静かに売れる女と、うるさすぎる男 ――野村ラッパ、ギョーカイに非常ベル――*
その日、都内某所の撮影スタジオは、朝から妙に落ち着かなかった。
照明は整い、カメラマンは無駄口を叩かず、編集者も台本に目を落としたまま。
理由は簡単だ。
野村が来る。
正確に言えば、
野村ラッパが吹き荒れる可能性が高い日だった。
スタジオの片隅で、氷見ゆりえは静かに椅子に座っていた。
派手なメイクはしていない。
髪もきっちりまとめ、衣装も控えめだ。
どこにでもいそうな、少し童顔の女の子。
ただし——サイズ感だけが、どう考えても現実を裏切っている。
「……よろしくお願いします」
小さく頭を下げる。
声は柔らかく、態度は丁寧。
撮影スタッフの誰もが内心で思う。
(感じはいい)
(めちゃくちゃいい)
(……でも、地味だな)
そこへ、ドアが勢いよく開いた。
「おはようございまぁぁぁす!!」
空気が割れた。
野村である。
ノムさんである。
そして今日も、絶口調だ。
「いやぁ〜!来たで来たで!
ついに来たな、地殻変動の日が!」
編集者が視線を伏せる。
カメラマンが軽く天井を見る。
マネージャーは、もう諦めの表情だ。
(ああ……始まった)
野村は止まらない。
「ええか皆さん!
この子はな、ただの新人ちゃう!
静かに売れてる怪物や!
音も立てずに、じわじわ地盤沈下起こしとる!」
誰も否定しない。
だが、誰も乗らない。
「富山湾の深海でな、
誰にも見つからんまま光っとったんや!
ワシが掬い上げたんや!
ダイヤや!原石や!
いや、もう半分磨けとる!!」
スタジオ内、完全に無言。
ゆりえはと言えば、
その横で小さく背中を丸めていた。
(……そんなことないです)
(普通です)
(お願いだから、ちょっと静かにしてほしいです)
心の声は、誰にも届かない。
編集者が恐る恐る口を開いた。
「あの……野村さん。
今回の企画は、あくまで“様子見”で……」
「様子見!?
何言うとんねん!!
様子見はもう終わっとる!!
世間が追いついてないだけや!!」
全員が一斉に思う。
(追いついてないのは、あなたのテンションです)
撮影が始まる。
カメラの前に立ったゆりえは、別人のように落ち着いていた。
ポーズは素直。
表情は自然。
指示への反応が早い。
カメラマンが、ふと呟く。
「……撮りやすいな」
照明スタッフが頷く。
「無理がない」
編集者はモニターを見つめたまま黙る。
確かに派手さはない。
だが、写真が嘘をつかない。
野村だけが、耐えきれず叫ぶ。
「どうや!!
ワシの目は節穴ちゃうやろ!!
これが“静かな革命”や!!」
誰も反論しない。
誰も同意もしない。
撮影後、スタッフが小声で話す。
「……正直、悪くない」
「というか、かなりいい」
「でもさ……」
全員が同じ結論に辿り着く。
「野村ラッパが吹きすぎ」
当の本人は、満足そうに腕を組む。
「ええ流れや……
今はな、嵐の前の凪や。
この静けさが怖いんやで」
ゆりえは、そっと水を一口飲んだ。
(……静かなままでいいのに)
だがその背後で、
業界に向けた野村ラッパは、すでに鳴り響いていた。
静かに売れる女の横で、
うるさすぎる男が走り出してしまったのである。




