解読不能。グレースフォース暗号事件簿 ――ヒロ室、知的百合に敗北する
ヒロ室の控室は今日も騒がしい。
美月と彩香がカレーは甘口か中辛かで論争し、麗奈が「それよりナン派はどうなん?」と余計な火種を投げ、隼人補佐官は「会議前なんだから静かに」と言いながらあたりM田のクラッカーを三枚確保している。
その一角だけ、空気が違う。
駿河の良心・杉山ひかりと、千葉の叡智・館山みのり。
グレースフォース。
二人は並んで座り、同じタブレットを覗き込み、ほとんど声量を変えずに会話している。
「今日は南東寄りだね」
ひかりが柔らかく言う。
みのりが即答する。
「偏西風の蛇行、収束傾向」
美月「……何の話や」
彩香「天気予報か?」
しかし二人は続ける。
「等圧線、きれい」
「高気圧、安定」
「視程、良好」
麗奈「会話しとるんか、それ?」
実はこれ、暗号だ。
「南東寄り」=今日は少し緊張している
「収束傾向」=でもあなたといると落ち着く
「高気圧」=安心してる
「視程良好」=ちゃんと見えてるよ
他のヒロインは一切わからない。
ヒロ室ミーティングスペースでも同じだった。
真帆が各省庁と電話でやり合い、琴音がコピー用紙を抱えて疾走している横で、グレースフォースは静かに囁く。
「潮位どう?」
「平常。でも夕方は満ちる」
隼人補佐官「満ちるって何がだ」
みのり「……いえ、感情です」
ひかりが微笑む。
隣で水無瀬澪が小声で言う。
「なんか文学部のゼミみたい」
違う。
これは完全に二人だけの世界だ。
さらに厄介なのは、会話の速度。
ひかり「今日は富士がきれい」
みのり「空気乾燥度、低」
ひかり「うん、透明」
みのり「見通し、未来」
完全に詩だ。
しかも論理的。
国立大の国際教養学部同士。
語彙の密度が異常。
その様子を、少し離れた場所から見つめる女がいる。
港区女子にして孤高の理性派、柏木理世。
理世は腕を組み、分析する。
「彼女たちは、地理的メタファーを感情表現に転用している……面白いわね」
そして静かに近づく。
「その“南東寄り”というのは、地政学的な含意を含んでいるのかしら?」
ひかりとみのり、同時に首をかしげる。
「いえ、感情です」
「純粋に感情です」
理世「……そう」
割って入ろうとしたが、距離が近すぎる。
物理的にも精神的にも。
二人の椅子の間はゼロセンチ。
タブレットも半分ずつではなく、完全共有。
理世は一瞬ためらい、そして悟る。
「これは……外部から侵入できる領域ではないわね」
静かに撤退。
その背中を見て美月が囁く。
「港区女子、敗北やな」
一方、当の二人はまったく気にしていない。
「今日、空澄んでるね」
「うん。視界、無限」
ひかりが少しだけ声を落とす。
「でも、たまに霧も必要だよね」
みのりが即答する。
「霧は近距離を強調するから」
他のヒロイン達、完全沈黙。
麗奈「何その高等百合」
彩香「もう哲学やん」
美月「気持ち悪いぐらい通じ合っとる」
そして決定的事件が起きる。
ヒロ室のWi-Fiが一瞬切れた。
他のヒロインは「えー!」と騒ぐ。
だが、グレースフォースは平然。
「回線、遮断」
「でも内部通信、正常」
二人は微笑み合う。
みのり「帯域は有限でも」
ひかり「共鳴は無限」
隼人補佐官、思わず呟く。
「俺たちがWi-Fiに依存してる間に、あの二人はBluetoothどころか量子通信だな」
ヒロ室、爆笑。
だが本人たちは真顔。
そして最後にひかりが言う。
「今日の気圧、ちょうどいいね」
みのりが答える。
「うん。あなたといるから」
美月が机を叩く。
「もうええわ!通訳つけぇ!」
控室は再び騒がしくなる。
だがその中心で、
二人は静かに、深く、同じ周波数で笑っている。
解読不能。
侵入不可。
しかしどこか上品で、理性的で、妙に美しい。
ヒロ室の誰もが思っている。
「気持ち悪いぐらい仲ええな」
そして同時に。
「……ちょっと羨ましいわ」
グレースフォース。
今日も暗号は解読不能のまま、
ヒロ室の空気をひっそりと支配していた。




