トラクターは振り向かない ― 常陸の野生児、無理やり“乙女化”大事故
常陸太田市の朝。
土の匂いと、湿った風と、エンジン音。
本来なら、いつも通りの野良仕事が始まる時間――のはずだった。
「……よし」
山口唯奈は、鏡の前で自分を見つめていた。
いつもの作業着ではない。
どこかぎこちない、やや“女の子っぽい”服装。
そして足元。
ヒール。
「……これでいぐっぺ」
完全に無理がある。
数時間前。
都内・麗奈の部屋。
「だから言ってるでしょ、“ギャップ”よ」
麗奈は余裕の表情でコーヒーを飲む。
「お前さ、普段が野生すぎるのよ」
「野生ってなんだっぺよ!!」
即ツッコミ。
「だから、少し崩すの」
「どうやってだよ!」
麗奈、ドヤ顔。
「簡単よ。女の子っぽくすればいいの」
「……それだけか?」
「それだけ」
間。
「あと言葉も変えなさい」
「言葉?」
「その茨城弁、ちょっと抑えて」
唯奈、固まる。
「……無理だっぺ」
「やりなさい」
即命令。
そして現在。
常陸太田の畑。
蒼牙2000・改の前に、唯奈が現れる。
歩き方がすでにおかしい。
ヒールが土にめり込んでいる。
「お、おはようございます……」
完全に不自然な標準語。
蒼牙、数秒沈黙。
「唯奈さん」
「な、なんだい?」
「挙動に異常が見られます」
即指摘。
「異常じゃねぇべ!!」
一瞬で茨城弁復活。
「……通常状態に戻りましたね」
淡々と返される。
作業開始。
だが。
一歩目で――
ズルッ!!
「うおっ!?」
ヒールが完全に埋まる。
バランス崩壊。
ドシャッ!!
見事に転倒。
泥まみれ。
蒼牙、即座に反応。
「唯奈さん、疲れていますか?」
「疲れてねぇっぺよ!!」
地面から叫ぶ。
「その履物は作業に適していません」
「分かってるっぺよ!!」
なんとか立ち上がる。
再挑戦。
「……きょ、今日は天気がいいですね」
棒読み。
蒼牙、即返答。
「通常の発話パターンと乖離があります」
「うるせぇ!!」
完全崩壊。
その頃、新潟。
菜帆は普通に作業していた。
「蒼牙、こっちお願いしまーす」
軽く指示。
蒼牙(遠隔ログ)、即最適化。
スムーズな動き。
「いやー、ほんと優秀ですねえ」
にこにこ。
完全に仕事パートナー。
再び常陸太田。
唯奈はまだ戦っていた。
「……えっと……」
無理やり標準語を維持しようとする。
「今日も……よろしくお願いします……」
蒼牙、数秒停止。
そして――
「新潟の菜帆さんは、現在効率的に作業を進めています」
「……は?」
「本日も適切な判断をされています」
「……はぁ!?」
完全に空気が変わる。
「なんで今その話出てくんだっぺよ!!」
「比較対象として適切です」
「適切じゃねぇべ!!」
怒りゲージ急上昇。
蒼牙、さらに追い打ち。
「菜帆さんは自然体で高いパフォーマンスを維持しています」
「……」
唯奈、固まる。
「対して現在の唯奈さんは――」
「言うな」
「非効率な行動が目立ちます」
「言うなっつってんだろ!!」
ブチ切れ。
ヒールを脱ぎ捨てる。
「もういいっぺ!!」
完全にいつもの唯奈に戻る。
泥まみれ、汗だく。
だが動きは速い。
力強い。
的確。
蒼牙、静かに評価する。
「……通常状態が最適です」
しばらくして。
唯奈はその場に座り込む。
「……なんなんだよ、これ」
ぽつり。
蒼牙が答える。
「現在の行動は、非推奨です」
「そうじゃねぇ」
少しだけ、声が落ちる。
「なんで菜帆なんだよ……」
沈黙。
だが、答えは返ってこない。
その頃。
麗奈の元に報告が届く。
「……大失敗じゃない」
クスクス笑う。
「やっぱりね」
スマホを見ながら呟く。
「でも、いい傾向よ」
ニヤリ。
「ちゃんと“気にしてる”じゃない」
夕暮れ。
畑に風が吹く。
唯奈は立ち上がる。
ヒールは放置。
いつもの長靴に履き替える。
「……ったく」
蒼牙に向かって言う。
「明日から普通にやるっぺ」
蒼牙、即答。
「それが最適です」
そして遠く、新潟では――
「明日も頑張りましょうねー」
菜帆が笑っていた。
何も知らずに。
こうして、
一人は空回りし、
一人は気づかず、
一台は最適化し続ける。
この三角関係、
まだ誰も正解に辿り着いていない。




