川崎市幸区が雪国になる日 ― 規格外の秋田美人、初降臨
川崎市幸区。
多摩川と鶴見川に挟まれ、工場と住宅街と下町情緒が妙に同居する、実に“生活感の強い”エリアだ。大型商業施設もあれば、昔ながらの商店街も残る。地味だが住みやすい。
ちなみに、この小説を書いている作者の出身地でもある。地元愛はあるが、今日はそれどころではない。
その幸区のイベント広場が、朝からざわついていた。
「今日、新人ヒロイン出るらしいよ」
「秋田から来た美人って聞いた」
「また大げさな煽りだろ?」
そう思っていた観客は、すぐに己の浅はかさを知ることになる。
ステージに立ったMC・月島小春が、いつになくニヤニヤしていた。
「さぁ皆さん、お待たせしましたー!
本日、戦隊ヒロイン初登場!
みちのく秋田からやってきた――
規格外の秋田美人の登場だ〜☆」
煽りが雑でデカい。
だが、その直後――
ステージに現れた瞬間、会場の空気が凍った。
長い。
まず脚が長い。
そして腕も長い。
全体のバランスがモデルそのもの。
雪のように透き通った白い美肌。
整いすぎて逆に現実味のない顔立ち。
無駄な動きのない、静かな立ち姿。
「……え」
「……本物だ」
「写真よりヤバくない?」
ざわめきではない。
ため息が、会場を支配した。
阿部柚葉。
規格外の秋田美人ヒロイン、ここに初降臨。
柚葉は一礼し、落ち着いた声で挨拶した。
「はじめまして。
秋田県にかほ市出身、阿部柚葉です。
今日は川崎市幸区に来られて嬉しいです」
この時点で、もう完成度が高すぎる。
フリートークに入っても、崩れない。
「秋田は今の季節、空気が澄んでいて、
朝の山がすごく綺麗なんです」
「比内地鶏も、日本酒も、美味しいものが多いので、
ぜひ遊びに来てください」
完璧。
淀みがない。
媚びない。
そして小春が、ここぞとばかりに振る。
「じゃあ柚葉ちゃん!
せっかくだから、秋田弁で一言!」
一瞬の間。
柚葉は微笑んでから、さらっと言った。
「へば、また来てけれな」
――爆発。
「うわぁぁぁぁ!!」
「可愛い!!」
「ズルい!!」
川崎市幸区のイベント会場が、完全に秋田に侵略された瞬間だった。
この光景を、舞台裏で眺めていた人物がいる。
澪だ。
幸区在住。
この地の顔役的ヒロイン。
後援会の面々は、お馴染みのサックスブルーのTシャツ姿で陣取っている。
……が。
「……あれ?」
「澪ちゃん、今日出ないんだっけ?」
「いや、出てるけど……」
視線は、完全に柚葉へ。
後援会のおじさまたちも、
おばさまたちも、
全員、柚葉に釘付け。
だが当の澪は、涼しい顔だった。
(まぁ、今日は新人の回だしね)
心が広い。
というより、達観している。
一方、会場の片隅では、目を丸くした少女がいた。
「……ゆず姉、スゲぇ」
従姉妹の彩音である。
いつも家では、
普通に洗い物して、
普通に冷蔵庫を開けて、
「それ食べるの?」と言ってくる、あの柚葉。
それが今、
幸区を制圧している。
「……別人じゃん」
柚葉は最後まで落ち着いたまま、
深く一礼してステージを降りた。
幸区の空気は、しばらく戻らなかった。
この日、川崎市幸区は記録された。
雪国が、確かにここに来た日として。
そして誰もが思った。
「……これは、規格外だ」と。




