拍手はなくても仕事は増える ――一番早く動いてる女、今津乙実
その日のイベントは、正直に言って地味だった。
場所は、首都圏某市の駅から徒歩十五分。
ショッピングモールでもなければ、広場でもない。
――公民館。
和室と集会室と、年季の入った体育館が併設された、
いかにも「地域の拠点」感あふれる建物である。
観客も多くない。
音響も簡易。
現地スタッフも最小限。
開始一時間前、責任者が青ざめた顔で言った。
「……すみません、人、足りません」
こうなると話は早い。
「じゃあ、ヒロ室スタッフも出ます」
「ヒロインも、手が空いてる人はお願いします」
というわけで、
スタッフ兼ヒロイン総動員イベントが始まった。
受付、椅子並べ、パンフ配り、導線整理。
誰もが一度は目をそらしたくなる作業である。
「……あ、私、法務確認が……」
内田あかねが、六法全書を抱えたまま一歩下がる。
「私は……受付は経験ありますけど……」
高島里奈は丁寧だが、どこか遠慮がち。
そんな中――
「じゃ、私、椅子運びます」
今津乙実は、もう動いていた。
誰に指示されるでもなく。
誰に確認するでもなく。
体育館の隅に積まれた折りたたみ椅子を、
黙々と運び始める。
数を数え、
通路幅を確認し、
座りやすい向きに微調整。
しかも早い。
「……あれ?」
気づいた時には、
乙実の周囲だけ、もう一列できている。
「今津さん、どこまで並べる予定ですか?」
スタッフが聞くと、
「後ろ、詰めすぎると通れねぇので、
ここまででいいと思います」
なぜか、現地スタッフが素直に従う。
「……確かに」
その様子を、
水無瀬澪がぼーっと見ていた。
「……ねえ、あの人、いつ休むの?」
次の瞬間、
澪は無言でパンフレットの束を持っていた。
「……手伝います」
理由は、説明できない。
だが、何かに触発されたのは確かだった。
「じゃ、私も」
森川美里が、笑顔のまま受付補助に入る。
「写真撮影より、今はこっちだね」
「……え、みんな真面目すぎない?」
西里澄香が戸惑いつつも、
気づけば誘導係をやっている。
その光景を見て、
ヒロ室スタッフがざわつく。
「……なんか、雰囲気変わってきてない?」
「誰が号令かけた?」
「いや……今津さん、何も言ってない」
乙実はというと、
今度はゴミ袋を手にしていた。
「ここ、段ボール溜まりやすいので」
「後で一気に片付けます」
完全に、ベテラン公民館スタッフの動きである。
イベントが始まる頃には、
会場は不思議な一体感に包まれていた。
観客も少ない。
派手さもない。
だが、
「なんか、いい雰囲気だな」
「今日は落ち着く」
そんな声が、ぽつぽつ聞こえる。
終演後。
全員がぐったりする中、
乙実だけが、最後の最後まで片付けていた。
「今津さん、もういいですよ!」
「あと少しです」
その背中を見て、
真帆が小さく息をつく。
「……こういう人、ほんと必要なんだよな」
拍手を浴びることもない。
SNSに写真が上がることもない。
だが、
誰もやりたがらない仕事を、最初にやっている。
気づいた時には、
場が回っている。
それが、今津乙実だった。
本人だけが、
「普通のことしてるだけ」と思っているまま。
そして次のイベントでも、
誰よりも早く動く彼女を見て、
誰かがまた、つられて動き出す。
いぶし銀とは、
そういう連鎖の、最初の火種なのかもしれない。
地味で、目立たなくて、
――いないと、困る女。
今津乙実は、
今日も拍手の外側で、仕事をしていた。




