半拍遅れのヒロインは、なぜ一番拍手を集めたのか
埼玉県戸田市。
荒川沿いに開けたこの街は、都心に近いのにどこか余白があり、週末になると家族連れと自転車と、そしてボートレース場の独特な熱気が同居する、不思議な場所だ。
水面を切り裂くエンジン音。
場外に漂うソース焼きそばとフライドポテトの匂い。
そして今日は、その一角で戦隊ヒロインの地域イベントが開催されていた。
ステージ袖で、中村玲は静かに深呼吸していた。
(……まだ、全然仕上がっていない)
ダンスは振りを覚えるだけで精一杯。
トークは原稿を読まないと成立しない。
笑顔も、意識しないとすぐ引きつる。
隣でストレッチしている唯奈が、ちらっと覗き込む。
「大丈夫だっぺか?」
「理論上は大丈夫です」
「その“理論上”、だいたい爆発するやつだっぺ」
「爆発はしていません」
「した」
「してません」
「した」
このやり取りも、もはや名物である。
ステージが始まった。
最初に出てきたのは、場慣れしたヒロインたち。
会場の空気を一瞬で掴み、煽り、笑わせる。
歓声。
拍手。
コール。
そして――玲の出番。
スポットライトが当たった瞬間、
玲の頭の中は、真っ白になった。
(あ、立ち位置……違う)
一歩ズレる。
ダンスの入りが半拍遅れる。
ターンでバランスを崩し、慌てて踏みとどまる。
完璧とは、程遠い。
トークパート。
用意していたフレーズを言おうとして、
噛んだ。
「えー……あの……私は……その……」
会場が、ざわつく。
玲は、一瞬、俯いた。
(失敗だ)
そのときだった。
前列の小学生が、叫んだ。
「がんばれー!」
それに続くように、
「大丈夫だよー!」
「かわいいぞー!」
玲は、はっと顔を上げた。
(……減点されてない?)
唯奈が横から、小声で言う。
「ほら見ろ。
完璧じゃなくても、刺さる時は刺さるんだっぺ」
「被験者……いや唯奈さん」
「今、被験者って言ったっぺ?」
「言ってません」
「言った」
「言ってません」
「言った」
玲は、ふっと肩の力を抜いた。
原稿を畳み、マイクを握り直す。
「……すみません。
正直に言います」
会場が静まる。
「私は、ダンスもトークも、
ここにいる皆さんが思っているより、ずっと下手です」
ざわっ、とするが、空気は悪くない。
「でも、
現場に出て、
皆さんの声を直接聞いて、
それを次の開発に持ち帰るのが、私の仕事です」
少しずつ、声が強くなる。
「完璧なヒロインじゃありません。
でも、完璧じゃないからこそ、
現場で拾えるものがあると思っています!」
一拍置いて、深く頭を下げた。
次の瞬間、
拍手が起きた。
理屈では説明できない。
だが確かに、何かが刺さった音だった。
ステージ後。
控室で、玲はタオルを首にかけ、へたり込んだ。
「……全然、うまくできませんでした」
唯奈が、ボートレース場の方を指さす。
「あそこ見ろっぺ」
水面では、ボートがスタートで出遅れ、
必死に巻き返している。
「最初から全部完璧なやつなんて、
現場にはいねぇ」
すみれコーチが、にやっと笑う。
「むしろね、
ちょっと足りないくらいの方が、
応援したくなるのよ」
玲は、静かに頷いた。
(……完璧じゃないのに、刺さる)
それは、研究室では一度も出てこなかった評価軸だった。
帰りの車中。
玲は、ノートに走り書きする。
・失敗しても離脱しない観客
・未完成でも応援が生まれる現象
・感情フィードバックの即時性
そして、小さく書き添えた。
――週末ヒロイン適性、
理論外だが、確実に存在する。
唯奈が横から覗き込む。
「それ、次の兵器に使う気か?」
「……はい」
「ろくな兵器にならなそうだっぺ」
「否定できません」
戸田の夜風は、
荒川の匂いとボートエンジンの余韻を運びながら、
また一人、机上に戻れない技術者を作っていった。
完璧じゃない。
でも、なぜか刺さる。
それが、
週末ヒロインという現象の、厄介で面白い核心だった。




