止める姉と、止まらない内定者 ――偉い人の一言が、少女を再加速させた日――
小野寺彩音は、もう完全に“その気”だった。
高校一年生。
だが、気分はすでに戦隊ヒロイン候補生・最前線。
朝五時半起床。
ランニング三十分。
シャワー。
学校。
放課後は筋トレとストレッチ。
帰宅後は動画研究とイメージトレーニング。
「……よし、今日はちょっと物足りないな」
そう言って、腹筋をもう一セット足す。
誰に言われたわけでもない。
完全に自主的。
完全にやりすぎ。
「彩音……ちょっと、顔色悪くない?」
ある日の夕食時、母が箸を止めた。
「大丈夫! 鍛えてるだけだから!」
「でも、最近疲れてるでしょう?」
「戦隊ヒロインは体力勝負だもん!」
父も心配そうに言う。
「なぁ彩音、ヒロインは良いけどさ……
大学に行きながら活動してる人もいるんだろ?」
「……それは、逃げじゃない?」
その一言に、両親は言葉を失った。
夢を応援したい。
でも、明らかにオーバーワーク。
「彩音……一度、柚葉ちゃんに相談してみたら?」
「うん……ゆず姉なら、わかってくれる」
その時点で、もう“わかってくれない前提”である。
阿部柚葉は、その様子を一目で察した。
「……疲れてる」
「え? 全然!」
「目が死んでる」
「そんなこと――」
「声も」
「……」
彩音は黙った。
柚葉はソファに座り、静かに言った。
「彩音、
戦隊ヒロインは“突っ走る仕事”じゃない」
「え?」
「続ける仕事」
彩音は戸惑う。
「でも……本気でやりたいから」
「本気なら、
ブレーキも覚える」
「……」
「大学行きながらやってるヒロイン、
何人いると思う?」
「……結構?」
「看護学生もいる」
「えっ」
「試験前は現場減らして、
終わったら戻る」
彩音は目を丸くした。
「そんな器用なこと、できるんですか?」
「できる」
「でも、甘えじゃ……」
柚葉は、そこで初めて少しだけ表情を崩した。
「甘えと管理は違う」
彩音は、ぐうの音も出ない。
「彩音、
壊れたら終わり」
「……」
「ヒロインは、
長く立ってる人が一番強い」
その言葉は、静かに、でも重かった。
その夜、彩音は久しぶりに早く寝た。
翌朝のランニングは、半分にした。
「……落ち着くのも、
訓練……か」
少しだけ、視界がクリアになった気がした。
数日後。
彩音は柚葉に付き添ってヒロ室に顔を出していた。
「彩音ちゃん!」
聞き覚えのある、張りのある声。
波田顧問だった。
「最近頑張ってるみたいだねぇ!」
「は、はいっ!」
「いやぁ楽しみだよ!
元気と情熱が戦隊ヒロインには一番必要だ!」
べらんめえ口調で、満面の笑み。
「その調子で突っ走ってくれよ!」
——カチッ。
彩音の中で、何かが入った。
「……はいっ!!!」
声が一段階デカい。
横で柚葉が、静かに天井を見る。
(あ、入った)
案の定、その日の夜。
「ゆず姉!
やっぱもっと走ります!」
「……」
「腕立ても増やします!」
「……」
「朝練も!」
「彩音」
「はいっ!」
「一回、座れ」
「え?」
柚葉は、真顔だった。
「今の一言、
“偉い人の余計な一言”」
「えっ」
「よくある」
「えええっ!?」
「だから、
聞き流す訓練もしなさい」
彩音は固まる。
「戦隊ヒロイン、
意外と大人の世界」
「……」
「勢いで全部受け取ると、
壊れる」
彩音は、しばらく黙ったあと、照れくさそうに笑った。
「……ブレーキ、
難しいですね」
「アクセルより難しい」
「でも……」
彩音は真っ直ぐに柚葉を見る。
「ゆず姉がいるなら、
覚えられそう」
柚葉は、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
こうして彩音は、
初めて“減速”を覚えた。
……はずだった。
だが、
偉い人の一言は、
いつだって少女を再加速させる。




