どうしてこの子? ――越中富山、氷見ゆりえ包囲網
日本海は荒れると長い。
そして、ゆりえの芸能界入りをめぐる家族会議も、なかなか凪が来なかった。
一番の難関は、やはり父だった。
「芸能界なんて、色モンの世界だ」
漁から戻った父は、湯呑みを置く音だけで不機嫌さを表現する男である。
「地元漁協に就職して、
真面目に生きりゃいいんだ。
それが一番だ」
父の言葉は、一本釣りのロープのように太く、重く、解けない。
一方で、母は少し違った。
「若い時くらい、夢見てもええんでない?」
包丁を研ぎながら、あっさり言う。
「ダメやったら、
帰ってくりゃええんだし」
この一言に、父は顔をしかめた。
「簡単に言うな」
しかし、母は動じない。
「人生、海みてえなもんだべ」
この家で一番肝が据わっているのは、
間違いなく母だった。
そして、姉。
中学校教諭の姉は、
論理で物事を考える。
「本人がその気なら、
頭ごなしに否定するのは違うと思う」
ここまでは、ゆりえにとって心強い。
だが、次の一言が余計だった。
「……ただね」
姉は少し首を傾げる。
「中学校には、
ゆりえより可愛い子、正直たくさんいる」
ゆりえは箸を止めた。
「芸能界に憧れて、
キラキラしてる子も多いし……」
姉は悪気がない。
それが一番タチが悪い。
「どうして“ゆりえ”なんだろうって、
正直、不思議ではある」
この瞬間、
家族会議の空気が一瞬だけ凍った。
本人も、
実は同じことを思っていた。
ゆりえは、確かに可愛らしい。
だが、地味で控えめ。
クラスの中心にいるタイプでもない。
友人たちの反応は、もっと露骨だった。
「え、ゆりえがスカウト?」
「ドッキリじゃない?」
「間違いじゃないの?」
誰も悪意はない。
ただ、理解できないのだ。
ゆりえ自身も、
人前に立つことが得意ではない。
発表の時間は声が小さくなるし、
目立つのは苦手。
そんな彼女が、
なぜ芸能事務所から声をかけられるのか。
この疑問は、
事務所の中でも同じだった。
「可愛い子なら、他にもいますよ?」
スタッフは控えめに言う。
「ここまで難航してるなら、
別の子でも……」
それは合理的な意見だった。
だが、ノムさんだけは違った。
「ダメだ」
即答。
「この子じゃなきゃ、意味がない」
スタッフが首を傾げる。
「どこが、ですか?」
ノムさんは、少し考えてから言った。
「説明できない」
そして、続ける。
「でもな、
説明できる才能なんて、
大体、凡庸なんだよ」
慧眼の男は、
数字でも理屈でもなく、
勘を信じて生きてきた。
「この子は、
“気づいた時には手遅れ”のタイプだ」
誰もピンと来ていない。
それでもノムさんは、
一歩も引かない。
一方、当の本人はというと――
「……私、どうしたらいいんだろ」
夜、布団の中で天井を見つめる。
漁協に就職すれば、
安定した未来がある。
芸能界は、不確実で、怖い。
でも、
「選ばれた」という事実だけが、
胸の奥で静かに波を立てていた。
越中富山の海は、
今日も荒れている。
氷見ゆりえの進路も、
まだ揺れている。
だが、
潮目は、少しずつ変わり始めていた。
――まだまだ、続く。




