表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

金魚

作者: 梨音

「私、貴方が嫌い」

 金魚が一匹、小さなガラスのコップの中を泳いでいた。少し前に彼が持って来たものだ。友達と夏祭り行くって言ってたよな、それで金魚すくいしたんだけど全然すくえなくって、なんか屋台のおっちゃんに同情されちゃって、はは、それで一匹もらったんだ、これ香苗にあげようと思って――小さな朱色のそれが一匹だけ泳ぎ回っている、水の入ったビニール袋を差し出しながら。確かに少し前からしつこいほどに夏祭りに行くと言っていた、あれは嘘ではなかったらしい。私は口元に笑みを浮かべて、ありがとう、かわいいね、とそれを受け取る。ほっとした様子でじゃあな、と背中を向ける彼に金魚ごとビニール袋の水をぶっかけてやりたい衝動を抑えて、うんまたねと手を振って、それから――

 食器棚から小さなコップを取り出してテーブルに置き、口を開けた袋をコップの上で逆さまにした。

 ばしゃん、と水は勢いよく袋から落ちてきて、瞬く間にテーブルと私のTシャツの前面をびしょ濡れにした。テーブルのへりから落ちる雫がぽたぽたと私の足を濡らす。水に濡れた袋を放ってコップを見ると、中にぽつり、と紅い点があった。まさかいるとも思ってなかったのに、大部分の水はコップへは入らなかったというのに、どういう確率だろう、金魚はそこ、小さな透明のコップの中にきちんと存在していた。コップの高さ半分くらいまでの水と共に。

 いてほしくなんてなかったのに。

 コップを真上から覗き込んで、彼の代わりにそいつを睨めつけてやる。ちろちろと細かく動き回る朱色の身体は、白々しい電球の明かりをうけて一層明るく輝いている。私、貴方が嫌い。刹那その言葉はするりと私の口から飛び出した。それは決して意識的なものではなくて、けれど今の私にはぴったりの言葉。私、貴方が嫌い。繰り返し繰り返し言う、金魚にぶつける、ああしかし当の金魚に聞いている様子はない。それは今、優雅に底の辺りをさまよっている。

 私、貴方がが嫌い。今度は水面に顔を近づけて、奴に意味が分かるようゆっくりと発音してやった。わ、た、し、あなたが、き、ら、い。コップの内側が白く曇り、水面は小さく震える。金魚が一瞬こちらを見たように思えた。目が合う。先に視線を逸らすのは金魚で、取り繕うように水面までやってきて口を開閉、ぱくぱくとやりだした。それを見ているとなんだか優越感のようなものがむくむくと湧いてきて、意識するより先に口から笑いが飛び出す。はっは、はっはっは。自分のものとも思えない高笑い。止まらない。止まらないまま、金魚と同じ視線になるように床に膝をつく。膝が濡れるなんて気にしてはいられない。右手で、そうっとコップをテーブルのへり近くまで持ってくる。人差し指だけでぐいと押すと、あまりにも軽いそれはあまりにも呆気なく横に倒れた。かつん、と軽い音、こぼれる水、転がるコップ、テーブルのへりからしたたる雫に混じって落下してくる朱色のかたまり。避けようと身を引くと、勢い余ってずしんと尻もちをついてしまった。三角を形づくる足の膝の間から金魚を見つめる。それは今フローリングの上でぴちぴちと元気よく跳ねていた。けれど、飛び散る水滴がきらきら光る様に見惚れているうちにそれもだんだんと弱くなっていって――動かなくなった金魚の尾びれをつまむ。目の前に持ってくるとどんよりとした目はそれでも私を見つめていて、はっはっは、はっは、私はまた笑いが止まらなくなる。

「私、貴方が嫌い」


 ――誰か助けて。



「私、貴方が嫌い」という台詞から掌編を書くという企画に参加した作品をちょこちょこと改訂して。


読んでくださってありがとうございました、良かったら感想も残していってくださいな*

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 文章がきれいです。 リアルな情景と、不安定な心情のバランスがとても良いと思います。 [一言] 唐突に始まった物語、何が彼女をそんなにいらだたせたのだろうと緊張しながら読みました。 最後の一…
[一言] ストレートな書き方でわかりやすいと思います。 少女がこの先どうなるのかが金魚に暗示されているようですこし肌寒くなりました。
2011/03/16 09:21 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ