第1章 世界の交差 -1-
「……この状況は、いったい何なんでしょう?」
冷や汗をだらだらと流しながら、東城大輝はか細い声で問いかけていた。
場所は地下都市第2階層。
軍事目的で開発された九千もの能力者が自由を手に入れ、表社会から姿を隠しながら暮らす為に作ったその都市の中でも、自然を残した住宅街の階層である。
彼の服装はつい先週までの夏服姿ではなく、軽く袖をまくった長袖のカッターシャツにスラックス、ブレザーはなくネクタイを緩く締めただけ、という少々だらしのない格好だ。しかしそれなりに様になっているのは、元々の彼の容姿のおかげだろうか。
まぁ、どちらにしてもこの状況では瑣末な問題だ。
午後六時のことである。
既に日は沈み、学校帰りに立ち寄ったその階層の大きな公園にて。
東城大輝は、ベンチにくくりつけられていた。
首より上以外が動かないよう、太い麻の縄でしっかり全身を縛られている。何故こうなるまで気付けなかったのか、不思議でならないほどだ。
「何って、アンタが逃げるからでしょうが」
そう言って、可愛らしげに頬を膨らませながら麻の縄を弄んでいるのは、柊美里である。
華奢な身体で、その長く美しい金色の髪を風になびかせるその姿は、見る者全てを圧倒するような美貌を持っている。長袖の真っ白いブラウスと紺色のミニスカートという、どこにでもありそうな制服でさえ、持ち前の美貌で完全に着こなしているくらいだ。――しかし、そんなものは縄一つで台無しになっているのだが。
「そうですわ。大輝様に逃亡の意志さえ無ければ、わたくし達もこの様な手荒な真似は致していません」
同じくふくれっ面になりながら、今なおベンチ東城をしっかりくくりつける為に新たに結び目を増やしているのが、七瀬七海だ。
柊に勝るとも劣らない容姿を持ち、ブラウンの髪をハーフアップに編みこむなどオシャレにも気を配っている。こちらは制服ではなく、いつも通りのピンクと黒を基調としたフリルのついたワンピース姿である。――が、綺麗に整えた爪で東城を更にきつく縛りあげているので、そんな気配りは何の役にも立ってはいない。
「いきなり縄を持った人間二人に追いかけ回されて、逃げない奴がいると思ったのか!?」
ガタガタと身体を揺らすが、麻の紐が身体に食い込むだけで逃れることは出来ない。そもそもベンチ自体が地面に固定されているので、持ち上げて動くことも無理だ。
「あら。ですが、三日前からこそこそと逃げ続けられたが故の行為ですわ。大輝様が、きちんとわたくし達の話を聞いて下さっていれば、何の問題もありません」
にっこりと七瀬は微笑むが、東城にはそれが悪魔の微笑みにしか見えなかった。
「アンタはただ、私か七瀬の料理、どっちが美味しかったかを言えばそれでいいのよ?」
柊のその要求は、何よりもハードであることを彼女たちは理解していない。
四日ほど前、東城大輝はとある事情で姉である西條真雪との激闘を繰り広げていた。そして、柊と七瀬はそれを黒羽根美桜に誤魔化す為に、サプライズで自分たちが料理を作っているので、帰りを遅らせるように画策したという説明をした。
結果、対戦を終えた東城が全ての後片付けを終わらせて帰って来たとき、目の前には柊の料理と七瀬の料理があり、どちらが勝者を決めろと尽く迫られたのだった。
もちろん、東城はお茶を濁し続けている。
敗者がキレて東城に八つ当たりをするさまが、どちらを選んでも見えているからである。
「忘れた! もう四日も前だからどっちが美味しかったか忘れました! だから引き分けってことにしよう!?」
「そんなので納得するわけがないでしょ」
「はい。――そして、大輝様がそう仰られるだろうと思って、わたくし達は今日、新たに料理を作って参りました」
「どこまで見透かされてんの、俺!?」
恐ろしいほどに用意周到だった。東城の苦肉の策の逃げ道など、あっという間に打ち砕いてくる。
「本日の料理対決のテーマは『お弁当』ですわ。学校帰りのこの時間を見越した、夕食のメニューを想定しています」
「……分かった、潔く食べよう」
自分の意見を完全に無視して司会進行をしていく七瀬を見て、東城は深いため息をついてようやく逃走を諦めるのだった。
「では、どうぞご賞味下さいませ」
そう言って、七瀬と柊は同時に弁当を取り出した。
柊の方は、一段の平凡な弁当だ。白いご飯と、ちょっと焦げて不格好な卵焼きと、唐揚げときんぴらごぼう。――正直、茶色い。弁当で良くあるミステイクである。
七瀬の方は、二段重ねで保温機能のある弁当箱だ。少し暖かい白ご飯と、家庭料理の定番でニンジンなんかを星型に型抜きしたりした、見るも鮮やかな肉じゃが。他にも綺麗に焼き上がった卵焼きにほうれん草と人参の胡麻和えと言った、とても手の込んだ綺麗な弁当だ。
「……これは勝ちましたわね」
七瀬が柊の弁当を見て、ふふんと鼻を鳴らした。それも、そうだろう。誰が見たって、きっと柊自身が見たって、七瀬の弁当の方が絶対に美味しそうだ。
――が。
「あ、うん。いや、七瀬のも美味そうだよね」
東城は言葉を濁すしかない。
素直に思ったことを口にしたら、絶対に七瀬が怒るからだ。
「……あら。どうしたのですか、大輝様。まだ一口も食べていないと言うのに、どこか柊美里の料理の方に眼が行っている気がするのですが?」
その東城の些細な変化を見逃さず、七瀬は詰め寄ってくる。額にはうっすら青筋が浮かんでいるので、怒ろうとしているのは明白だ。
「いやそんなことはない。どっちも美味そう……」
「では、その前に何か奥歯に物が挟まったような言い方を直していただけますか?」
凄まじい怒気を感じ、東城は七瀬から目を逸らす。こんな東城でも一応は最強の超能力者を名乗っているというのがまた情けない話である。
「いや、ホントに何にもない――」
「言って頂けないのなら、この状態で更に縄を締め上げますわよ」
「うわぁ、何だかとっても言いたくなったなぁ」
既に痛いくらい――を超えてちょっと皮膚が紫になる寸前まで縛り上げられている東城は、完全な棒読みで七瀬に服従する。これ以上締め上げられたら、軽く傷痕が出来そうなのだ。
「あの、ですね」
「はい」
「肉じゃが、昨日食べた」
「……」
「今日の昼に食った俺の弁当、その残り」
「…………」
東城が素直に吐露すると、七瀬さんは完全に黙り込んでしまった。
「ふふ、ふふふ……」
やがて、七瀬はうすら寒くなるようなか細い声で笑い始めた。正直、夜中のテレビからこの声が聞こえてきたら三日くらい夜中一人でトイレに行けなくなりそうだ。
「では、わたくしがこれ程の料理を作れる様になったと言うのに、たった数カ月でここまでレベルを上げたと言うのに、わたくしでは柊美里のこの茶色くて不細工な弁当にさえ勝てないと?」
「誰の弁当が不細工よ」
さりげなくけなされた柊の抗議も、七瀬は聞き入れやしない。
「なるほど、そうですか」
「あの、七瀬さん? ちょーっと、顔が恐いですよ……?」
「生まれつきですわ」
満面の真っ黒い笑みを浮かべた七瀬の目だけは、一ミリも笑っていなかった。東城の脚がガタガタと震えるくらいには、その笑みは恐ろしい。
「いや、ほら。まだ食ってないし、七瀬が負けたと決めるには早計じゃないかなーとか……」
「では、美味しいと言って食べられますか? 昨日の夜に食し、今日の昼にも食べたという肉じゃがを、大輝様は心の底から喜んで食して下さるのですか?」
「も、もちろん……」
「……」
じとっと、七瀬が睨んでいる。どうやら東城がこっそり「ちょっと飽きるよな……」と思ったことまで見抜かれているようだ。
「……こうなったら、いっそ大輝様の舌をわたくしの料理以外を受け付けなくなるまで調教――もとい、洗脳せねばなりませんわね……」
「言い直した割に何も変わってねぇけれど!?」
恐怖しか感じない東城はじたばたと暴れようとするが、ベンチにくくりつけられている以上何も出来ない。
「さぁ、大人しく――」
「目つきがもう駄目だよ、お前!」
血走った目で東城の口に肉じゃがを詰め込もうとする七瀬は、もうネジや歯車がぶっ飛んでいる様子だった。
「さぁ、さぁ……ッ!」
「チィッ!」
東城は盛大に舌打ちして、自身の超能力――燼滅ノ王を使う。
麻の縄は一瞬で灰と化し、東城は自由を取り戻した。それと同時に、東城は全速力で地面を蹴って七瀬の横をすり抜け、公園の外へと向かう。
「ちょ、待ちなさいよ! せめて私の弁当くらい食べて行け!」
「無茶苦茶言うな、柊!」
既に肉じゃがを箸で摘まみ上げていた七瀬は、流石に東城を追いかけては走れない。しかしまだ弁当を開いただけの柊は、問答無用で東城を追いかけてきたのだ。
「そんなに私の弁当はまずそうってわけ!?」
「違うからまずはその電撃の槍を収めようか!?」
柊が威嚇すらなく放つ電撃の槍をどうにか避けつつ叫びながら、東城と柊はそのまま公園の外へと走り、
消えた。
唐突に、何の前触れもなく。
東城と柊の姿は消失したのだ。
「……はい?」
はっと我に返った七瀬が慌てて追いかけて公園の外を見渡すが、そこにはもう彼ら二人の姿はなくなっていた。
いくら二人の足が早くとも、流石にこの刹那で消えるなんて考えられない。――まるで、神隠しだった。
「何が、どうなっていますの……?」
七瀬の問いに対する答えは、どこからも返って来ない。
彼女の声は、ただただ真っ暗な夜の空へと無情に呑まれるだけだった――




