名刺一枚で大炎上!ヒロ室・泡まみれ修羅場大混線
ヒロ室の朝は、だいたい静かだ。
資料の紙擦れ、コーヒーメーカーの低い唸り、誰かのキーボードの音。
だがその日は、空気の密度が違った。
遥室長は、穏やかな駿河弁で、まるで天気の話でもするように切り出した。
「まさにゃん、ねぇちょっと聞きたいんだけど」
「川崎の“オンザビーチ”ってお店、知ってる?」
まさにゃんは一切の警戒心を持たなかった。
むしろ、親切心すらあった。
「知っとるで。堀之内の高級ソープやな」
「値段もええけど、接客もええで?」
その瞬間、ヒロ室の時計が止まった気がした。
遥室長の表情が、ゆっくりと変わる。
笑顔が消え、眉がわずかに下がり、目が据わる。
「……そうなんだ」
声は静かだった。
あまりに静かすぎて、逆に全員が悟った。
――終わった、と。
「藤堂隼人補佐官、来てください」
呼び出しは簡潔だった。
だがその簡潔さが、嵐の前触れであることを誰もが理解した。
数分後、隼人補佐官が現れた。
大臣の詰問にも動じない男が、この日ばかりは顔色を失っている。
「隼人くん」
遥室長は、椅子に座ったまま言った。
「ソープランドに行くなんて、あんた、何考えてるの?」
声量は控えめ。
だが圧は、記者会見百回分だった。
「……えっと、その……」
「地域の、えー、実態調査といいますか……」
官僚答弁が、これほど虚しい音を立てたことはない。
フロント陣は凍りつき、誰も助け舟を出せない。
その空気を読まない存在が、一人だけいた。
「ねえ……」
陽菜が、純粋な目で首を傾げる。
「ソープランドって、何ですか?」
ヒロ室が二度目の静寂に包まれた。
美月が慌てて割って入る。
「いや……それはな……」
言葉を探す美月の横で、彩香が腕を組んだ。
「要するに――」
「陽菜に要らんこと教えるな!!」
「ハッキリ言わんと分からんやろが!」
「陽菜かてオトナや!このドアホ!」
別方向の修羅場が発生した。
詩織はその間も台本を読んでいたが、
さすがに異変を察し、顔を上げる。
「泡がたくさんの国って……」
「童話みたいで素敵だと思うけど……」
「どうして遥室長、怒っているのかな?」
その一言で、なぜか場の緊張が一瞬だけ抜けた。
全員が「それじゃない」と思ったが、誰も否定できなかった。
――その時だった。
「失礼します……」
控えめな声。
ドアが開き、一人の女性が入ってくる。
手足が長く、色白で、清楚な美人。
だが、どこか寂しげな影を背負っている。
蛯沢紗耶。
遥室長の視線が、ゆっくりと彼女に移る。
隼人補佐官は、完全に固まった。
「……あ」
その一音で、すべてが繋がった。
遥室長は、深く一度息を吐き、
まるで裁判官のように言った。
「あなたが……“さゆりさん”?」
紗耶は一瞬だけ迷い、
それから静かに頷いた。
「……はい」
ヒロ室の全員が、同時に心の中で叫んだ。
――修羅場、第二ラウンド開始。
しかし、紗耶は怯えなかった。
むしろ、深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、すみません」
「でも……私、ちゃんと生き直したくて」
その言葉に、場の空気が少し変わる。
遥室長は、しばらく黙って彼女を見つめ、
そして、静かに言った。
「……詳しい話、聞かせてください」
こうして、
港区の朝に始まった泡の名刺事件は、
戦隊ヒロイン史上、最も異質な勧誘劇へと転がり始めたのだった。
――修羅場は、まだ終わらない。




