二重の検査
新東京、調律局中央医療施設。
一週間後、男は初めての「週次検査」を受けた。担当は、久瀬ではなく、別の医官だった。若い女性。表情がない。おそらく、最近初期化されたばかりの者だ。
「真波恒一執行官。検査を開始します」
全身スキャナーに横たわる。機械の音が、体内を走査していく。
「驚くべきことに」
医官がモニタを見ながら言った。
「あなたの体内に、第二の免疫システムが検出されました。本来のものとは異なる抗体パターン。HLAタイプも微妙に違う。まるで——」
「二人分の血液が混ざっているように?」
「いえ」医官は首を振った。「一人の身体の中で、二つの系統が共存しているように。互いを攻撃せず、領域を分け合っている」
男は目を閉じた。Mの記憶が、自動的に引き出された。紫杉醇の過量摂取。自己免疫の崩壊。しかし、最期に——何かが変わった。
「双方向凪化の際」
医官が推測を述べた。
「相手の細胞情報を、ある種の『共生体』として取り込んだのでしょう。通常なら排斥反応が起きるはずですが、あなたの場合、共鳴適性がそれを許容した」
「問題はありますか」
「現時点では、機能的には」医官はデータを確認した。「むしろ、免疫力が向上しています。M執行官——元対象の——経験した病原体に対する抗体も、あなたが獲得しているようです」
男は目を開けた。白い天井。
「つまり、私は彼の『免疫記憶』も継承した」
「そう言えます」
検査は続いた。脳波。心電図。骨密度。内分泌バランス。すべての項目で、基準値からの逸脱が見られた。しかし、それは「異常」としてではなく、「進化」として記録された。
検査終了後、男は施設の中庭で休息を取っていた。
そこへ、久瀬が現れた。私服だった。局の制服ではなく、灰色のコート。
「予想外の報告だ」
彼女は、隣のベンチに座った。
「局の上層部は、あなたを『新種』として分類することを検討している」
「新種」
「『共鳴融合体』。仮称だ」
久瀬は、手に持ったコーヒーカップを見つめた。男には、それが何の飲み物か分かった。Mの味覚記憶が反応した。ブラック。砂糖なし。少し冷めている。
「私を解体するつもりか」
「検討段階だ」
「答えになっていない」
久瀬は、初めて彼を見た。まっすぐに。
「あなたの存在が、局の前提を崩す。個は統一されているべきだ。感情はコード化されるべきだ。あなたは、両方を否定している」
「否定はしていない」
男は反論した。
「重層化しているだけだ。統一性は保たれている。ただ、深さが増した」
「詭弁だ」
「Mの言葉です」
男は認めた。「彼はよくこう言っていた。『調律局は平面を愛する。私たちは立体を愛する』」
久瀬は、カップを置いた。
「あなたに、選択肢を提示する」
「何の」
「解体を避けるための」
久瀬はタブレットを取り出した。そこに、新しい任務の概要が表示されている。
「次の対象。コードネーム『海鳴り』。北東沿岸部で活動する、Mと同様の『逃亡者』。局は、あなたに接触を任せたい」
「なぜ、私に」
「Mの経験があるから」
久瀬は事務的に言った。「同様の融合を、対象に対して実現できれば、物理的戦闘を回避できる。局の損失を最小限に抑えられる」
男は、タブレットを見つめた。
「私を、実験台にするつもりか」
「成功報酬として、『共鳴融合体』の正式な個体保護を約束する」
「失敗したら」
「解体」
久瀬は隠さなかった。
「局にとって、あなたはリスクだ。制御できない変数だ。有用性を証明しなければ、消去される」
男は、中庭の空を見上げた。新東京の空は、葛巻の空とは違う。色が薄い。境界が曖昧だ。
「受けます」
彼は言った。
「ただし、条件がある」
「何だ」
「対象との接触後、葛巻に戻る許可を得たい。年に一度でいい」
「理由は」
「灰の確認です」
男は、久瀬の目を見た。
「Mの残りが、まだそこにあるかどうか。風で散っていないか。誰かに踏まれていないか」
久瀬は、長い沈黙の後、頷いた。
「承認する」
彼女は立ち上がった。
「次の任務は、三週間後だ。準備を」
「久瀬官」
男が呼び止めた。
「Mの『灰』は、局のサンプルとして回収されましたか」
「……いいえ」
久瀬は、僅かに口ごもった。
「あなたが、現場で全てを」
「払い込みました」
男は補った。「手のひらで。肌で。呼吸で」
「知っている」
「なぜ、止めなかった」
久瀬は、答えなかった。ただ、背中を向けたまま、歩き去っていった。
男は、一人、ベンチに残された。胸の奥で、二つの心拍が重なり合う。自分のものと、Mのものと。もはや区別はつかない。
「海鳴り」
彼は、次の対象のコードネームを呟いた。
「お前も、海を見ていたのか」
風が、答えなかった。




