第4話 もう一つの宿命(6)
厳鬼は、何事もなかったようにハンドルを握っていた。側で倒れ込む、金光の姿を垣間見ながら。
どうやら、警官たちの追跡をかわしたようだ。もはや誰の姿もバックミラーに映っていなかった。
それにしても、想定外の邪魔が入るとは思いも寄らない、辛うじて難局を切り抜けられたが危ないところだった。とはいえ、まだまだ道半ば、油断はできない。仮面男は、気持ちを引き締め、無心でトラックを走らせるのだった。
ところが、ここに来て、何やら奇妙な出来事を目にした? 何故か助手席のドアが微妙に開いたような……
と、その途端、突如ブレーキペダルを踏み込んだ! 厳鬼は、咄嗟に気づいたのだ。
――忽ち、甲高いブレーキ音が鳴った!――よって、トラックは前のめりになり、助手席のドアもその慣性力の影響を受けて大きく前に開き……それとともに、驚きべき事実が明るみになったかッ? (そう、辛うじて策を見抜いていた)
何と、剛が、ドア枠にしがみついていたではないか! (どうやら、あの瞬間、車のドアに跳び移っていたようだ)
だが、結局のところ……無駄骨だったという話だ。したたかな男に通用する訳がなかったのだ。一時前まで露とも知らず走らせていたが、途中で勘付くことができたため、急ブレーキをかけて彼の存在を暴くという筋書きに持っていけたのだから。そのうえ、その姿を露呈させたことで好機に転じられたか? 何故なら、一瞬ブレーキをかけて減速したとはいえ、すぐさま高速走行に戻したことで、剛はふらつくドアにしがみついたまま動きが取れず、奇襲をかけるどころか彼にとっては危険極まりない状況になったからだ。つまり、ドアが上下左右に大きく揺れている中、足場のない細い枠に辛うじて捕まっている状態では、いつ落下するとも限らない。それこそ、絶体絶命と言うしかない場面に陥っていたのだ!
「全く、無謀な賭けに出たものよ……」それ故、厳鬼でさえも、流石にこの光景を目の当たりにしては思わず憐みの言葉をかける。とはいえ、同情するのもこの一瞬のみか? 容赦の二文字など一切持ち合わせていない男に、敵を気遣う気持ちなどあるはずもなく、それどころかさらなる苦境を与えんと、とんでもない計画までも謀っていた。
ちょうど前方左側の道路脇に……あの、おあつらえ向きの物が現れた所為だ。
何と、あれは――ブロック塀!――要は、コンクリート壁に剛をぶつけて完膚なきまでに打ち砕こうと考えていたのだ!
さあ、剛にとっては大変な事態になったぞ! 刻々と時間が過ぎる中、トラックは徐々に左へと傾き始めたのだから。このままではどれほどの手練れであっても助かりはしない。
ただし、そうは言っても――ここで厳鬼は、突如案じる――もし、負傷するのも厭わず今から飛び降りたとしたら?……。いいや、不可能だ! 既にトラックは左に寄り過ぎているため逃げる道幅がない。決行すれば、忽ち後輪にひかれて命がなくなるであろう。やはり完全に逃げ場を失っていたのだ!
――剛よ、もうどうすることもできないぞ!――
そして、そう結論付けた後、とうとう厳鬼は、力任せにハンドルを左に切ったかァー!
――とてつもない衝突音が響き渡った!――金属と石が嫌というほど擦り切れる音が、寒心に堪えられない強音となって辺りに満ちる。と同時に、剛がしがみついているであろうドアは、圧迫の衝撃と摩耗で夥しい火花を発生させ、ズタズタに引き裂かれたではないかッ!
まさに、残酷な光景が展開されのだァー!
何てことだ! 遂に彼が、壮絶な死を迎え……
否、ちょっと待て! 少し様子がおかしい。助手席側のドアが見るも無残に破壊されたことは事実だが……その直後にトラックのフロントガラス下部にも変化が現れ、何か黒い影が見え隠れし始めたような?
あれは、もしかすると、「……うぬぬっ!」人の手?
そうだ。間違いなく、上腕部!
――何と、信じられない、剛だ! 彼は生きていたのだァー!――どうやら間一髪、衝突する寸前にバックミラーを掴み取り、強引に前方へと移動していたに違いない。しかも、既に反撃を試みようとしているみたいで、バンパーを足場とし両手でワイパーを伝いながら運転席に近づいてきていた。
何という、驚くべき身体能力を持つ男よ!……。流石にこれを目にしては、厳鬼も恐れ入った。とはいえ、「くくくっ、しくじったか!」それ以上に悔しさも、当然ながら湧き上がってきた。そして、さらに述べるとするなら、この時点で――薄々は感じてはいたが――ある真相を確信する。
それは、〝これほどの芸当ができる者は、この世の中で奴をおいて誰が存在するというのかッ!〟という事実だ。やはりあの男が、紛れ込んでいたのだ!
厳鬼は、苦笑いを浮かべた。それから、道理でそうそう簡単に仕留められないはずだと、今更ながらに納得していた。
ただし、もう気に病むこともないであろう。外を見渡せば、漸く大海原を背にした埠頭が見えてきたからだ。
仮面男は、さらに強くハンドルを握り締めた。
そして、海を目指して只管トラックを走らせるのであった!――
9 最後の決戦
――危機一髪だった! 何とか、車体の前部に移動し、難を逃れることができたか?――
一方、剛は、己の運動能力の秀逸さに感謝しながらもホッと胸を撫で下ろしていた。とはいえ、まだ安堵している暇などなかったか? 故に、足場を確保しつつ運転席へと歩を進めていたことは言うまでもない。
それにしても――するとここで、ふと疑問が湧いてきた――奴はいったいどこを目指しているのだろうか? その顔に余裕さえ浮かべて、まるで岸壁から海へダイブしそうな勢いでトラックを走らせているようだが、目的地がさっぱり分からない。このまま進んだところで、行き着く場所は船着場……。否、待てよ――そして次に、突如嫌な予感が脳裏を走る――もしかすると本当に突っ込むつもりかもしれない。まさか金光と心中する気か? と。
そこで、もう一度、その旨を探ろうと奴の顔を覗き込む。
そうすると、思った通り奴の瞳の中に悪漢たる素性が見て取れた。やはり何か企んでいるに違いなかったのだ!
ならば、こうしてはいられないぞ! 奴の悪事を防ぐため、彼は運転席へと懸命に急いだ。……ただし、そうは言っても、簡単にいかないのも現実のよう。今なお車は、激しい振動を伴い猛烈に走り続けているのだから、思うように進むことができなかった!
それでも……何とか先を目指し、ちょうどフロントガラスを挟んで、厳鬼と相対する位置にまで到達する。
……と、その時! 遂に奴が、仕掛けてきたか? ゆっくりとその手を懐に入れたかと思ったら、時計仕掛けの小箱を取り出したのだ。
「むむっ!……」いったいそれは、何だァー? つまるところ、彼の勘が当たっていたのではないのかッ? その形状から判断する限り、おそらく恐怖の根源となりし物に相違なかった!
そう、その物体とは?……
――時限爆弾だ!?――
まさに、今にも爆破されようとしている危険物が、奴の手の中にあった! この最終局面において、とうとう切り札を出してきたのだ。しかも、挑発するかのごとく爆弾を高々と掲げ、わざとフロントガラス越しに見せつけてきた。
さあ、大変なことになったぞ! 早く辿り着かないと、全てが噴き飛んでしまう。
だが……状況は全く変わらない。風圧と振動に晒されてはそうそう簡単に進めないのだ。
対して厳鬼の方は、そんな彼の慌てる姿をまるで喜劇でも観賞しているかのような目で見下し、「わっはははは――」と高笑いをしていたという。
そして、その直後、遂に恐れていたことが……。奴の指が、時限爆弾のスイッチを押したのだァー!
『60、59、58、57……』
――とうとうデジタルカウンターが、進み出してしまったかァー!――
しかし……奴の悪行はそれだけで終わらなかった? 続いて、慎重に爆弾をダッシュボードに置く仕草を見せた。
(な、何をする気だ?)
そのうえ、運転席のドアノブに手をかけ、体ごと押しつけたよう。
(よもや、爆弾を残し、己1人だけ外に逃げるつもりか?)
忽ち、彼の怒りが爆発した。
――ええい、おめおめと逃してなるものかッ!――
とはいえ、そうは言っても、奴の逃亡を止める手段がない!
すると、次の瞬間、遂に厳鬼は、ドアに体を密着させ扉を開けたではないかァー!
⦅駄目だ。このままでは逃げられてしまうぞ!⦆
ところが、その時だ!
〈おりゃー!?〉苦心惨憺、彼の反撃が漸く狼煙を上げた。ここぞとばかりに運転席のバックミラーを両手で掴んだなら、振り子のごとく体をしならせ、奴の開けたドアを、全体重が乗った脚力で蹴りつけたのだ!
――ただちに、強音が鳴った!?――ドアが一気に閉まるとともに、その衝撃はいとも簡単に悪党を弾き飛ばし、運転席の床へとひれ伏せさせる。
何とか……防いだかッ! これで奴も籠の鳥。
だが……言うまでもなく、仮面男の逃亡を阻止しただけで、悦に入っていられない。まだ危機は去っていないのだ! 爆弾を乗せたトラックが、依然として高速で突っ走っているのだから。
しかも、いつの間にか、辺りは潮風が吹きすさび、景色までも変わった……
「むっ! なに?」
――何と、既に埠頭の先端、もう目の前は海だァー!――
〈うわわわーー!?〉
10メートルを超える巨体が岸壁から飛び出し、宙に舞い上がったのだァァー!
途端に――途轍もない、大爆音が轟いた!?――海にダイブすると同時に時限爆弾が破裂し、ガラスや鉄塊を凄まじい勢いで噴き上げてしまった! まるで、人々を恐怖に陥れるほどの火の粉と黒煙を発生させながら。
とうとうトラックが、噴き飛んでしまったのだ! 何という壮絶な結末を迎えたのであろう。《もう誰の生存も、期待できない》
それでも、運転席だけは見るも無残に噴き飛んでいたが、まだ車は原型を留めていた。例えるなら、大きなアルミの箱とでも言おうか、燃え盛りながら海面を漂い始める。
だが、それも一時のこと。徐々に海水が流入し、それに合わせてゆっくりと沈下したなら、後には何もなかったかのように海の中へと吸い込まれていったのであった!――――