ヒロ室影の必殺仕事人・安岡真帆 ――笑顔で前に出て、裏で全部片づける女――
ヒロ室に「妙に静かな朝」が来るとき、それは大抵ろくなことが起きない前兆だった。
電話は鳴っていない。
FAXも来ていない。
しかし、遥室長の机の上には、厚みだけは立派な資料の束が置かれている。
「……来たね」
駿河弁が、静かに落ちる。
その資料を最初に手に取ったのは、フロント担当の安岡真帆だった。
背筋を伸ばし、表情は崩さず、淡々とページをめくる。
スポンサー企業、自治体名、関係省庁。
どれも一流、どれも重たい。
そして最後の一行。
――“人気ヒロイン・陽菜を軸とした象徴的演出を希望”
真帆は、そこでページを閉じた。
「……なるほど。
“希望”という言葉を使ってますが、これは要求ですね」
ヒロ室内に、空気が張りつめる。
陽菜は人気者だ。
しかし同時に、体調面で最大限の配慮が必要な存在でもある。
主治医の紗絢と看護学生の美紀は、すでに顔を見合わせていた。
「最近、負荷は避けたいです」
「長時間は絶対に無理です」
その正論に、誰も反論できない。
だが、政治側は正論で引く相手ではない。
「象徴が欲しい」
「分かりやすい存在が必要だ」
「国民に届く“絵”が要る」
――いつものやつだ。
その瞬間、真帆は資料を机に置き、静かに言った。
「この件、私が前に出ます」
全員の視線が、一斉に集まる。
「安岡さん?」
「フロント代表として、私が対応します」
「……ヒロインとしても、です」
一瞬、沈黙。
波田顧問が腕を組み、べらんめえ口調で呟いた。
「おいおい……
矢面に立つってのはな、弾が飛んでくる場所だぞ?」
真帆は小さくうなずく。
「承知しています」
そして、淡々と続けた。
「ですが、陽菜を出せば“成功したら政治の手柄、失敗したらヒロ室の責任”になります」
「それは、守るべき人間を盾にするやり方です」
「なら――
最初から政治側が一番嫌がる人間が前に立つべきです」
遥室長が、ゆっくり息を吐く。
「……安岡さん、覚悟は?」
「あります。
それがフロントの仕事ですから」
その日の午後、真帆は“説明責任者”として会議の席に立った。
相手は政治家、官僚、スポンサー。
圧は強く、言葉は丁寧、しかし逃げ道はない。
「陽菜さんは出ません」
真帆は、笑顔で言い切った。
一瞬、ざわつく会場。
「代わりに、私が出ます」
「政治的な説明も、責任も、すべて私が引き受けます」
相手の目が変わる。
――この女、逃げない。
さらに真帆は続ける。
「象徴が欲しいなら、責任者が語るべきです」
「人気者を前に出すのは、楽ですが――
楽な方法は、だいたい後で高くつきます」
沈黙。
結局、企画は修正され、出演時間は短縮され、演出は安全寄りに変わった。
陽菜は守られた。
夜、ヒロ室に戻ると、ヒロインたちがざわざわ集まってくる。
「真帆さん、今日めっちゃ怖かったです!」
「でも、めっちゃ格好良かったです!」
「炎上しないんですか?」
真帆は少しだけ笑う。
「炎上は、立ち位置を間違えた人がするものです」
その瞬間、隅で聞いていた美月がぼそっと言う。
「……あの人、笑顔で社会的に人消すタイプやな」
「美月さん、聞こえてますよ」
「ひぃっ!?」
その夜、真帆のスマホが鳴る。
送り出した大物代議士からだった。
「やりおったのぉ」
低い声が、しかしどこか満足そうに続く。
「だが、それでええ」
通話を切った真帆は、窓の外を見る。
守った。
前に出た。
その代わり、背負うものは増えた。
それでも――
「……仕事ですから」
安岡真帆は、今日も静かに机に向かう。
ヒロ室影の必殺仕事人。
表では笑い、裏ですべてを片づける女。
誰よりも前に立ち、
誰よりも目立たずに、
誰よりも重たいものを背負いながら。
その背中を、ヒロ室の誰もが――
少しだけ、頼もしく思っていた。




