空にいる女は、まだ笑わない ――見えないところで戦況をひっくり返す若林あおい
前線は、完全に押されていた。
瓦礫だらけの工業地帯跡。
夕暮れに近づく空の色とは裏腹に、地上はひりつくような熱気と鉄臭さに満ちている。
「くっ……しぶといな……!」
赤嶺美月は息を切らしながら前に出る。
突進型の彼女らしく、前線を押し返そうと何度も仕掛けるが、敵は数を減らさない。
包囲されかけていることは分かっていたが、引くわけにもいかなかった。
「このままやと、消耗戦や……!」
通信が乱れる中、上空から静かな声が降ってきた。
『美月さん。現在位置、北西に三十。動かず、耐えてください』
「……誰や?」
一瞬の戸惑い。
だが次の瞬間、美月はその声を思い出した。
「若林……あおい……!」
空を見上げると、雲を切り裂くようにヘリコプターが低空で旋回している。
機体は派手な動きを一切せず、淡々と、しかし正確に戦場全体を見下ろしていた。
『敵の主力は、あなたの正面ではありません。
左翼、倉庫群の裏です』
「……なるほどな」
美月は歯を食いしばり、正面の敵に無理な突進をかけるのをやめた。
その判断が、すでに勝負の分かれ目だった。
次の瞬間。
『投入します』
空から二つの影が落ちる。
一つは、土佐の突進娘・神代なつめ。
もう一つは、千葉の叡智・館山みのり。
「よっしゃああああ! 待たせたのう!」
「落下角度、完璧……空、仕事しすぎです」
二人は倉庫群の死角に着地するや否や、敵の背後を完全に押さえた。
なつめの突進が敵陣をかき乱し、みのりが冷静に要点を潰していく。
だが、まだそれだけでは足りない。
『美月さん、今です。右に五歩。そこから前』
「細かいな……でも分かりやすいわ!」
上空からのピンポイント指示。
敵の死角、射線、動線――すべてが美月の動きと噛み合っていく。
「これ……ウチ、操縦されとるんちゃうか?」
そう思うほど、無駄のない展開。
数分後。
敵は混乱し、包囲は逆転し、前線は一気に押し返された。
戦闘終了。
夕暮れの空に、ヘリのローター音だけが残る。
地上で肩で息をしながら、美月が空を見上げた。
「……結局、一番怖いんは空やな」
なつめが笑い、みのりが静かに頷く。
「戦ってないようで、一番戦ってましたね」
ヘリはゆっくりと高度を下げ、着陸する。
若林あおいは最後まで表情を変えなかった。
「私は、見ていただけです」
「嘘つけ」
美月が苦笑する。
「見えんところで全部ひっくり返しとるやろ」
あおいは一瞬だけ視線を逸らし、ヘルメットを外した。
「前線が輝くなら、それでいいです」
夕日が、彼女の横顔を照らす。
その光景は、まるで昭和の刑事ドラマのラストシーンのようだった。
誰も派手に笑わず、誰も勝利を叫ばない。
ただ、静かに。
空にいる女が、戦況を終わらせたことだけが、確かに残っていた。
――エンディングテーマが、流れそうな沈黙の中で。
美月がぽつりと呟く。
「……あおいさん。次も頼むで」
ヘリのローターが、再び回り始める。
若林あおいは、空へ戻っていった。
まだ、笑わないままで。




