オタクヒーローと炎のコミックマーケット(予告編)
※予告です
人々の熱気がこもり、それがねっとりと渦巻いている。囁くような声は一様にある種の興奮を帯び、互いを牽制しながらも同種の臭いにほくそ笑むような微妙な距離を保っていた。
彼らの俯き加減の視線の先には、その道に通じる者には垂涎のお宝や、彼らが創り出した作品が所狭しと並べられている。
飛び交う金は、惜しまれる様子がない。まさに、ここが勝負の場だと、どの人間も躊躇いなくそれらを手に入れるために、決して少なくない額の金を手放していく。
「やっぱり、いつ来ても、ここは異様ですよね~」
売り子をしている僕は、隣でサービスでスケッチブックにイラストを描いている大森に声をかけた。大森は「そうか?」と呟くような声で、目線もくれずにスケブ(と言うらしい)に線を引き続ける。ちょっと傾いで覗くと、大森の分厚くて大きな手から生まれているとは思えないほどの、繊細で可愛らしい美少女の笑顔が見えた。
「コミケ……最低」
後ろでそう呻いたのは、対人恐怖症で、ここに来るなりパニくり具合を悪くした中林だ。無理やりさせられたアニメキャラのコスプレが痛々しく見えるほど、今、彼は蒼白な顔で僕らの大学サークル日本文化研究会、通称オタク部のブースの奥でうずくまっている。
「仕方ないじゃないですか。これって、唯一って言っていいほどの、僕らのサークル活動なんですから」
僕は少々気の毒に思いながらペットボトルの水を差し出し、中林の丸まった背中を見つめた。対人恐怖症の人間をコミケに連れ出すというのが、そもそも非情な仕打ちのように思えた。
コミケ、正式にはコミックマーケット。もしくは同人誌即売会。今、僕たちがいるのはそんなオタクの祭典とも言うべき会場で、サークルでとったブースでグッツや同人誌を売っていた。商品は主に大森の作ったアニメ、漫画系の同人誌や便箋、バッチ、フィギュアなどがメインなんだけど、一応サークル活動ということで、特撮オタクの僕やゲームオタクの中林もかり出されている。
周囲は昼に向うにつれ、人の数が増えてきていた。部長の樹先輩の話によれば、午後が一番かきいれどきだそうなので、中林にとってはこれからがまさに正念場だ。
奪うように水を受け取り、口につける中林。ペットボトルを傾ける姿も、まるでCMのイケメン俳優のように決まっている。たとえ、アニメのコスプレをしていたとしても、だ。しかし、悲しいかな、本人は自分のその容姿には全く関心ないらしく、ついでに3次元の女子にも食指が動かないので、さっきから僕らのブースを横切る女の子たちがよこしてくる視線にも、まるで無関心だ。
「はぁ。早く先輩戻ってくんねぇかな」
中林は一気に水を飲み干し、青い顔のままで僕に愚痴った。僕はさっき手に入れた特撮系の同人誌を閉じて腕時計を見る。
「そろそろ帰ってくると思いますけどね」
「小木。先輩はどこに行った?」
まだ大森がスケブに視線を置いたまま呟くように尋ねた。
季節感ゼロの万年タンクトップ。彼もまた、中林と同様に2次元にしか興味を抱かない種類の人間だ。もう一度覗くと、さっきの女の子の髪の毛の色がピンク色に染まっていた。
「OBを迎えに行ったはずですけど」
僕はいすに背を預け、胸元のボタンを二つはずして空気を入れるように肌をさらした中林を振り返ってた。隣のブースの売り子さんが「きゃー」と小さく悲鳴を上げる。嫌な予感がして隣の売り物をちらりと見ると、『や』がつく系統の耽美なイラストが並べられていた。
「そこの君! 顔色が悪いぞぉ!」
その時だ。さらに彼女たちの黄色い声が大きくなるようなことが起こったのは。
タンクトップからのぞく筋肉だらけの太い腕。季節を無視した日に焼けた肌。無駄に輝く白い歯。そして定規を引いたようなきっれいな角刈りの男が、いきなり僕らのブースをひょいと飛び越えると、中林の肩を抱いて、鼻先まで顔を近づけたのだ。
額と額がこっつんこ……。気色悪い男同士の絡み合いにしか見えない光景が、そこに生まれる。
「ん~。熱はないようだな。念のため、調べてあげよう」
男はそういうと強引に中林の体のあちこちを触り始める。
「な、中林?」
突然現れた変人……変態? に完全に固まる中林をよそに、男は遠慮のかけらも見せず、さわさわと体中を撫で回す。
「ん~。若干脈が速いか。眼瞼もやや蒼白気味だし、貧血か?」
男はものっすごい真剣な顔をして、ぶつくさ呟く。見ると、中林は顔にまで鳥肌がたっていた。
「お、大森! 警備員呼んだほうが良くないですか?」
僕は完全にドン引きしてしまい、こんな状況にも関わらず未だにスケブにかかりきりの大森をつついた。
大森は面倒くさそうに「どうして?」と呟く。
どうして? どうしてって、こんな怪しく危険な奴、放置する方がどうかしてるんじゃないか?
「ん~。君、ちゃんと朝飯は食ってきたか? いいかい。朝食を制するものは一日を制するのだ。ただし、食べればいいというものではない。完璧な朝食というのはだな……」
手をこまねいているうちに、どうやら角刈り男の講義が始まってしまったらしい。中林は、というと。やばい。魂が体から抜けかけている。
「大森! 僕、やっぱり警備員を……」
そう立ち上がった僕の腕を誰かがつかんだ。
「やめとけ」
大森だ。ようやくペンをおいたアニメオタクは、そっと角刈りを見やると、まるで僕を諭すようにこういったのだった。
「あれはOBの一人」
「へ?」
「先代の部長。健康オタクの毎日元気先輩だ」
「お、OBぃ~?!」
僕は思わず声をあげた。確かに奇人変人が多いうちのサークルだけど、過去にこんな濃いキャラがいたなんて……。
「おう! 後輩! 挨拶がおくれたな」
角刈り男が振り返る。その腕にはなぜかお姫様抱っこされた、今や魂の抜け殻となった鳥肌中林。
先輩の無駄に熱い笑顔がにっと僕の方に向けられ、白い歯が陽光がさほど差さないコミケ会場でキラリーンと輝く。
「俺が、毎日元気。健康のためなら死ぬのもいとわない、日本の未来を健康で救うナイスガイだ!」
「ぼ、僕は小木正義です。はじめまして」
そして、さようなら、と言いたい。
「どうやら、可愛い後輩の具合が悪そうだから、外の空気を吸わせに行ってやるよ! 部長はもうすぐ来るはずだから、よろしく伝えておいてくれ」
「は、はぁ」
「では、のちほど!」
先輩はそういうと、驚くべきことに、中林を抱えたまま、来たときと同じように僕らのブースを脅威の跳躍で飛び越え、走って行ってしまった。
中林の頭がぐらんぐらん揺れている。僕は心の中で合掌しながら、嵐のように去っていく先輩を見送った。
「なんだったんだ……」
思わず呟き、崩れるように椅子に座り込む。なんか、悪い夢でも見たようだ。っていうか……ふと疑問がわいて、大森を振り返る。
「先代の部長って、樹先輩が迎えに行ったんじゃないの? それに、さっきの人も『部長はもうすぐ来る』って言ってたけど、どういうこと?」
大森がぶっとい指で器用にマーカーを紙の上に滑らせる。やはり視線はそこに向けられたまま。
「先輩が迎えに行ってるのは、もっと偉い人」
「偉い人?」
大森が揺れる。たぶん、頷いたのだ。首がないからわかりづらいけど。
「ここのコミケの主催者で、サークルの創設者」
「え」
マーカーが最後の色を添えた。軽快な音がして、今日の日付と大森のペンネームが入れられる。
「伝説のアニメオタクだよ」
嫌な予感に背筋が凍る。なんだ? あれ以上に大物が来るっていうのか?
大森はふぅと息をつくとスケブを閉じた。そして何事もなかったかのように、同人誌を買いに来た客から金を受け取る。
僕はぼんやりその様子をみてから、ごくりとつばを飲み込み、視線を巡らせる。
地方都市で、大型なコミケに行くには交通費がかなりかさむこの場所に、初めてコミケを開催し、十年以上も主催し続け、今や町おこしの一つに目されるまでにした男。それが、僕らのOB……。
考えるだけで、げんなりする。
僕は深くため息をついて、現実から逃げるように隣のブースに目をやった。
隣の売り子さんがスケッチブックに腐的イラストを描いているのが目に入る、それがさっきの角刈りと中林とわかり、僕はさらに脱力した。
本気で帰ろうかな、なんて悩み始める。
この時、まだ僕は知らなかった。
樹先輩と伝説のOBが、この会場に送りつけられた爆破予告に頭を抱えており、その事件に僕たちが巻き込まれていくことになるなんて……。
これは『オタクヒーローと秘密のブログ』『オタクヒーローと賢者の嘘』というシリーズ作品にです。
ただいま、この物語を書くにあたり、キャラクター募集をさせていただいております。
もし、少しでもご協力くださる方は、活動報告を参照に、お力を貸していただけると幸いです。
どうか、よろしくお願いします。