越中の海は頑固だ ――氷見ゆりえ発掘戦線、まだ沖合
四月。
越中富山の春は遅い。
桜が咲いても、海はまだ冬の顔をしている。
氷見ゆりえは、その海のそばで育った。
実家は代々続く漁師の家。
父は現役の漁師で、地元でも一目置かれる頑固者。
母は肝っ玉の据わった漁師の妻。
姉は中学校教師で、理屈と常識を大切にする現実派。
その四人家族の末っ子が、
童顔・小柄・色白・そしてどう考えても規格外という、
少し方向性を間違えた奇跡のバランスで育ってしまった。
きっかけは、
高岡市のショッピングモールだった。
高校三年生のゆりえが、
制服姿で友人と歩いていた、いつも通りの一日。
そこで、たまたま通りかかった男が足を止めた。
ブラックキャッププロダクション社長、
野村吉彦。
業界では“ノムさん”の名で通る、
数々のグラビアスターを掘り当ててきた生き字引である。
「……いた」
そう呟いた瞬間、
ノムさんは確信した。
童顔で素朴。
笑うとどこか野暮ったい。
だが、視線がどうしても胸から離れない。
「これは……反則級だろ」
問題は、
名前も連絡先も分からないことだった。
そこから始まった、
ノムさんの執念の発掘作業。
制服、時間帯、同行者、
あらゆる情報を元に探し回り、
数か月後、ようやく辿り着く。
「高岡の……漁師の娘?」
普通なら、
ここで一瞬ためらう。
だがノムさんは違う。
「いい。
むしろ、いい」
初対面のゆりえは、
想像以上に地味だった。
「芸能界……ですか?」
目を丸くして、
本気で戸惑っている。
聞けば、
高校卒業後は地元漁協への就職が内定済み。
東京にも芸能界にも、
強い憧れはない。
「私、そういう世界の人間じゃ……」
何度説明しても、
首は縦に動かない。
ただ一つ、
ゆりえが出した条件があった。
「……お父さんとお母さんが、
いいって言うなら……」
ノムさんは悟った。
――一番の難関は、父だ。
最初の挨拶。
玄関に立った瞬間、空気が凍る。
「誰だ」
事情を説明する前に、
扉が閉まる。
二回目。
三回目。
四回目。
「帰れ」
「忙しい」
「芸能界?冗談言うな」
門前払いは二桁に突入。
だが、ノムさんは諦めない。
まず、母。
「話だけなら、聞いてもいいちゃ」
漁師の妻らしく、現実的だ。
次に姉。
「本人の意思が最優先です。
でも、可能性を潰す必要はないと思います」
教師らしい冷静な視点。
父だけが、
最後まで首を縦に振らない。
「東京なんぞ、碌なとこじゃねぇ」
それでも、
家族の会話は少しずつ変わっていく。
「一回くらい、話聞いてもいいんじゃない?」
「本人が決めることだよ」
ノムさんは、
無理に踏み込まない。
「今日はご挨拶だけで」
そう言って、
また帰る。
越中の海は荒い。
だが、潮は必ず動く。
ゆりえ自身も、
心の奥で揺れていた。
東京。
テレビ。
自分が知らない世界。
――ほんの少しだけ、
覗いてみたい気持ち。
氷見ゆりえ発掘戦線は、
まだ沖合。
上陸作戦は、
これからだ。




