東京着、野村ラッパ全開。――越中富山の原石、都会に立つ
北陸新幹線「はくたか」号は、定刻どおり東京駅に滑り込んだ。
扉が開いた瞬間、氷見ゆりえは思わず立ち止まった。
人。人。人。
流れるように、いや押し寄せるように動く群れ。天井の高さ、アナウンスの多さ、音の密度。富山で見てきた駅とは、まるで別の惑星だ。
「……ひと、多い……」
思わず口から零れた言葉は、完全に本音だった。
スーツケースを引く手が、少しだけ強ばる。
期待していなかったわけではない。テレビやネットで見ていた東京の光景。でも、実際にその真ん中に放り込まれると、想像とはまるで違った。
「ゆりえちゃん! こっちこっち!」
聞き慣れた声が、雑踏の中から飛んでくる。
振り向くと、手を大きく振っているノムさんと、事務所スタッフ数名の姿があった。にこにことした笑顔に、ゆりえの肩から、ふっと力が抜ける。
「よく来たねえ! 長旅お疲れさま!」
「……あ、ありがとうございます……」
声は小さく、ほとんど消え入りそうだったが、それでもしっかり頭を下げた。
車で向かった先は、ノムさんの事務所「ブラックキャププロダクション」。
都内のビルの一角。ガラス張りのエントランスに足を踏み入れた瞬間、再び緊張がぶり返す。
会議室に通され、スタッフが一列に並ぶ。
「じゃ、改めて挨拶しようか」
ノムさんに促され、ゆりえは立ち上がった。
だが、疲労と緊張が一気に押し寄せ、頭が真っ白になる。
「あ……あの……氷見、ゆりえ……です……」
声は震え、目線は床。
言葉は途中で途切れ、深く頭を下げたまま動けなくなってしまった。
――やっちゃった。
ゆりえ自身がそう思った、その瞬間。
スタッフたちは、内心で顔を見合わせていた。
「……普通に可愛いけど」
「……地味だな」
「……おとなしい」
誰も声には出さないが、第一印象はほぼ一致していた。
垢抜けていない。華やかさも、今のところは見えない。よくいる地方の素朴な子、という評価だ。
その空気を、ぶち壊したのが――ノムさんだった。
「いやあ! 見たか君たち! これだよこれ!」
突然、両手を広げて高らかに笑う。
「この子はね、グラビアアイドル界に地殻変動を起こす子だ! ワハハハ!」
会議室が、一瞬で静まり返る。
――来た。
――野村ラッパ。
スタッフ全員の脳内で、同じ言葉が浮えだ。
ノムさんは昔からそうだ。
惚れ込んだ新人が出ると、必ずと言っていいほど大風呂敷を広げる。その派手さから、業界ではいつしか「野村ラッパ」と呼ばれるようになった。
「……また吹き荒れてるな」
「……今日は強風注意報だな」
誰かが小声でつぶやき、別の誰かが肩をすくめる。
確かにノムさんの慧眼は本物だ。
これまで何人ものグラビアアイドルを世に送り出し、女優として成功した者もいる。
だが同時に――
当たり外れも多い。
途中で心が折れて逃げ出した子、消えていった子も、数え切れないほど見てきた。
「まあ……様子見だな」
「悪い子じゃないけど」
スタッフの期待値は、正直低かった。
そんな空気をまるで気にしない様子で、ノムさんはゆりえの肩にぽんと手を置く。
「大丈夫。君は必ず来る」
その言葉に、ゆりえは顔を上げた。
不安と戸惑いの中で、唯一、真っ直ぐに自分を見てくれる大人がいる。その事実だけが、心の支えだった。
――信じてくれる人が、一人でもいる。
それで、十分だった。
会議室の窓から見える東京の空は、思ったよりも広かった。
この場所で、何が起きるのかは、まだ誰にも分からない。
ノムさんの期待と、スタッフの冷めた視線。
その大きなギャップの真ん中で、越中富山から来た原石は、静かに息をしていた。
この日、誰も知らなかった。
数年後、この「野村ラッパ」が、決してホラではなかったことを。
物語は、まだ始まったばかりだった。




