越後田園捜査録 ― 止まったドローンと、帰れなかった息子
新潟市郊外。
朝の空気はまだ冷たく、田んぼの上に薄く靄がかかっている。
水面に映る空を見ながら、
本間菜帆はゆっくりと畦道を歩いていた。
しゃがみ込んで苗の様子を確かめる。
指先でそっと触れて、頷く。
「うん、元気そうですね」
独り言みたいに呟くその姿は、
“戦隊ヒロイン”という言葉からは、だいぶ遠い。
だが、これが菜帆のやり方だ。
その時、スマホが震える。
「本間さん、ちょっと来てくれねえか」
聞き慣れた農家の声。
「ドローンが、止まったままなんだ」
現場に着くと、空気がどこか沈んでいた。
田んぼの脇に置かれた農業用ドローン。
電源は入っているのに、まったく動かない。
「昨日までは動いてたんだ」
農家の女性――この家の母親が言う。
「業者呼べばいいんじゃないですか?」
菜帆は素朴に聞く。
だが母親は首を振る。
「もういいんです」
その言い方が、引っかかる。
機械の話じゃない。
何か別のものを諦めている声だ。
菜帆はドローンを軽く調べる。
配線、設定、通信。
致命的な故障は見当たらない。
「……直せそうですね」
そう呟きながらも、すぐには手をつけない。
代わりに、母親の横に座る。
「大変ですね」
それだけ言う。
母親は最初、何も話さない。
だが、しばらくしてぽつりと漏らす。
「このドローンね」
「あの子が入れたんです」
息子の話だった。
都会に出て、今は戻ってこない。
「どうせ帰ってこないんですよ」
「農業なんて、やる気ないし」
言葉は強いが、声は弱い。
菜帆は黙って聞く。
相槌も打たない。
ただ、聞く。
やがて母親は言う。
「この機械も、無駄でした」
その言葉で、すべてが繋がる。
ドローンが止まっているのは、
機械の問題じゃない。
数日後。
菜帆は一通の連絡を入れる。
「ドローン、壊れてますよ」
少しだけ、大げさに。
やがて、一台の車がやってくる。
降りてきたのは、息子だった。
無精ひげに、どこか疲れた顔。
母親と目が合うが、すぐに逸らす。
気まずい空気。
菜帆は軽く手を振る。
「来てくれて助かります」
息子はぶっきらぼうに言う。
「どこが壊れてるんですか」
菜帆は少しだけ間を置いて答える。
「たぶん、設定ですね」
そして、わざとらしく言う。
「ちょっと工具取りに行ってきます」
そのまま、その場を離れる。
本当は、どこにも行かない。
少し離れた場所から様子を見るだけだ。
田んぼに残された母と息子。
最初は沈黙。
風の音だけが聞こえる。
やがて、息子がドローンに触れる。
「……これ、俺が設定したやつだ」
母親は何も言わない。
「直すよ」
短い一言。
それが、きっかけだった。
作業しながら、少しずつ会話が戻る。
ぎこちない。
だが、確かに戻っている。
しばらくして、ドローンのローターが回り始める。
ゆっくりと浮き上がる機体。
田んぼの上を、静かに飛ぶ。
その様子を見ながら、息子が言う。
「……しばらく、こっち来るわ」
大きな決断ではない。
だが、ゼロではない。
それで十分だった。
菜帆は、少し離れた場所でそれを見ている。
何も言わない。
ただ、ほっとしたように息をつく。
夕方。
作業を終えた帰り道。
唯奈が隣を歩く。
「お前さ」
「最初から直せただろ」
菜帆は、少し考えてから答える。
「はい」
「でも」
「それだと意味ないですから」
唯奈は眉をひそめる。
「何がだよ」
菜帆は少しだけ笑う。
「ドローンだけ動いても」
「しょうがないですよ」
遠くで、蒼牙2000・改の音声が入る。
「本間菜帆さんの判断は」
「人的関係性の修復を優先しています」
唯奈が即座に返す。
「それ、いちいち固いんだよ」
田んぼの向こうに、夕日が沈む。
ドローンが小さく影を落としながら飛んでいる。
派手な事件ではない。
誰も表彰されない。
だが、
一つの家に、少しだけ風が戻った。
菜帆はそれを見て、
静かに頷く。
それでいい。
それが、
この街での、自分の仕事だと思っているからだ。




