初恋ウルフ
ねぇ。
いつまでも幼なじみ面して付きまとわられるのは、迷惑?
高校生と中学生。
たった一個の違いなのに、何だか君は遠くなってしまったみたい。
そう思ったら、右手に握り締めた小さな手紙、郵便受けに入れられなかった。
くしゃり、歪む音がした。
行かないで、楓ちゃん。
「で? 結局渡せなかったんだ」
呆れたように雪菜ちゃんが頬杖をついた。
下がった眉毛は、綺麗なカーブを描いている。
「だってさ、高校生って何かもう別次元っていうか…」
「つまり怖じ気ついたわけね」
雪菜ちゃん、そんなはっきり言わないでよ~。
わたしのごにょごにょした言い訳なんか聞く耳持たず、で雪菜ちゃんはウェーブのかかった長い髪を掻き上げる。
「楓さんだっけ? 穂波の初恋兼幼なじみは」
「は、初恋だなんてそんな…!」
いやん、と乙女ぶって顔を隠したら頭を叩かれた。
痛いよ、雪菜ちゃん…。
「仕方ないっちゃ仕方ないけどねぇ。でも優しいじゃない? 毎日、帰りはここまで迎えに来てくれるんでしょ?」
「うん…。今のところね」
多分、今日ももうすぐ来てくれる。
「飽きられないように、トーク術でも学んでみたら?」
「雪菜ちゃん…心の底からどうでもいいんでしょ」
頬杖をついたまま、雪菜ちゃんはもう片方の手でリズム良く携帯を弄っている。
「昔からのお隣さん。一つ年上。器量もそこそこよし…ねぇ」
ぱちぱちと小気味よい音を鳴らしてから、雪菜ちゃんは携帯を閉じた。
メール、終わったのかな。
「少女漫画の王道シチュね。わー羨ましー」
「ちょっと! 雪菜ちゃん、目が死んでるよ! しかも超棒読み!」
「だってあたし、そんな純情ヒロイン趣味じゃないし」
慰めるつもりゼロじゃない!
非難じみた視線を送れば、雪菜ちゃんは形ばかり肩を竦めた。
「確かに、中学生と高校生の間には深い溝があるわよね。たとえ、たった一つの差でもねぇ」
「そう、そうなのよー! 楓ちゃんったら、まだ入学して一週間も経たないのに、急にどんどん大人っぽくなった気がして…っ」
置いていかれちゃいそう。
その言葉は飲み込んだ。
こんな風に友達に泣き付くなんて、ガキっぽいよね。
「言っちゃえば?」
あっけらかんと、雪菜ちゃんが言った。
「…何を?」
「寂しいってことも、楓さんを好きなことも」
嫌に妖艶に笑った雪菜ちゃんに、顔が大噴火した気がした。
な、な、な…!
「いっ、言えるわけないじゃん~っ! そんな、そんな、好きだなんて!」
「なら、寂しいってことだけでも言えば?」
付き合ってらんない。
そう言うように眉をひそめた雪菜ちゃんに、今度はちょっぴり静かに言った。
「…そんなの、もっと言えないよ」
ぎこちなく頬を持ち上げたわたしに、雪菜ちゃんは少しだけ目を見開いてから
「あっそ」
小さく呟いた。
だって、言ったら困っちゃうでしょ?
小さな子供の駄々こねに、いつまでも付き合ってられないでしょ?
ガキのお守りはごめんだよね。
少し大人になった楓ちゃんの目に、今のわたしはどう映ってる?
きっと、どうにかこうにか楓ちゃんの足元に必死でしがみ付いてる、イタい子なんでしょ。
どうせ。
そう卑屈になった時、席の横にある窓が鳴った。
ここ一週間の習慣になったこの音に窓を開ければ、見慣れた顔が覗いた。
「穂波、帰るぞ」
…キュン。
不覚にも、その声に胸がときめいてしまう。
悔しいから、いつもよりも素っ気なく返事をした。
「…うん」
茜に染まった空を仰いで、楓ちゃんの隣を歩く。
縁石の上を歩いても、楓ちゃんの顔はまだ遠い。
随分のっぽになっちゃってまあ。
「楓ちゃん、今身長どのくらい?」
つい気になって聞いてみたら、不思議そうな顔をされた。
「なんだよ、急に」
「いいじゃん、減るものじゃないでしょ?」
「…前測った時は70ちょいあったかな。明日身体測定あるから、教えてやるよ」
でかっ。
えー、わたし何センチだったっけ?
んー?
雪菜ちゃんが162で、それよりもっと低いからー…。
って、何でわたし自分のは覚えてないくせに雪菜ちゃんのは覚えてるの?
意味分かんない。
「何だよその顔。変な所に皺寄ってるぞ?」
「えー。寄ってないよー」
「いや、寄ってるから」
くすくす笑いながら、楓ちゃんはわたしの額に触れた。
ぎゃあああっ!
顔っ、顔が近いよ!
「…伸びた?」
心の中では大絶叫しながら、わたしは至って平静な声を出す。
これ、最近会得した技なんだ。
気持ち隠して、平気なフリするの。
慣れたら慣れたでけっこう厄介。
わたし、近頃素直じゃない。
楓ちゃんに変わってほしくないくせに、やれ部活に入れだの、やれ勉強しろだの、やれ…彼女を作れだの。
馬鹿みたい。
今のわたし、可愛くない。
こんな口うるさいオバサンみたいじゃ、幼なじみでも捨てられちゃうよ。
あーあ。
わたしが目指すのはガキでもオバサンでもなくて、その間なんだけどな。
真ん中、難しいね。
「…今日何かお前変じゃねぇ?」
「へ?」
そんなことを考えていたせいで、いかにも間抜けな声が出た。
よく考えたら、まだ楓ちゃんの顔は至近距離だった。
ひいいぃぃっ!
思わず真っ赤になっちゃいそうで、慌てて視線を反らした。
不自然じゃないように、さりげなくそっぽを向いて距離を取る。
「そうかな。別に何もないけど?」
「本当に?」
「…本当に。それよりもさ、高校の話聞かせてよ。やっぱ中学とは違うんでしょ?」
まだ納得してなさそうな楓ちゃんに、無邪気でガキ特有の好奇心を含んでるっぽい笑顔を向ける。
「そうだなー…。ちょっとは違うかもな。なんかテンションが高いっていうか、騒がしいっていうか」
わたしの質問に、楓ちゃんは生真面目に答えだす。
やっぱ、聞かなきゃ良かったかも。
楓ちゃんの口から違いなんか、聞きたくないかも。
楓ちゃんの話を聞くうちに、だんだんと足が重くなる。
わたしの両足、錘でも付いてるんじゃないの?
そう思うくらい足が進まなくなっちゃって、とうとう立ち止まった。
俯いたら、うっすら暗くなった地面にわたしの影だけがぽつんと長く伸びていて、何だか無性に切なくなる。
切ない気持ちが心を占領してきて、胸が苦しくなった。
ぎゅうぎゅうと締め付けられてるみたいで、何故か涙腺が緩む。
あれ?
態度が年とったから、涙腺も弱くなったのかな?
「穂波…?」
少し遠くで楓ちゃんがわたしの名前を呼ぶ。
一粒、フライングの雫がこぼれた。
駄目。
今口開いたら、全部言っちゃう。
言っちゃうよ。
「行かないで…置いてかないで…楓ちゃん…」
せっかく頑張って我慢してたのに、無意識に開いてしまった口は止まってくれなかった。
「穂波?」
「そんなに急いで大人にならないで! わたしを…わたしを待っててよぉ…」
困惑したような楓ちゃんの声もストッパーにはならなくて。
溢れる涙と一緒に、なんかもう、色々ヒートアップしていく。
「高校生になっちゃわないでよ! ずっと中学生でいてーっ!」
「んな無茶苦茶な…」
「わたしを置いてかないで、もうちょっとゆっくり歩きなさいよ馬鹿っ!」
「ゆっくりって…穂波が立ち止まるから…」
「うるさいっ! もう! ほら! こんなに離れちゃったじゃないか!」
ほら、とわたしと楓ちゃんの間を指差す。
自分が何を言ってるかも分からなくて、それでも顔は上げられない。
楓ちゃんが年上の顔でわたしを呆れたように見てるのなんて、知りたくないから。
「っていうか、最近は穂波から離れていくくせに…」
「なんか言った!?」
「いや、別に…」
楓ちゃんが黙ったのを良いことに、わたしは俯いたまま大きく息を吸い込んだ。
「変わらないでよ、楓ちゃんの…すっとこどっこいいいぃぃっ!!!」
「…で? 落ち着いたかよ」
「はい…」
楓ちゃんが買ってくれたカフェオレを両手で包み込みながら、わたしは頷いた。
一通り叫びまくって、しかも大泣きしたわたしを楓ちゃんは公園に連れてきた。
そろそろ日も暮れそうなこの時間に、公園で遊んでる子はさすがにいなくて貸し切り状態。
「ったく、あんな道端で暴れるなよな」
「別に暴れたわけじゃ…ない…と思う…よ?」
「なんでそんな自信なさげなんだよ」
「だって、何かわけ分かんなかったし…」
しゅんとしながら言うと、楓ちゃんは声を上げて吹き出した。
ちょっと子供っぽかった。
「…ごめんね。楓ちゃん」
「あのさぁ!」
カフェオレを見つめながら謝ると、突然楓ちゃんは声を大きくした。
思わず背筋が伸びる。
「俺、変わってないんだけど」
「え?」
「だから、穂波がそう思ってるだけでさ、正直中学とそんなに変わんないし。お前の前ではかっこつけて、違うとか言ったけど」
「楓ちゃん?」
「そんな、人って劇的には変わんないだろ」
少し言葉を切って、楓ちゃんは自分の買ったミルクココアを飲んだ。
確かに、ココア好きなのは昔のままかも。
「…ともかく! 俺は俺のままだから! いいな!」
「は、はいっ」
ちょっと青春ぽいことを言って恥ずかしくなったのか、楓ちゃんはそっぽを向いて、なんか唸っている。
イエス・サー!
ちっちゃい頃によくやった訓練ごっこを思い出して敬礼してみせたら、楓ちゃんにぐしゃりと頭を撫でられた。
「さ。帰るか」
「そだねー」
立ち上がった楓ちゃんに続いて腰を上げる。
ふと地面を見たら、細長い影は二つになっていた。
知らず知らず笑みが零れる。
…そういえば寂しい、みたいなことは言っちゃったけど、好きだとは言えなかったなー。
ま、いっか。
多分きっと、今はまだ手の掛かる年下幼なじみ。
でもきっと、いつかは目を離せない年下彼女、になってみせるから。
そのポジション、当分は空けておいてね。
もう歩きだした背中に向かって、オオカミみたいに両手を上げた。
逃がさないから。
覚悟しといてよ?
わたしは、君だけを狙うオオカミなんです。
その無防備な背中に、いつか噛み付いちゃうから、せいぜい後ろに気を付けてよね。
ガオー!
…なんてね。
『楓ちゃんへ。
楓ちゃん、高校生になってもわたしと一緒にいてね。
ずっとずっと傍にいてね。
入学おめでとう!
穂波より』