歌は天使、生活は迷子――国立の歌姫・藤原詩織の取扱説明書(未完成)
世間は彼女をこう呼ぶ。
国立の歌姫・藤原詩織。
北欧系クォーターの端正な顔立ちに、澄み切った天使の歌声。
ステージに立てば、会場は一瞬で静まり、次の瞬間には拍手の嵐。
──なのに、舞台袖に下がると、コードに足を引っかけ、マイクを逆さに持ち、椅子に座ろうとして空振りする。
この落差が、致命的にウケた。
「かわいい……」「放っておけない……」
そんな声が、未就学児から保護者層まで一斉に湧き上がり、
詩織は気づけば人気戦隊ヒロインの仲間入りを果たしていた。
グッズ売り場では、
「しおりんの歌、また聴きたい!」
「この子、品があって安心よね」
と、親子連れが列をなす。
子どもが好きで、幼い一面もある彼女は、自然と子どもの目線にしゃがみ込み、
「いっしょに歌おっか?」
と屈託なく笑う。
その姿を見た保護者の心は、だいたい三秒で落ちる。
ヒロ室フロントでも評判は上々だ。
遥室長は穏やかに頷き、
「詩織ちゃんはね、家柄も良くて、品行方正で……安心感が段違いなの」
隼人補佐官も真顔で、
「イベントに送り出しても、主催者側から一切クレームが来ない。これは重要です」
と太鼓判。
すみれコーチに至っては、
「……歌わせときゃ問題起きねぇタイプだ」
と、最大級の評価を与えている。
チーム内での評判も、概ね良好だ。
同い年の美月・彩香・綾乃とは特に仲が良い。
もっとも、精神年齢が一番下なのは詩織で、
彼女は三人を「お姉ちゃん」扱いする。
「美月お姉ちゃん、それ危ないよ……」
「彩香お姉ちゃん、怒らないで……」
「綾乃お姉ちゃん、これどうするの……?」
結果、
「なんでウチらが世話焼いとんねん」
「この子、放っといたらあかん」
と、自然に面倒を見る流れが出来上がった。
さらに特筆すべきは、
千葉の叡智・館山みのりと駿河の良心・杉山ひかりの存在だ。
年下にもかかわらず理知的でしっかり者の二人は、
詩織の一般常識の欠落を瞬時に察知し、
「伝票は私が書きますね」
「機材は触らなくて大丈夫です」
と、さりげなくフォローに回る。
詩織はというと、
「みのりお姉ちゃん……ひかりお姉ちゃん……」
と、完全に年下に姉を見出す逆転現象を起こしていた。
この三人が揃うと、現場はなぜか平和だ。
詩織が歌い、
みのりが段取りを整え、
ひかりが全体を柔らかく包む。
──完璧である。
歌わせておけば。
だが、すべてが順風満帆というわけではない。
ヒロ室の隅で、静かに、しかし確実に視線を送る三人組がいる。
澪、沙羅、理世──ベイサイドトリニティである。
「……また詩織?」
「正直、そこまでかしら」
「……納得いきません」
彼女たちは知っている。
自分たちが伸び悩む一方で、
詩織が何もしていないように見えて、全部持っていく存在であることを。
だが当の本人は、
「え……私、何かしました?」
と、心の底から不思議そうだ。
歌っているだけで、
笑っているだけで、
何かを壊しても、誰かが直してくれる。
そう、藤原詩織は──
世間知らずで、頓珍漢で、
でも誰よりも愛される、
歌うだけで場の空気を変える天災型ヒロインなのだった。
今日も彼女は、
「次は何を歌えばいいですか?」
と無垢に尋ね、
周囲が慌てて環境を整える。
世界はまだ、
この歌姫を完全には扱いきれていない。




