顔を立てるか、命を守るか――フロントは今日も笑っている
そのイベントは、最初から“格”が違った。
会場は湾岸の大型ホール。
警備は厳重、関係者動線は三重、控室はホテル並み。
スポンサー一覧には、誰もが知る大手企業のロゴが並び、
その中央には――真帆がかつて仕えた山口県選出の大物代議士の名前が、当然のようにあった。
「……でっかい仕事になったもんじゃの」
フロントで資料をめくりながら、
安岡真帆は小さく息を吐いた。
このイベントが実現したのは、
間違いなく“あの人”の口利きだ。
戦隊ヒロインプロジェクトを陰で支え、
政権中枢と太いパイプを持つ人物。
そして、真帆を秘書として鍛え上げ、
「いずれは地盤を任せる」と言われている存在。
――顔を立てない、という選択肢はない。
問題は、構成だった。
イベントの中心に据えられているのは、
人気者のヒロイン・陽菜。
スポンサーの意向は明確だ。
・登場回数を増やす
・トークもセンター
・最後の締めも陽菜
控室では、
主治医の藤崎紗絢と、看護学生の松本美紀が、
同じカルテを覗き込んでいた。
「……正直に言うで」
紗絢は低い声で言う。
「最近の陽菜は、長丁場は無理じゃ」
「イベント自体は可能ですが、出番を絞らないと危険です」
美紀も珍しく強い口調だった。
「笑ってるから大丈夫、は通用しません。
今日は“見せ場を作る日”じゃなくて“帰す日”です」
その言葉を聞いた瞬間、
真帆の胸の奥が、ぎしりと音を立てた。
フロントに戻ると、
すでにスポンサー側からの連絡が入っていた。
「代議士先生も楽しみにされてますから」
「やはり陽菜さん中心で」
丁寧な口調。
だが断る前提は、最初から存在しない。
真帆は受話器を置き、
椅子に深く腰を下ろした。
実家は宇部市の土建屋。
公共事業、選挙、陳情――
どれだけ世話になってきたか、数えきれない。
自分が将来、
市議から国政に進むとき、
この人の地盤を引き継ぐ。
それは既定路線だ。
「……ほんま、人生は交渉やな」
ぽつりと漏れた山口弁が、
自分でも苦笑いを誘った。
その夜、
真帆は紗絢と美紀を呼んだ。
「医学的に、絶対に譲れんラインを教えて」
紗絢は即答した。
「連続出演は不可。
途中で必ず休憩。
それが飲めんなら、医者として止める」
美紀も頷く。
「私も付き添います。
無理そうなら、途中でも切ります」
真帆は静かに頷いた。
「分かった。
じゃあ、政治側は私が引き受ける」
翌日。
スポンサー側との最終調整の場で、
真帆は一歩も引かなかった。
代議士の名前が出ても、
圧が強まっても、
笑顔は崩さない。
「先生の顔を潰すつもりはありません」
「だからこそ、事故は絶対に起こせないんです」
理屈ではなく、責任で押し切った。
結果、構成は修正。
陽菜の出番は減り、
フォロー役が厚くなった。
イベント当日。
陽菜は短時間の出演ながら、
いつも通りの笑顔で拍手をさらった。
舞台袖で、
美紀が小さくガッツポーズをする。
「……生きて帰れそうですね」
「当たり前じゃ」
紗絢が鼻で笑う。
終演後、
代議士から真帆に短いメッセージが届いた。
《よくやったな。
フロントは、ああでなくては》
真帆は、深く頭を下げた。
スタッフがひそひそ話す。
「安岡さんって、
あんな柔らかいのに怖いですよね」
「笑いながら、
一番重たい決断する人だよな」
真帆は聞こえないふりをして、
いつもの席に座る。
フロントは今日も忙しい。
だが彼女は知っている。
顔を立てるのも仕事。
命を守るのも仕事。
両方できなければ、前には進めない。
そうやって、
安岡真帆は今日も“何事もなかった顔”で
ヒロ室の一日を回していくのだった。




