第6話 甘未茶屋
「朔太郎、お待たせしました」
「学校お疲れ様です」
朔太郎は校舎から出てきた伊織を正門で出迎える。朔太郎がこの生活を続けて一週間経つが、帰宅する女学生達からの視線は緩和されるどころか増している気がする。
怪訝そうにこちらを見る人、はにかんだ様に視線を逸らす人、こちらを見て楽しげにヒソヒソ話をしてはしゃいでいる人達。反応は三者三様だが、未だに慣れない。
「鞄、持ちますよ」
「大丈夫です。ところで朔太郎、わたくしが学校にいる間は一度家に戻っているのよね?」
「いいえ。表向きの仕事は伊織さんの護衛なので、学校にいる間も校舎近くで待機しています」
「ええっ!? そうだったの?」
伊織は目を丸くして驚いた。
「じゃあ、昼食はいつもどうしているの?」
「食べてないですけど」
「はあ~。わたくしうっかりしておりました……」
伊織は片手で頭を抱えて、溜息をつく。
「今まで気付かなくてごめんなさい」
(なぜ謝るんだろう。実際僕は不利益を被ったわけでもないし、困っているわけでもないのに……)
「そうだ。今までのお詫びといっては何ですが、帰りに何かご馳走します!」
伊織は両手で朔太郎の手を握り、勢いよく言った。お詫びされる覚えがない朔太郎は断ろうと思ったが、あまりにも申し訳なさそうな顔をしているので、断るのも悪い気がしてきた。そして正直なところ……朔太郎は空腹だった。
「それって、なんでもいいんですか?」
「何なりと仰ってください!」
――――――
向かったのは、町から少し外れて、竹林を抜けたところにポツンと一軒だけ建っている甘味処「甘味茶屋 ミツハシ」。
任務が終わったらよく立ち寄る朔太郎馴染みの店だ。
「こんにちは」
店の店主に挨拶をする。
「いらっしゃい。いつもの兄ちゃんか。好きな場所に座ってくれ」
「天気もいいことですし、外で食べますか?」
朔太郎は伊織に提案する。
「いいですね。そうしまょう」
二人は店外にある長椅子へ、横並びで腰を掛けた。
「羊羹、注文してもいいですか?」
今回の任務に就く直前、羊羹を完食できなかったのがずっと心残りだったのだ。
「もちろん」
「すいません。羊羹、二人分お願いします」
「はいよー」
店主は快く返事をする。
「朔太郎は羊羹が好きなの?」
「僕、基本甘いものは何でも好きです。この前ここの羊羹食べそこなっちゃったんでずっと食べたくて」
「そうだったのね!」
「羊羹二人前、ここ置いとくね」
店主が皿に載った羊羹を運んできた。
羊羹は艶やかな煌めきを放っている。
(そう、この艶! 芳醇な香り。これぞミツハシの羊羹!)
羊羹を目の前にした朔太郎の心が弾む。
「いただきます!」
羊羹を二等分し、朔太郎は一口でぺろりと食した。自然と笑みがこぼれる。
「ふふ。朔太郎が美味しそうに食べているところは本当に愛らしい」
「伊織さんは羊羹食べないんですか?」
「よろしければ、こちらの羊羹も半分どうぞ。半分あればわたくしは十分ですわ」
「いいんですか?」
朔太郎は伊織の言葉に甘えることにした。次回いつ来られるか分からないから、食べられる時に食べておかないと。
「実はね、以前一度だけこのお店に来たことがあるのだけど、そこで朔太郎を見かけたの」
「えっ、そうだったんですか」
「ええ。わたくしも甘いものが好きで、学校帰りの息抜きに一人で立ち寄ったの。その時、すごく美味しそうに食べている方がいて。確証はなかったけれど、今羊羹を美味しそうに食べる貴方を見て、やっぱりあの時の方だなって」
自分の知らないところで認識されていたなんて、朔太郎は照れくさい気分だ。
「でも、そんな一度きりの人の顔、覚えているものですか?」
「その姿がとっても印象に残ったんです。なんだかこっちまで幸せな気分になったから。それに、現にこうして一度きりではなかったですし」
伊織は小首を傾げて微笑んだ。その姿が可愛くて、朔太郎は直視できず無意識に目を逸らした。
「そうだ、羊羹以外になんでも食べてくださいね」
さすがにそれは申し訳ないと、朔太郎は首を横に振る。
「んー、ではこうしましょう。このお店で食べてみたいものが沢山あるのですが、一人では食べきれないの。よろしければ、わたくしが一口頂いた残りを貴方が食べてくれると助かるのだけど」
「え……いいんですか?」
「お願いしているのはこちらですよ?」
そう言って伊織は、桜餅、おはぎ、お団子と次々に注文していく。
「んー、美味しい。ミツハシさんの和菓子はどれも美味しいのですね」
美味しそうに和菓子を頬張る伊織。伊織が食べた残りを朔太郎が食べていく。こんなに沢山の甘味を一気に食べたのは初めてかもしれない。朔太郎は、乾いた喉が水を欲するかのように、任務終わりには毎回甘い物を食べた。疲弊した心身の隅々までも満たされていくような感覚に、いつも救われるからだ。
だが任務は終わっていないのに、伊織と食べる和菓子はいつもより美味しかった。何故なのか。その答えが出そうになったところで、朔太郎は自身の思考に蓋をした。その理由が分かってしまうと、次に甘味を食べに来た時「美味しい」を感じなくなってしまう気がしたからだ。
「もう夕方ですね。そろそろ帰りましょうか。朔太郎のおかけで沢山の甘味を味わえました」
「僕の方こそ役得です。ご馳走様でした」
「朔太郎、餡子が付いてます」
伊織はハンカチを出して朔太郎の口元を拭く。まるで小さな子供に母親がするように。朔太郎は恥ずかしさから一気に顔が熱くなった。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。私こそ役得です」
小首を傾げてにっこり笑う伊織に、朔太郎は顔だけでなく身体全体が熱くなって、また目を逸らしてしまう。
恥ずかしさから、帰り道では殆ど口を開かなかった。会話はなかったけど、隣を歩く伊織が妙に上機嫌であることを感じ、朔太郎の口元がふっと緩んだ。