内定はゴールじゃない――未完成ヒロイン・小野寺彩音、まだ助走中!
川崎市麻生区。
坂が多くて、緑が多くて、駅前はそこそこ栄えているが一歩入ると住宅街、という「だいたい真面目な人が住んでいる街」で、小野寺彩音は今日も走っていた。
朝ランである。
「戦隊ヒロインは体力勝負だから!」
という理由で始めたランニングだが、もはや理由はどうでもよくなっている。
内定。
その二文字が出てから、彩音の生活は明らかに変わった。
まだ正式加入ではない。
制服も支給されていない。
イベントにも「付き添い枠」でしか入れない。
それでも彩音の頭の中では、もう完全に戦隊ヒロインの一員だった。
「彩音ちゃん、最近走りすぎじゃない?」
朝食を作りながら母が心配そうに言うと、彩音は即答する。
「だって、ヒロインは走るでしょ?」
何を根拠に、とは誰も聞かない。
父も新聞を読みながら「まあ、怪我だけはするなよ」とだけ言って、そっと見守る。
この家はだいたい、そういう距離感でできている。
そんな彩音が、心の底から憧れているのが、同居している従姉――阿部柚葉だった。
長い手足。
雪のような白い肌。
都会的なのに、時々どぎつい秋田弁。
そして何より、「自分の立ち位置を分かっている」あの感じ。
「柚葉姉みたいになりたい」
彩音がそう口にしたとき、柚葉は一瞬だけ間を置いてから、静かに言った。
「それは、やめた方がいい」
その言葉は優しかったが、逃げ道はなかった。
「私の真似をしても、彩音は強くならない。
ヒロインは“誰かになる”仕事じゃなくて、“自分で立つ”仕事だから」
彩音はその夜、布団の中でずっと考えた。
じゃあ、自分はどんなヒロインなんだろう。
元気なだけ?
真っすぐなだけ?
勢いだけ?
考えれば考えるほど、答えは出なかった。
ヒロ室に出入りすれば、完成形みたいなヒロインがゴロゴロいる。
理知的な人もいれば、圧倒的なカリスマもいる。
全部を見て、全部に憧れて、全部に追いつけない。
「私、まだ何者でもないな……」
そう呟いた彩音に、柚葉はコーヒーを差し出しながら言った。
「だから、いいんだよ」
「え?」
「荒削りで、未完成で、伸びしろしかない。
それ、いま一番の武器だから」
その言葉に、彩音は少しだけ救われた。
翌日も彩音はヒロ室に顔を出した。
相変わらず「内定者なのに常にいる子」扱いだが、誰も追い返さない。
杉山ひかりは微笑んで「頑張ろうね」と声をかけてくれるし、
館山みのりは「彩音ちゃんは真っすぐでいいよ」と言ってくれる。
波田顧問は相変わらずだ。
「おう彩音ちゃん、元気そうじゃねえか。
その目だ、その目。まだ伸びるな」
その一言で、彩音の背中はまた少し軽くなった。
分かっている。
まだスタートラインにすら立っていないことも。
でも、確実に前には進んでいる。
走りすぎて怒られて、
やる気出しすぎて柚葉に止められて、
それでもまた走る。
完成には程遠い。
だけど、止まらない。
未完成であることを、恥じない。
未完成だからこそ、期待される。
小野寺彩音、高校一年生。
戦隊ヒロイン――内定者。
本当の物語は、これから始まる。




