国外追放された黄金聖女はもふもふ神獣に溺愛される
――世の中、結局金が全てだ。
美しく着飾り、己を輝かせ、己の豊かさを誇示していればいい。
金さえあれば醜い貴族連中を鼻で笑い飛ばし、その上に立つことができる。
パーティー会場内において、アタシは誰よりも目立っていた。
総勢十人の使用人の手によって整えられた艶やかな金髪。宝石をふんだんに散りばめた金のドレス。そして、イヤリングやブレスレット、首飾りまで全て黄金。
生まれが貴族だからというだけで贅沢ができる貴族連中より、アタシが一番華やかだ。
「見てくださいまし、黄金聖女ですよ」
「あれは全て王家から強請ったお金でできていらっしゃるそうよ。正気じゃないわ」
令嬢たちから嫉妬の視線が向けられ、ヒソヒソと悪口を囁かれても構わない。だってそれは所詮負け犬の遠吠え。聞く価値のない、愚か者の戯言だから。
アタシの美しさを誰もが認めている。
アタシの豊かさを誰もが認めている。
アタシは聖女。この国――グリフィンス王国の癒し手で、黄金聖女という二つ名を持つ。
ただの平民の小娘から成り上がり、今ここで王家主催のパーティーの主役として光り輝いていた。
その、はずだった。
偉そうな顔で、のこのこ入場してきた名ばかり婚約者の王太子がアタシに鋭い眼光を向け、指を突きつけながら叫ぶまでは。
「――聖女ウェルシー! お前の数々の所業、到底容認できるものではない。よって婚約は破棄とし、国外追放処分にすることが先刻決定した!」
金だけが全て。
黄金に着飾れば誰もがひれ伏し、崇め称える。
そんな現実が音を立てて揺らいだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
神託が降りたことによって、アタシが聖女に選ばれたのは十五の時。
それまでろくに食事にもありつけないような生活を送っていたアタシにとって、それはとても幸運なことだった。
「貧しい生活なんて懲り懲り。絶対に、幸せになってやる」
拳を固めたアタシだったが、アタシの幸せを阻む者は多かった。
神殿にて、「平民だから」とアタシを蔑む目で見てくる神官たち。聖女という地位に与えられる褒美として婚約させられたものの、公の場以外では一度も顔を合わせたことのない、美形なだけで他に取り柄がありそうにないレイダール・バリィ・グリフィンス王太子。
それでも聖女の仕事はきちんとやった。
なのにいくら人々を癒しても、アタシの毎日は幸福から程遠いものだった。
そんな時、無理矢理出席させられたパーティーで、キンキラキンの衣装を纏いながら談笑する裕福な令嬢の姿を見て思った。
――アタシもああいう風になったら、幸せになれるのかも知れないなぁ、と。
それからは早かった。
一人癒すにつき一枚、王家へ金貨を求めたのだ。それまで無償でやっていたのは、聖女の義務だからと自分に言い聞かせて耐えていただけ。
でもよく考えてみればあれは立派な労働だから報酬をもらわなければおかしい。
「今日は百七十人癒したから百七十枚、きっちりくださいな」
「……わかった」
朝は女神に祈りを捧げ平和を願い、昼日中は怪我人や病人を癒して回る。
そんな聖女を失うのは大きな損失だ。だから国王も、アタシには逆らえない。
そうするうち、アタシの元にはたくさんの金が溜まった。
アタシはまずそれを使って髪を染めた。平民にありがちな茶色の地味な髪は、光り輝く黄金へと変わり、まるで別人のようになる。
次は着飾るためのドレス。アクセサリーも忘れない。
そうして身の回りを整えれば、アタシはパーティーで見た誰よりも輝く存在となった。まるでアタシがこの世の主役だ。
その頃からだろうか、黄金聖女の名がついたのは。
しかしそれでも足りない。
幸せにはまだ程遠くて、もっと豊かになれば幸せになれると信じた。
もはや城のような豪邸を買い込み、王家から頂戴した金で豪遊しまくる。それでも貯蓄は増えていく一方で、世界各国から美味しいものを取り寄せたりもした。
でもただ遊んでいただけではない。明日倒れそうな家族を見たら金をばら撒き、そうでない者にもアタシの金をくれてやっていた。
アタシを求める平民たちは、黄金聖女とアタシを褒め、受け入れてくれた。
アタシは誰よりも恵まれた存在。この国では今や一番の金持ちだ。このまま王妃になって、王太子を尻に敷いてやる。それこそがアタシの幸せへの唯一の道――。
なのにどうして、断罪されなくてはならない?
なのにどうして、アタシが悪いことになる?
「――聖女ウェルシー! お前の数々の所業、到底容認できるものではない。よって婚約は破棄とし、国外追放処分にすることが先刻決定した!」
告げられた言葉の意味を呑み込むのに、それほど時間はかからなかった。
そして理解した瞬間、湧いてきたのは怒りだった。
「何ですか、レイダール殿下? アタクシが何か悪事を働いたとでもいうのですか?」
言葉遣いだけはなるべく丁寧に。その方が侮られない。
アタシは胸を張ってまっすぐに相手を見つめる。顔だけ王太子と、彼の隣に並び立つ――おそらく新たな婚約者にする予定なのであろう、名も知らぬ令嬢を。
「その自覚もないのか。まったく愚かな女だ。王家の上に立ち、貶めようとする。これはグリフィンス王国を揺るがしかねない所業であり、あってはならないものだ」
「アタクシは働きに見合う相応な対価をいただいていたのみですが」
「相応な対価だと!? ふざけるな、金貨一枚は平民が十年暮らしていけるほどの大金だぞ」
「当然そんなことは承知の上です。
レイダール殿下、アタクシの働きがただの平民に見合うとでも思っていらっしゃいますか? 王族として帝王学を学ぶだけで、あとは人を顎で使いながらだらけていればいい王族におわかりになりますか? 貴族という地位に甘え、生まれながらに恩恵を受ける貴族たちにわかってたまるものですか」
世の中、金が全てだ。
そう思ってきたからアタシは必死に稼ぎまくった。そのおかげでどこにでもいる小娘だったアタシは美貌を手に入れた。豪邸も、美味しい食事にありつける毎日も、何もかも我が物にした。
その苦労を王太子らはわかっていない。
「それなのに婚約破棄? ましてや追放? 冗談じゃありません。今すぐ撤回なさい」
しかし相手は怯まなかった。怯むどころかますます目を吊り上げて、がなり立てる。
「聖女だからと言って何でも許されると思っているのか! 着飾るだけの能無し聖女のくせに! お前のような聖女は存在しない方が国の得、それが王家の総意であるぞ!」
着飾るだけの能無し聖女。
存在しない方が国の得。
そこまで言われてしまえば渇いた笑みしか出てこない。
元々は神託が降り、王家と神殿に求められてやっていたことなのに。
アタシは聖女だが、身分はまだ平民。いくら金を持っていても、王族と違って兵隊は持っていなかった。
パーティー会場には衛兵がいる。抵抗したところで、あれに酷い目に遭わされるだけだ。
はぁとため息を吐く。そして顔だけ王太子を睨んだ。
「それであなたは、そこの令嬢と結婚するというわけですね。へぇ。アタシみたいな美しさもなければ財力もない、ただちょっと胸がデカいだけの小柄な令嬢と!
わかりました。いいのですね、アタシが出て行っても。天罰が下りますよ?」
「天罰? くだらん。女神様がお間違えになったのだろう。お前は到底聖女に相応しい人間には見えないからな!」
もう、付き合っていられない。
黙っているとアタシの周りを衛兵が取り囲み、アタシをパーティー会場から引きずり出す。誰よりも輝いていた主役のはずのアタシを見つめる貴族連中の顔は微笑んでいたが、それが嘲笑だったのかアタシがいなくなったことへの安堵だったのかはわからない。
――幸せになるって決めたのに、頑張ったのに、結局これか。
ひどくやるせない気持ちになって、アタシは目を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
これからどうすればいいのだろう。
髪はまだ金色だ。ドレスもアクセサリーも持っている。けれどアタシは、身につけているもの以外全ての財産を失ってしまった。
ここは国外。馬車に押し込まれ、連れて来られた先は名前も知らない国境沿いの街で、そこからトボトボとずっと歩き続けている。
空腹になったのでアクセサリーを売って金を作り、近くで売っていた適当なものを食べた。美しかったアタシのメッキが剥がれていくような気がして怖かった。
ああ、どうしてこんなことに。
アタシは努力した。努力しても幸せになれないのは、生まれが悪かったせいだろうか。
――あてもなく彷徨いながら思い出していたのは、生まれ育った家のこと。
アタシを産んで三年もせずに浮気し、家を出た母親。酒を浴びるように飲むだけで働かない父親。
その中でアタシはかろうじて生き延び、五歳になる頃には大人に混じって働かされるようになった。
十歳の時に父親は死んだけれど関係ない。どれほど厳しい仕事でもできなければ明日食っていけないのでやるしかないのだ。
そんな切羽詰まった日々を、聖女に選ばれるその日までずっと続けていた。
幸せなんて見えなくて、毎日歯を食いしばって生きていたから、聖女になれると聞いた時は最高に嬉しくて。なのに今は、あの頃に逆戻り……勝手の知らない隣国に移されたから状況はもっと悪い。
見知らぬ森の中に入る。
いっそのこと背後から獣にガブリとやられて逝った方が楽なんじゃないか、なんて思った。
この先生きていくとして何の希望がある? 富も名声も失い、金が尽きたあとは重労働するか体を売って娼婦になるかしかないようなアタシには、真っ暗闇しか見えないから。
「幸せに、なりたかったなぁ」
せっかく聖女になったのに、何もできなかった。
アタシはどうすれば良かったのだろう。
わからない。わからなくて悔しくて、涙がこぼれそうになったその時――。
「――――それなら、私が救ってやろうぞ、女神の愛し子よ」
低く、頭を震わせるような声が、響いた。
それは確かに聞き間違いではなかった。
伏せがちにしていた顔を上げれば、森の奥の方、遠くに白いナニカが見えた。もさもさの毛をして長い尻尾を揺らすナニカが。
まさかあれが喋ったというのだろうか。
化け物? それとも単に、疲れ切ったアタシの幻聴?
しばらく白いそれを見つめていると、向こうからのっしのっしと歩いてきた。その歩き姿を見て気づく。
「猫、ですか……?」
「聖女の知る生物ではそれが一番近いであろうが、猫ではない。私は神獣、マイロという者だ」
神獣。それはおとぎ話の中の存在だ。
女神様が作り出し、地上へと送り出したそれは、人知れず人間たちを監視している。だから悪事は働いてはならないと、子供への教訓に使われているのだと聞いたことがある。
アタシはおとぎ話なんて両親から聞かせてもらった経験は一度もないが。
「嘘でしょ、本当にいるの、神獣って」
驚きのあまり素の口調になる。
至近距離で見れば見るほど、ずんぐりむっくりな猫にしか思えない。
すぐ目の前までやって来たので、アタシは試しにもさもさの毛に触れてみた。そして、ふぁっと目を見開く。
「何これ、柔らかい!」
「そうであろう、そうであろう」
その感触はあまりに気持ち良過ぎた。
ふわふわで、もふもふ。突然現れた温もりに全身の力が蕩け、アタシはそのマイロとかいう神獣の毛並みに顔を埋めてしまう。
「全部どうでも良くなるくらいに気持ちいい……」
「私は女神様のお力をわけていただいている。故に私の毛には聖なる力が宿っているのだ」
先ほどまであれほど思い詰めていたのに、わけもわからない神獣に触れただけで悩みが薄らいでいる。
説明がつかない、あまりにも異常な事態。それなのにアタシは顔を上げられず、両手を毛並みに突っ込んでもふもふもふもふと撫でくりまわすことをやめられなかった。
「好きなだけそうしているが良い」
猫のような真っ青な瞳がアタシを見つめ、小さな牙を見せながら微笑んだ。
マイロは女神様に遣わされた神獣のうちの一匹。
普段は決して人の前に姿を現さず、森の奥でひっそりと生息しているのだが、女神様から直々に頼まれ、女神の愛し子――つまりアタシを救う役目を与えられたのだという。
「そんな話、にわかには信じられない……」
「そもそも聖女が存在する時点で女神様の存在は確固たるものだと理解しているであろう? 女神の愛し子よ、それならばなぜ神獣の存在を疑うのだ?」
「それはまあ、確かに」
喋りながらもずっともふもふさせてもらっている。
グリフィンス王国に建てていた豪邸にもたまに猫がやって来ることがあったが、それとは比べ物にならない心地良さだ。きっとマイロが神獣だからなのだろう。
手だけでは我慢できなくなり、普通の猫の三十倍もある大きな背中に乗っかり、ドレスに毛がつくのも構わずに全身で毛並みを味わうことにした。
「神獣の仕組みも、あんたがどうしてアタシの目の前に出て来たのかもわかった。じゃああんたは、アタシを助けてくれるわけ? 確かにこのもふもふは気持ちいいけど、神獣って言ってもずんぐりむっくりな大型猫なんだからお金を吐き出してくれるんじゃないでしょ?」
「金は出せぬ。しかし私には愛し子の身も心も救うことは可能だ。望むなら、幸福へと導くこともな」
出会ったばかりの相手に言われてもどうにも信用できない。
金無くしてどうやって生きるというのだ。待っているのは過酷な労働、泥水を啜る日々に決まっている。
「怪訝な顔をしているな。仕方あるまい、実績で示すとするか。
女神の愛し子よ。五日間私の元で過ごせ。その間私が汝の心を満たすことができなければ、この森を出て行くが良い。しかし汝を私が幸せにすることができたなら――」
尻尾でアタシの金の神を撫でながら、神獣マイロは耳心地の良い低い声でとんでもないことを言った。
「私の花嫁と、なってほしい」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
蕩ける。蕩ける。体がふにゃふにゃになって、力が入らないくらい。
「ふわふわ……。このまま一生こうしていたい……」
朝はマイロに抱かれて目を覚まし、昼はその背中に乗って森を駆け回り木の実を集め、共に食事をとりながらゆっくりとした時間を過ごした後はまたマイロの腹の毛の上で眠りにつく。
あの出会いから四日目。アタシはもふもふでふわふわな日々を過ごしていた。
マイロは宣言通りにアタシを全力で幸せにして満足させようとしているのだ。「神獣の花嫁なんて冗談じゃない!」と言ったのは初日だけで、すぐにその魔性の毛並みに我慢できなくなり、あとはひたすら甘やかされる一方だった。
これが愛というものなのかも知れない。
両親に面倒を見てもらえた覚えのないアタシは、愛というものを知らなかった。金が全てだと、幸せになるためにはそれしかないのだと思っていた。
婚約者だった顔だけ王太子のレイダールも、アタシに愛を注いでくれることはなかったし。
花嫁になるだなんて言うけれど、神獣のマイロと子作りなんてできるのだろうか。
そんな風に思ったりはしたが、いつしかこのあたたかな愛を心から求めるようになっていた。もっと触れ合っていた。もっと言葉を交わしたい。温もりを感じたい。
「汝は可愛らしいな、女神の愛し子よ」
身も心も癒され、ふにゃりとした笑顔を浮かべるアタシに寄り添い、目を細めるマイロ。
その低い声が全身に染み渡って気持ちいい。お返しとばかりにアタシが彼の首元をくすぐると、ゴロゴロと雷のような音を鳴らしていた。
「女神の愛し子だから、アタシとこんな風に接してくれるの?」
気になって尋ねてみる。
するとマイロはゆるゆると首を振った。
「傷ついてなお、その魂が濁っていない。それを見たから私は、汝を花嫁にしたいと願ったのだ。……いわゆる一目惚れであろうな」
「ああ、そう」
平和だ。この森での暮らしは、どこまでも平和。
美しく着飾る必要もない。幸せな気分になれるものを探して豪遊しなくてもいい。
黄金にギラギラ輝く幸せはもういらない。白くふわふわした甘やかな日々に満たされている自分がいた。
……聖女の務めを果たせないことは、少々気がかりではあったけれど。
アタシが今まで癒してきた人々は、アタシの癒しを待っていたはずの人々は、どうなっただろう。
聖女を続けていたのは稼ぎのためが第一ではあるが、一応は聖女らしく苦しむ人が減ることを望んでもいたのだ。
「でももう聖女に戻れることなんてないんだし、気にしても仕方ないか」
そう呟いた、その翌日。
まさかあの顔だけ王太子がアタシを連れ戻しに来るなんて思わなかった。
「ウェルシー、やっと見つけたぞ!」
アタシたちが木の実の採取をしていた時、森のはずれにてその声は聞こえてきた。
聞き間違えるわけがない。アタシに婚約破棄をした張本人がなぜかこの森にいる。そのことがわかったアタシは、ガバッと身を起こした。
「汝の客人……というわけではなさそうだな」
「なんであいつがここに?」
アタシを追い出し、あの名も知らぬ令嬢と仲良しこよしやっているだろうと思っていたのに、今更アタシを訪ねてくる意味がわからない。
黒馬にまたがり、ずかずかと森の中に足を踏み入れたその招かざる客人が姿を現した。やはり王太子レイダールだった。
彼を前にすると黄金聖女だった時の記憶が蘇り、ピンと背筋が伸びる。
そしてなるべく丁寧にと心がけていた時の言葉遣いが久々に口からまろび出た。
「いらっしゃいませ、とは言いたくないですね。アタクシはあなた様をお招きした覚えはないのですけど?」
「なんだその口のきき方は。俺がわざわざ会いに来てやったのだぞ!」
顔だけ王太子が整った顔を存分に歪めてがなり立てた。
「お招きしていないので歓迎もしてもいません。ところで何用ですか?」
「そろそろ懲りた頃だろうと思ってお前を連れ戻しに来てやったんだ! 感謝するんだな」
「……は?」
何を言っているんだ、こいつは。
あまりに意味不明な言葉に、アタシは気の抜けた声を出さずにはいられなかった。
連れ戻しに来た? 感謝しろ? わけがわからない。
アタシを国外追放したのはアタシが王家から金を搾り取るから。それは今戻ったところで変わることではないし、何のための茶番だったのかという話にもなる。
しかし冗談にしては王太子の目が本気だ。というか、自分が正しいと信じて疑っていない者の目だ。
その目のままで彼は続けた。
「グリフィンス王国の危機なのだ。聖女たるお前がそれを救うのは当然のこと! さあ来い!」
黒馬から降りた彼はグッとアタシの手を掴んだ。
「何するのっ!」
「俺はお前に再びの機会を与えてやろうと思って――」
と、その時、アタシはふと背中に冷たいものを感じて振り返った。振り返った先に佇んでいたマイロは口からのぞく牙をギラつかせている。
威嚇、なのだろうか。普段のもふもふで癒される彼とはまるで印象が違っていた。
――そして。
「女神の愛し子に何をしている」
鉤爪のあるたくましい大型猫の腕が振るわれ、王太子の体を大きく弾き飛ばしていた。
「なんだ……!?」
地面に仰向けに倒れ、情けなくも悲鳴を上げる王太子レイダール。
そんな彼を覆うようにマイロは立ち、威圧の声を放った。
「汝が女神の愛し子を傷つけた不届き者か。私の森に侵入し、女神の愛し子へ再び危害を加えようとしたこと、許しはせぬぞ」
下がっておくようにと言われアタシはマイロの背後にいるのでその表情は窺えないが、さぞ恐ろしい顔をしているのではないかと思う。
「うわあああっ、来るな化け物! これはお前の仲間なのか、ウェルシー! それなら今すぐやめさせろぉ!」
「私は神獣マイロ。女神の愛し子を守る神獣である。汝は何をしにここへ来た」
王太子は全身をガクガク震わせている。鉤爪に抉られて足から血を流しているのだが、本人はその痛みもあまり気にならないほど恐怖しているらしい。
「お、俺は、ウェルシーを連れ戻しに来たと言っているだろうが……! 怪我人や病人が手に負えなくなったのだ! このままでは国が滅ぶ! だからっ」
「女神の愛し子を道具としてしか見ぬ者に、私は彼女を渡したりはせぬ。しっかりと彼女を見つめておれば事態に至らなかったであろうに、それも理解できぬ愚か者めが」
「だが悪いのは彼女だ! 平民のくせに王家より偉そうな顔をするから……ぎぁぁぁぁぁ!!!」
腕を振り上げる素振りをするマイロを見て、王太子が悲鳴を上げる。
先ほどまで彼に対して怒りを抱いていたものの、こうなると少し哀れになってきた。
もっとも、因果応報なのだが。
「マイロ、そこら辺にしといて。ちょっと話したいことができたから」
「このような性根の腐った男と話しても何も徳はなかろう」
「いいの、お願い」
お尻の毛をもふもふしながら頼めば、「仕方ないな」と言ってアタシが前に出ることを許してくれる。
マイロは優しい。たとえ神獣だろうと関係ない。アタシはマイロとずっと一緒に過ごしたいと、そう思った。
それより前に、この王太子を片付けなくてはならないけれど。
「レイダール殿下。お困りなのでしたら、アタクシに提案があります」
「提案、だと……?」
「そうです。いくらアタクシを裏切った国とはいえ、癒した人々には思うところがあったのです。ですから、条件付きで、救って差し上げてもよろしいですよ?」
アタシはまさに聖女のような笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アタシが今滞在しているこの国は皇国であるらしいことはこの森に来る前、街で聞いて知っていた。
皇国は豊かで過ごしやすい国だという。そこでグリフィンス王国を皇国の属国とし、皇国の手によって統治するようにしてはどうかとアタシはレイダール王太子に提案した。
癒しを求める者はこの森に連れて来させ、ここで治療すればいい。
属国になれば国境という観念もないから、平民でも行き来しやすいだろう。
「な、何を言う! つまり実質俺たち王家は」
「皇国に屈する形になります。ですがどうです? 国ごと滅ぶよりは、属国として存続した方がいいでしょう。
アタクシは再びレイダール殿下の婚約者になるのはお断りですので、ご期待には添えません」
「……そんな」
王太子は蒼白になった。
「アタクシの財産があるでしょう? 金貨も屋敷ももういらないのでそれをばら撒いて民の貧しさを和らげてあげてください。言っておきますけど、私服を肥やすために使ったら承知しませんからね」
世の中、金が全て。
あの時はそう思っていたけれど、今のアタシにはもう必要なくなった。だから、豊富にあった資産は民のためなら使わせてやろうと思う。
さすがにいくら愚かでも、アタシが提示した道しか希望はないと理解したのだろう。レイダール王太子は項垂れ、黒馬で道を引き返していった。
そうして、森に平穏が戻って来る。
「ただで返してしまうとは、汝は優し過ぎるのであるまいか?」
「属国になるのは結構過酷だと思うよ、あの王家にとっては。でも仕方ないよね、アタシっていう聖女を追い出したんだから。――そんなことより」
もふもふなマイロに抱きついたアタシは、彼の顔を見上げる。
巨大な猫というだけなのに、とても凛々しさを感じる顔。それでいてもこもこで思わず撫でたくなってしまう。
「アタシ、マイロの花嫁になってあげる」
「本当に良いのか? 王太子を退けるための言い訳ではなかったのだな」
「そんなわけないでしょ。だって毎日もふもふして癒され放題だなんて控えめに言って幸せじゃない?」
幸せになりたい。その願いは、たった五日で叶えられてしまった。救われてしまった。
だから約束通り、花嫁になってやろうと思うのだ。
「そうか。汝は……ウェルは、私の花嫁になってくれるのか。それはとても、喜ばしいことだ」
優しい声音でそう言いながら、とても愛しそうに名を呼んで、抱き寄せてくれる。
そしてアタシの全身をもふもふで包み込んだ。
その日、アタシは神獣の花嫁になった。
それから数ヶ月後。
グリフィンス王国が帝国となり、その結果、アタシの要望通り国境が開いたおかげで森の中でひっそりと人々を癒すようになった。
今のアタシを黄金聖女と呼ぶ者はもういない。
髪はもう染めていないから、元々の茶髪に戻った。ドレスももうとっくの昔に売り払い、森の環境に適した薄手の布一枚だ。
それでも人々――グリフィンス王国も、それだけではなく皇国の人たちまでやって来るようになった――は、アタシを以前と変わらず慕ってくれていた。
黄金聖女じゃなくてもアタシを求めてくれる者がいる。それは非常に嬉しいことだ。
以前までならば仕事の報酬は王家からぶんどっていたが、今は違う。
仕事終わりのご褒美は――。
「マイロ、キスして?」
「本当に可愛いな、私の花嫁は」
木々の影に隠れ、ずっと遠くから見守っていたマイロが姿を現し、アタシはその胸に飛び込む。
マイロの穏やかな笑顔がアタシに迫り、口を閉じたままでアタシの唇と触れ合った。
マイロは人間ではないから濃厚なキスなんてできない。けれど彼の口元は湿っぽくて柔らかく、心地良いのだ。
それからあとはひたすら互いの体を重ね、愛を確かめ合うのだった。
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