プロローグ
誰も見ていない。
頬にあたる草が雨でぬれている。
空は、雨のおかげで不純物が取り除かれて、さっきより深く澄んだコバルトブルーになっている。
私は思い切り伸びをして、白いため息をついた。
私はいつもこうして、その日の出来事を振り返る。
今日は……。
風が冷たい。まさに今の私にぴったりだ。
吹奏楽部の一日練がやっと終わって、その帰り道だ。私は友達に「帰ろう」と言われたけど、ほかの友達がピアノを弾いてたから待ってって言った。そして、帰るときに、数メートル前にいたから、追いかけた。そしたら、走って逃げられた。だから、「バイバーイ」も無視した。
もう疲れた。虹、出ないかなぁ。
ひとりぼっち。でも、悲しいなんて思ったことない。超絶人気モデルのお姉ちゃんの芸能界話が好きだから、家にいたい。そう、いやになったらお姉ちゃんの教室に行けばいい。それで、お話を聞いて……。
5分も10分も待ってたけど、虹は出てこなかったから帰ることにした。
「あ、双葉じゃん。遅いねぇ、一日練?おつかれさん」
お姉ちゃんの平野風花。正統派美人と言われているらしい。確かに、まつ毛は長いうえに上向きで、二重で、瞳は茶色でぱっちり。根っからの色白で、顔も小さい。余計なお肉がついていないから、すっきりして、健康そう。どちらかといえば茶色寄りの黒色の髪の毛は、まっすぐうねることなく腰まで伸びている。そして、背が高い。
それに比べて私は?私は童顔だって言われる。風花と並んでみたら、ちょっと背は低い。でも風花に劣らず二重で、まつ毛は長くて上向きで、瞳は茶色でぱっちり。根っからの色白で、真珠みたいに透き通っている。顔も小さいし、股下90センチ。健康そうなお肉のつき方。髪の毛は、やわらかい。笑うと笑窪ができて、八重歯。お母さんは矯正したほうがいいっていうけど、私はやだ。このほうがかわいいって言われる。
「あんたも芸能界入りしたらいいのに。」
と、風花はよく言う。まったく非現実的。
「私より双葉のほうが演技力もトーク力も、ファッションセンスもあるし、大人の会話についていけるし。調和もできるでしょ?それに勉強できるから、心配しなくても大丈夫。」
こういわれると、ちょっと入ってみたくなる。でもだめ。私は、ただでさえ追いつけない塾の宿題と予習に、拘束時間がもっとも長いとされている吹奏楽部に入っているの。そんな、芸能界入りなんかしたら部活に行けないわ、塾の宿題はできないわで心がガラスみたいに幾つもの破片になって飛び散っちゃう。そして、その破片は周りの人たちに刺さってしまうの…。
でも、風花はちがう。吹奏楽部の練習の後は急いでご飯食べて塾に行って、金曜日はそのまま新幹線に乗って東京へ。土曜日の夜8時くらいに帰ってくる。そのうえ、ぜーんぶ両立して、今では雑誌のトップの座にいるのに、ここらへんではナンバー1の高校に通っている。
私は不意に風花の横顔を見た。透き通るような真珠の肌に、情熱のバラの赤色のくちびる。
風花が働いている現場に足を運んでみたい、と私は心の中でそう叫んだ。