越後田園捜査録 ― 消えたコシヒカリと、嘘の匂い
新潟市郊外。
朝露に濡れた田んぼが、やわらかい光を反射している。
その中を、長靴のまま歩く一人の女性。
本間菜帆。
スマートファームの管理を任される“女王”でありながら、
その姿はどこにでもいる農家の娘と変わらない。
しゃがみ込んで苗の様子を確かめ、
手のひらで土を軽くすくい、匂いを確かめる。
「うん、大丈夫そうですね」
誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやく。
そんな菜帆のもとに、一本の電話が入る。
「ちょっと来てくれねえか」
声は焦っていた。
「米が、なくなった」
現場に着くと、空気は重かった。
農家たちが集まり、倉庫の前で立ち尽くしている。
本来なら出荷を待つコシヒカリが、
ごっそり消えていた。
「鍵は?」
「壊されてねえ」
「じゃあ誰が…」
疑いの視線が、少しずつ交差し始める。
菜帆はその中に入る。
「ちょっと見てもいいですか」
誰も止めない。
倉庫の中を静かに歩く。
床、壁、搬出口。
目立った破壊の痕跡はない。
外に出る。
トラックのタイヤ痕が残っている。
だが、その跡は妙に雑だった。
「……おかしいですね」
誰にも聞こえないように呟く。
プロの盗難なら、もっと慎重だ。
これは違う。
菜帆は一人ずつ話を聞き始める。
雑談のように。
天気の話から始めて、少しずつ本題へ。
誰も強く問い詰めない。
ただ、聞く。
やがて一つの名前が浮かび上がる。
若い後継者の男。
ここ数年で設備投資を進めていたが、
うまくいっていないという噂があった。
菜帆は、その男の家を訪ねる。
玄関先で、少し迷う。
そして、いつもの調子で声をかける。
「こんにちは、本間です」
男は出てきたが、目を合わせない。
菜帆は、いきなり核心に触れない。
「最近、どうですか」
間の抜けたような問い。
だが、それがいい。
男は少しだけ肩の力を抜く。
「……まあ、ぼちぼちです」
沈黙が流れる。
菜帆は言う。
「困ってますよね」
男の表情が固まる。
「何がですか」
強がりだ。
菜帆は責めない。
「米、売るつもりだったんですか」
その一言で、空気が止まる。
男は何も言わない。
だが、沈黙がすべてを語っていた。
やがて、ぽつりと漏れる。
「……どうにもならなかったんです」
設備投資の失敗。
借金。
先の見えない不安。
追い詰められていた。
菜帆は、しばらく黙って聞く。
相槌も打たない。
ただ、聞く。
やがて言う。
「大変でしたね」
責める言葉ではない。
その一言で、男は崩れる。
数日後。
菜帆は農家たちを集める。
普通なら、糾弾の場だ。
だが菜帆は、違う言い方をする。
「この人、今やめたら終わりです」
空気がざわつく。
怒りと戸惑い。
「でも」
菜帆は続ける。
「まだやれると思います」
一人のベテラン農家が腕を組む。
「だったら最初から言えや」
その一言で、場の空気が少し緩む。
結論は、意外な形に落ち着く。
盗んだ米は正規ルートで再出荷。
借金は再建計画を組む。
男は働いて返す。
罰はある。
だが、終わりではない。
夕方。
田んぼに風が吹く。
菜帆は一人、畦道に立っていた。
そこへ唯奈がやってくる。
「お前さ」
「甘くね?」
率直な言葉。
菜帆は少し考えてから答える。
「甘いですよ」
そして、笑う。
「でも」
「なくなっちゃう方が、もったいないです」
何が、と唯奈は聞かない。
分かっている。
人も、田んぼも、全部だ。
そこへ蒼牙2000・改の音声が入る。
「本間菜帆さんの判断は」
「持続可能性の観点から合理的です」
唯奈が即座に返す。
「またそれだっぺ」
三人のやり取りの向こうで、
田んぼは静かに揺れている。
事件は終わった。
だが、大きな勝利ではない。
ただ、
一人の農家が、踏みとどまっただけだ。
それでも菜帆にとっては、
それで十分だった。
今日もまた、
新潟の田んぼには、
嘘の匂いと、ほんの少しの正直さが、
風に混じって流れている。




