尾張弁はニャン語だった件――国立の歌姫、また一線を越える
国立の歌姫・藤原詩織は、今日も平和に頓珍漢だった。
きっかけは、ヒロ室の片隅で交わされた、器用な愛知県人の山田真央との何気ない雑談である。
真央はいつも通り、ドギツイ尾張弁でノンストップだった。
「それなぁ! ほんなら、こうガーッてやって、ドーンだがね!」
「……なるほど……」
詩織は、うんうんと深くうなずいた。
内容は一切理解していない。だが、なぜか“意味は伝わってくる気がした”。
その瞬間、詩織の脳内で一本の回路がつながる。
(……これ、猫に話しかける時の感覚と同じ……?)
その夜、藤原家。
リビングのソファには、藤原家の宝──
血統書付き、英国生まれの上品な高級メス猫「オーロラ」が鎮座していた。
毛並みはシルク、視線は女王。
鳴き声は「にゃ」ではなく「……ふん」。
詩織は、そっと近づき、しゃがみ込む。
「……オーロラちゃん……」
猫は見もしない。
詩織は、意を決した。
真央を思い出し、全身に“尾張弁”を宿す。
「なぁ〜、オーロラぁ?
今日も可愛ええがねぇ〜!
ごはん食べたんか? ほれ、食べときゃぁ!」
猫の耳が、ぴくりと動いた。
詩織は息を呑む。
「ほらほら、ツンツンしとらんで、
撫でさせたらええがねぇ!」
オーロラが、ゆっくりとこちらを向いた。
「……?」
一拍。
そして。
ゴロ……ゴロゴロゴロ。
「通じた……!」
詩織は、勝った顔をした。
その様子を、キッチンから父と母が眺めていた。
「……また変なことやってるわね」
「……いつものことだね」
父・藤原聡──世界的指揮者、マエストロ藤原。
音楽には鬼のように厳しいが、日常生活ではポンコツ寄りの天才である。
二人は放置するつもりだった。
だが、オーロラのゴロゴロが、あまりに本気だった。
「……ねえ、あなた」
「……うん。通じてる気がする」
詩織はさらに畳みかけた。
「ほらぁ〜、ええ子やがねぇ〜!
撫でられて嬉しいんだわねぇ〜!」
猫は完全に溶けた。
そこで、マエストロ藤原が、ぽつりと言った。
「……私も、やってみようかな」
母が止める間もなく、彼はしゃがみ込む。
そして、人生で初めて“尾張弁”を口にした。
「……オ、オーロラ……
ええ……その……
な、なかなか……ええ猫だがね……?」
猫は一瞬、固まった。
三秒後。
ゴロゴロゴロゴロ。
「……通じた」
マエストロ藤原は、静かに感動した。
「これは……言語ではないね」
「でしょう?」と詩織。
「リズムと圧と愛情だ」
「そうなんです!」
親子は深くうなずき合った。
その後、藤原家では
・猫に話しかける時は尾張弁
・叱る時は関西弁(なぜか効果あり)
・褒める時は標準語
という謎ルールが成立した。
翌日、ヒロ室。
詩織は真央に、目を輝かせて報告した。
「真央さん……尾張弁、猫に通じました」
「はぁ!?」
「ニャン語です。多分」
真央は爆笑した。
「何言っとるだがね!
……でもまぁ、通じとるならええか!」
こうしてまた一つ、
国立の歌姫・藤原詩織の理解不能伝説が増えた。
歌は世界級。
理屈は皆無。
だが猫には、なぜか優しい。
ヒロ室の誰かが、ぽつりとつぶやいた。
「……この子、戦隊ヒロインじゃなかったら、
動物番組に出とったな」
今日も平和である。




