世界より遠くて、いちばん近い拍手 ― 玲香、石巻で原点回帰す
北関東スリーアローズと行動を共にするようになってから、佐々木玲香の肩書きは、いつの間にかこう呼ばれるようになっていた。
「整流型MC」。
叫ばない。煽らない。
空気が荒れそうになったら、そっと流れを変える。
時間が押したら、観客ごと丸め込む。
そんな玲香にとって、この日は特別だった。
――地元・宮城県石巻市。
漁港の街であり、巨大な製紙工場の煙突が海風に溶け込む街。
魚市場の威勢のいい声と、工場の低い唸りが同居する、働く街。
都会でも観光地でもないが、生活の重みが地面に染みている場所。
玲香は、正直この街を少し避けてきた。
「地元タレント」扱いされるのが、どこか恥ずかしかったからだ。
イベント会場は港近くの広場。
潮の匂いがする。
「……さて、凱旋公演だな」
るみねぇがニヤニヤしながら言う。
「やめてください、その言い方」
「いいじゃん。今日の主役だよ」
北関東スリーアローズの唯奈と結花も、どこか緊張している。
「玲香の地元って、静かだって聞いたっぺ」
「拍手が小さい分、怖いですの……」
そして、玲香の出番。
名前が呼ばれ、ステージに出た瞬間――
拍手が起きた。
大歓声ではない。
キャーキャーもない。
だが、明らかに“違う拍手”だった。
(……あ)
それは、知っている音だった。
応援というより、「見守る拍手」。
玲香は、少しだけ言葉に詰まり、すぐに整えた。
「お帰りなさい、って言われてる気がしますね」
観客が、静かに笑う。
開始して10分。
敵は、やはり現れた。
――突然の雨。
霧雨のように、しとしとと。
さらに追い打ち。
――副市長の挨拶が、長い。
体感10分。
実際10分。
話は悪くないが、とにかく長い。
唯奈が袖で囁く。
「玲香、これ……詰んだっぺ?」
「大丈夫」
玲香は、時計を見ない。
挨拶が終わった瞬間、すぐにマイクを取る。
「副市長、ありがとうございました。
石巻愛が強すぎて、時間が溢れましたね」
会場、クスッ。
「ここからは、雨にも負けず、
予定にも負けず、
私たちで“続きを作りましょう”」
誰も不満を言わない。
むしろ、空気が和らぐ。
唯奈は暴走しそうなところを、
「30秒で!」の一言でまとめられ、
結花は間を活かして拍手誘導。
「……この二人、扱いやすくなったな」
るみねぇが、腕を組んで頷く。
イベント終盤。
雨は止み、空が少し明るくなる。
最後の挨拶。
「私は、正直この街から
ちょっと目を逸らしてました」
ざわつくが、誰も嫌な顔はしない。
「でも今日、分かりました。
ここで拍手をもらえるのが、
こんなに嬉しいとは思わなかった」
拍手が、さっきより少しだけ大きくなる。
ステージ裏。
「合格点」
るみねぇが、短く言った。
「十分。
アンタ、ちゃんと“地元のMC”になったよ」
玲香は、ふっと笑った。
浜松の河合美音が言っていた言葉が、ふと浮かぶ。
――「わかってくれる人だけでいい」
(……こういうことか)
東京。世界。
それは遠くて眩しい。
でも――
この拍手は、近くて、温かい。
玲香は、心の中でそっと決めた。
まずは、地元をちゃんと歩こう。
世界は、その先でいい。
潮の匂いのする風が吹く。
石巻の空は、思ったより広かった。
――佐々木玲香の物語は、
ここでいったん、静かに一区切り。




