合格通知は一瞬、修羅場は一晩――ヒロイン誕生とビーチ隼人の夜
ヒロ室の面談室は、妙に静かだった。
午後三時。陽の入り方がちょうどよく、ガラス越しの新橋の街が無駄に落ち着いて見える。
テーブルの向こうに座るのは、蛯沢紗耶。
背筋は伸び、声は落ち着き、目はまっすぐ前を向いている。
遥室長と安岡真帆は、正直なところ「身構えて」いた。
経歴が経歴だ。
どこかで言い訳が入るか、話を濁すか、涙で押し切るか——そういう展開を、二人とも想定していた。
だが。
「父がいなくなってから、家計は一気に傾きました。
大学には通い続けたかった。でも、生活費は待ってくれなかったです」
紗耶は、淡々と話した。
仙台。奨学金。アルバイト。国分町。
転げ落ちるように生活が崩れていったことも、ホストにハマったことも、借金のことも、川崎に流れ着いたことも。
全部、包み隠さず。
「それでも……」
一拍置いて、紗耶は少しだけ声を強くした。
「ずっと、アイドルに憧れていました。
人前に立つのが、嫌いじゃなかったんです。
もし、ここで……もう一度やり直せるなら。
今度は逃げずに、ちゃんと輝きたいと思っています」
その瞬間。
「よし、合格だ」
波田顧問が、即答した。
真帆と遥室長が同時に顔を上げる。
「えっ、今のだけで!?」
「ちょ、ちょっと顧問、それは……」
だが波田顧問は腕を組み、べらんめえ調で言い切った。
「最近よ、キラキラした子が多い。
それはそれでいい。国の看板だからな。
だがよ、どん底を知ってる人間は強え。
転んだ時に、立ち上がり方を知ってる」
紗耶を見る。
「ここは大所帯だ。
一人くらい、人生の泥を全部踏んできた奴がいてもいい。
いや、必要だ」
沈黙。
真帆は腕を組み直し、少しだけ視線を逸らした。
「……まぁ、お手並み拝見、ですね」
遥室長も頷いたが、表情はまだ硬い。
「……仕事としては、理解しますけどね」
紗耶は深く頭を下げた。
その夜。
港区某所、藤堂隼人補佐官宅。
昼間の修羅場は、まだ終わっていなかった。
「……で?」
遥室長が、洗濯物を畳みながら言った。
声は静か。静かすぎる。
「オンザビーチは、スーパー銭湯だったんだっけ?」
「……はい」
「で、名刺は?」
「……マッサージ師さんの」
「川崎の?」
「……はい」
次の瞬間。
バサッ!
畳まれていたワイシャツが、隼人の顔に投げつけられた。
「隼人くんねぇ!!
あんた、いい加減にしなさいよ!!
港区で半同棲しといて、川崎で“ビーチ”って何なのら!!」
完全に駿河弁MAX。
「ソープランド行って、
スーパー銭湯って言い張る官僚、初めて見たのら!!」
「いや、その、説明の順番が——」
「順番の問題じゃない!!」
ドン!
テーブルを叩く音。
「今日からあんたはね、ビーチ隼人なのら!!
反省するまで、夜の外出禁止!!
あと洗濯担当、風呂掃除、ゴミ出し全部!!」
「全部!?」
「全部!!
ついでに明日からヒロ室でも“ビーチさん”って呼ばせるから覚悟しなさい!!」
翌日。
ヒロ室フロント。
「おはようございます、ビーチさん」
真帆が、無表情で言った。
「……おはようございます」
「ビーチさん、書類ここ置いときますね」
「ビーチさん、会議五分前です」
完全に定着していた。
廊下の向こうで、美月が小声で囁く。
「なぁ彩香、
ビーチ隼人って、響きだけ聞いたら陽キャやのに、
実物めっちゃションボリしてへん?」
「そらそうやろ」
その頃、面談室の前。
紗耶は、静かに深呼吸していた。
新しい人生が始まる。
笑われるかもしれない。
疑われるかもしれない。
それでも。
扉の向こうから聞こえる、
ドタバタと、怒鳴り声と、どうしようもない空気。
(……ここ、思ってたより大変そう)
だが、紗耶は小さく笑った。
(でも、嫌いじゃない)
こうして。
戦隊ヒロイン一の苦労人・蛯沢紗耶は、
拍子抜けするほど豪快に、そして騒がしく
ヒロインの世界へ足を踏み入れたのだった。
——なお、
この日からしばらくの間、
藤堂隼人補佐官は
公式・非公式問わず
**「ビーチさん」**と呼ばれ続けることになる。
本人の名誉のために言っておくが、
それはすべて——
家庭内処分である。




