第4話 もう一つの宿命(第一章ラスト)
この場は、何の変哲もない、広大な海原が広がる埠頭の一角だった。海は穏やかで周りに船も見当たらない。
ところが、そんな静寂な海で、突然予期せぬ光景が展開された。何かが音を立てて海面に浮上してきたのだ! そして、素早い動きで岸壁へと泳ぎ着いたかと思ったら、係船柱に縛りつけられたロープを掴んで――ちょうど海まで垂れ下がっていた――這い上がってきたという。
そう、その影とは、言わずもがな〝東九吾!〟やはり彼が、剛に変装して厳鬼と対決していたという訳だ。――手には偽りのマスクを持っていた――
続いて東は、ゆっくりと係船柱に腰を下ろした。辛くも危機を避けることができたということをしみじみと回想しながら。(しかし、危ないところだった……。一歩間違えば死を迎えていたであろう爆発の瞬間に、何とかトラックから逸早く飛び退いて難を逃れることができたが、それがいかに困難だったか。その証拠に、図らずも背中に軽い火傷を負ってしまった)と。そして、もう一度、これまでの闘争を思い起こしつつ海を見つめるのであった。
すると、そこに、パトカーのサイレン音が聞こえてきた。
どうやら、数台のパトカーが連なって到着したようだ。
「大丈夫ですか? 東さん」次いで先頭車から声が聞こえてきた。彼の顔を模したマスク[それは陽動作戦が成されたという証拠の品]を手にしながら降りてきた、信二だ!
東は事も無げに答えた。
「ああ、平気だよ」と。
さらに信二は、最も知るべき顛末について問いかけてきたか?
「厳鬼と金光は海に沈んだままですか?」と。
東は、渋い顔で答えた。
「たぶん、2人とも車内にいては逃げられようもないのだから、爆風を諸に受けているであろう。生きているとは考え辛いな……」と。
とどのつまり、捕えることは叶わず、悪党の死で終わったみたいだ。⦅ただ少し……呆気なさすぎるとも思えるのだが⦆
東の顔に、無念の色が浮かんでいた。
「さーて、海からトラックを引き上げるぞ。お前、クレーン車を手配し――」
そんな中、警官たちの慌ただしい声が聞こえてきた。急いで作業に取りかかろうとしているようだ。
東は、その光景を見るまでもない。
ゆっくりと振り返り、その場を去って行ったのであった――――
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
10 一刻の終焉
そして、その翌朝のこと。
東は麗らかで暖かな日差しの中にいた。この日は、事件が一応の解決を見たことで非番であったのだけれども、彼にすれば休みなどないも等しい。新たな犯罪が待ち構えているという思いから、東は一人、署に向かうため公園の並木道を歩いていたのだ。
それでも、行き交う人々の様子を見れば、今日も平和で変わらない普段の生活が始まっていることだけは実感させられた。
すると暫く歩いた所で、木にもたれかかり、しおらしい顔で誰かを待っているかのように佇む、1人の女を目にした。
「こんにちは、東さん」
桃夏だ。
「ああ、こんにちは」彼もすぐに返した。東は、桃夏が会いに来るということは分かっていたが、こんなに早急に来るとは思わなかった。
「金光は死んだみたいね。ニースで知ったわ」と彼女は言った。
「はい、聞きましたか。まだ死体は上がってないですが……」東もその結末に関しては、やぶさかでなかった。これで、悪の根を一つ絶ち切れたのだから。(だが厳鬼と金光、まだまだ謎が多く、納得できる終焉とはいかなかったことも事実だ)
ところがその後、円満に話していたというのに、「私がこの手で仕留めたかったわ」と言う声が聞こえてきたかと思ったら、突然桃夏が東の頭上を飛び越え、あろうことか後ろ蹴りを繰り出そうとしてきたではないか!
これには、東も驚くしかない。素早く振り向き、両手で彼女の足を受け止めた。
「何をするんだ? 桃夏さん!」そして。慌てて問い質す。
すると……「あら、御免なさい。確めたかったのよ。でもやっぱりね、同じ攻撃は受けないもの」と彼女は唇に微笑みを浮かべて悪気はないとでも言いたそうに淡々と答えた。さらに怒ってはいないようだが、「だけど貴方、何故あの時、私の邪魔をしたの?」と理由だけは知りたそうな口調で尋ねてきた。
(やはりバレていたか?)流石に彼女ほどの兵ともなれば、安易な変装など通用しないのだろう。東はそう思いつつ、少し弱り顔で話し始める。
「ははは、分かりましたか?……そうですね、その訳は2つあるんです。1つは何を企てているかを探っている最中だったので、金光を死なせられなかった。それともう1つは、あなたを殺人者にさせたくなかったんですよ」と。
桃夏は、その声に耳をそばだてて聞いている様子だった。が、その後、何故か唐突な変貌ぶりを見せ、少女みたいな仕草で東の腕に纏りつき、「いいわ、許してあげる」と笑ったのだった。
東は、その返答を聞いて取り敢えず安堵した。ただし……桃夏の本意は計り知れず、疑問が残ったことは言うまでもない。
そうして次に、「その代わり今日は私とつき合って」と彼女は甘えた声で囁いた。
「ええ、分かりました。喜んで」東は迷うことなく返答した。肘に桃夏の豊満な胸の膨らみを感じると同時に。
それから2人は腕を組み、すっかり恋人気取りで歩き出した。
「そうそう、スウィーツの美味しい店があるんですよ」
「えーっ、それは楽しみね」
並木道を1組のカップルが、たった一時だけ嬉しそうに歩いている。
しかし、その後ろを凍りつきそうな風が吹き抜けていった。
未だ、知られていないことが、起ころうとしている、前兆のように!――――
完