう。東は、少々落胆した。
するとここで、唐突に花崎が話題を変えた。吉永の隣の中年男を指差して、
「そうそう、この前のお詫びに、とても興味深い事実をお教えしますわ。あの人物をご存知?」と訊いたのだ。
東は、当然何のことか理解できなかったが、取り敢えずその質問に応じることにした。
「ああ、もちろん分かっているさ。金光権郎、町の有力者、多数のビルオーナー、デネコンの社長、他飲食業も手掛ける人物だよ」と言って、世間では有名な人物だと伝えた。
だが、彼女は、それ以上のことを知っていたみたいで、
「それは表の顔、裏の顔はあまり認知されていない」と呟いた後、「忠告しておくわ、あの人には注意した方がいいわよ!」と厳しい顔に変貌して言い切っていた。
どうやら……何か剣呑そうなことを匂わせているような? 東は、花崎の言葉が妙に引っかかった故、遠目から吉永に話しかける金光を眼光鋭く見つめるのであった。
そんな中、突然西村が現れたか? 東に電話だと伝えに来たみたいだ。
そこで、すぐさま外へ出る。電話は車に設置した警察用の携帯だ。
そしてその相手とは、「東か? 私は上溝だ」何と、意外な人物からの電話だったのだ!
「どうしたんですか?」彼は、少々困惑して訊いた。
そうすると、「君だけに話がある。この電話では駄目だ。他の人間も信用できん」と話し口調が険しく捲し立てるように答えた。
「……分かりました。では、どこかで会いましょう」ならば要望に応えて、落ち合う場所だけを告げて電話を切った。
東は、ただちに上溝と約束した場所へ向かうことにした。
簡易な木の板で仕切られた入り口が見えてきた。針金で留めているだけの質素な扉だ。
東は、到着するなり、早々に扉の針金を外し中へ入った。
その場は草が一面に生えた荒地で、廃墟となった4階建ての古びれたビルも建っていた。しかも、その建物は、外壁のコンクリートがひびだらけで今にも崩れそうな様相だった。
東は、そんな荒れ果てたビルに沿って歩き始める。
そうしたところ、「こっちだ!」と叫ぶ上溝の姿を目にした。建物の陰から顔を覗かせたのだ。どうやら、隅に隠れて待っていたのだろう。その様子は落ち着きがなく周囲を警戒しているかのようだ。――確かに何か変だ――
「さて、話とは何でしょう?」東は、早速尋ねた。
すると、間髪入れず、「助けてくれ! 私は切られそうだ」と上溝は焦り顔を見せて言った。
だが、当然ながら東は事情が分からないので、鎌をかけてみることにした。
「厳鬼ですか?」と。
「そうだ。奴は私が邪魔になったんだ、いろいろ奴の悪行を知っているから。この前の君を捕まえる計画も、変装の名人だから伏線を敷くべきだと忠告したのに! その失敗はまるで私が悪いみたいな言い草を……あいつは暴君の殺人鬼だ」
やはり……睨んだ通りか? ただ、情況を理解したにせよ、こんな場所では詳しいことも聞けない。よって、
「では署に行きましょう。署で」と東が促したのだが、何故か上溝は、さらにオドオドした仕草で両手を振りながら、
「駄目だ!? 内部に通報者がいる。それに奴らの計画で――」と答えた?
「えっ! 内部通報者?」何と、会話の途中で――予想もしない――聞き捨てならない言葉を聞かされたようだ! これには、東も一瞬固まった。そしてそうなると、もう上溝の話どころではなくなった。東は眉を顰め、どう対処すべきか思案し始める。……が、そうした中、まるで彼らの密談を邪魔するかのように、この場でも異変が起こった?
突然、入口の方から呻き声と転倒した音が聞こえたかと思ったら、『コロンコロン』という音とともに缶のような物が足元に転がってきて――最初は何か分からなかったが――それとはなしに垣間見たところ……「げっ!?」次の瞬間、背筋が凍りついた!
何と、そこにあったのは――手榴弾!――
忽ち――大爆音が轟き渡った!――故に、凄まじい勢いで破裂して一気に爆風を噴き上げたのだ!
ところが……この危機は、間一髪、何とか東が防いだか? 衝撃波が広がる中、上溝を前方に突き飛ばし、そして彼自身もその反発力を利用して後方のビル真下に飛び退いたため、2人とも助かった。……と思いきや、いいや、まだだ!? 危険は過ぎ去っていなかった! まさか、その直後に、ちょうど東の真上のビル壁が、爆風で崩れてしまったではないかァー!
「うわぁぁー!?」立ちどころに、まるで大岩とも見紛うほどの巨大なコンクリートが、大量の瓦礫とともに降り注いできた。
――駄目だ! こうなると、もう誰も逃げられない――
そして、東が呆気なく、(よもや、そんなことがあろうかッ!)あっという間に大岩塊の下敷きになってしまったのだァー!
〝後には、瓦礫の山を隠すよう、白い煙と砂塵だけが濛々と、辺り一面に舞い上がっているだけだった……〟
「あわわわわ……」すると次に、この光景を目の当たりにしていた上溝の方は、大いに慄いたのであろう。慌てふためいて一目散にビル裏へと逃げて行った。
一方、上溝と入れ違いに、警護するため同行していた西村が――彼も爆音を聞いたようだ――驚いた様子でビル前から飛んで来た。
とはいえ、手の施しようもない悲惨な状況を前にして、彼に何ができよう……。信二は、ただ立ち尽くしているばかりだった。
それでも――返事など期待できなかったであろうが――「あ、あずまさん!」辛うじて声を絞り出したか?
そして、さらにもう一度、虚しく響こうとも、その名を繰り返すのであった!
「――東警部!?――」と…………