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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

もやうお泳ぎ 

掲載日:2023/05/17

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんなは、ステージなどでスモークを焚く理由は知っているかな?


 ――光の演出効果を高めるため。


 おお、よく知っていた。前回が光の性質についての授業だったし、そこからの関連とかを考えたのもあるかな?

 光はその源を見るか、何かに反射しているのを見ないと、我々は光っていると認識できないようなのさ。月が太陽光を照り返していることで、観測できるのはみんなも知っているよな?

 スモークもそれと同じような効果で、光の筋を視認できるようにし、臨場感を高めるのに一役買っているというわけだ。火事と隣り合わせだから、無断で「ほいよ〜」と気楽に使えはしないんだけどね。


 意図が読めるスモークはいい。だが得体のしれない煙は、誰しもが違和感を覚えるだろう。

 遺伝子が太古より引き継いできた、危険察知能力なのかもしれない。

 先生の昔の話なんだけど、聞いてみないか?



 あの日は、布団に入りながらもどこか体の震える朝だった。

 つい布団にくるまったままぐずぐずしてしまうが、目覚ましが無情にもリミットを告げてくる。

 昨晩のうちに枕もとへ置いていた着替えを取るも、布団の中に入ったまま、もぞもぞと脱ぎ着を済ませていった。

 パジャマよりもいくらか厚着になれば、動きやすくもなる。先ほどまでの緩慢さがウソのように、元気に布団をはねのける先生は、部屋の窓のカーテンへ近づいていく。


 はじめは、雪が降っているのかと思った。

 それくらい、窓の外はうっすら白みがかっていたんだ。しかしよく見てみると、白みは近辺の家の屋根や壁と重なると、もやもやと落ち着かない上下動を繰り返しているのが見て取れた。

 積もった雪なら、もっとどっしり構えているはず。そいつがもやのたぐいと察したとたん、先生の中でみるみる興味が萎えていくのが分かったよ。


 親の話だと、夜が明けてからこの調子らしい。

 いちおう、先生の地元は山の近くということもあって、霧がこのあたりで観測されるのも、まったくないわけじゃなかった。今日もそのような日なのかと、カッパや長靴を用意して、雨の時のような格好で学校へ向かったよ。

 肌寒さはあるも、それ以上に足元の濃さが尋常じゃなく、この部分だけは霧かもしれないと思ったさ。

 つま先から脛当たりまで、ほとんど足元が隠れてしまうほどの濃度。いくらも動かないうちに、長靴のゴムの外側が湿りきって、どこかに少しでもこすれると音をしきりに出してくるほどだったな。

 朝は運動靴で登校していた面々も、親にあらかじめ持たされていたのか。学校へ着くと濡れた靴下を取り替えていたし、下駄箱で長靴を代わりに入れ替えている姿もあったよ。


 足元より高い空中は、多少もやがかかっているか程度で、ほとんどの生徒は視認に支障はない。

 それでも、今日行う予定だった体育が保健の時間に変わったときは、「はて?」と思ったさ。グラウンドを使う種目なら分からなくもないが、先生たちのクラスはバレーボールで体育館を使う。外の気象の影響は受けないはずだ。

 なのに、どうして保健の授業へ切り替えたのだろう。

 あとで他のクラスにも尋ねまわったところ、同じように体育のあるクラスは、すべて保健の授業に変更。普段は授業に入らない生徒指導の先生までもが代講に入るし、授業以外でも校舎内の低い階における、あらゆる出入り口が閉めきられている。

 まるで生徒たちを内側へ閉じ込めるような格好だった。


 帰りのホームルームで、いずれのクラスでも注意があった。

 外はすっかり高い位置にあった霧が晴れているが、あのすね当たりまでのものは、なお濃くとどまっている。

 注意の内容としては、今日は寄り道せずに早く帰るようにし、靴なども長靴に取り替えていない人がいたら、そちらへ履き替えることをおすすめされた。

 持っていない生徒は学校側のストックも出すとのことで、実に3桁を超える数が放出される。

 これには先生以外にも不審な色を隠せずに、事情を尋ねたよ。


「ひょっとすると、『もやうお』が泳ぐかもしれないからね。用心だ」


 もやうおは、このように朝からずっともやや霧がかかる日に、まれに現れるとのこと。

 人が空気の中、魚が水の中を生きるように、もやうおはこの身を寄せ合った水滴の中に息づく存在。

 最後に観測されたのは30年ほど前のことで、その日は学校の高さもすっぽり隠すくらいの高さにもやが張っていた。

 その湿り気に満ちた空中を、一匹の魚影がおどったのだそうだ。

 影はあれども、姿は見えず。どこからか、このような形を映す光が差し込んでいる様子もなく。ひとりでに現れた鯉ほどの大きさと形を持つ影は、そのとき集っていた人々の胸あたりをかすめるように通り過ぎていったんだ。

 ほどなく、彼らの服の胸あたりは大きく切り裂かれ、その下の皮膚も刃物で斬りつけられたような傷ができた……という奇妙なできごととして、当時の人は記憶しているらしい。


 あのときとはもやの様子も違い、足元に溜まるのみ。それでも用心として、早めに屋内へ入るようにとの注意だった。

 しかし、裏を返せば30年の間は何もなかったともいえる。先生自身も小さいころに霧が出たことが何度かあり、そのときは問題になることもなかったはずだ。

 今回だってそうなるんじゃないか。

 どこか対岸の火事のような認識で、下校していたのは否定しない。



 そのもやうおというやつに出あえたらいいなと、先生はだらだら下校をしていた。

 話に聞く怪しい存在なら、親とかが迎えに来たりしてもおかしくなかったが、そのような家庭はごく少数。

 親世代でも、いまいち危機感がはぐくまれない程度の存在でしかない、という裏付けがますます先生をつけあがらせていた。

 だが、そのなめきりがまずいことと、ほどなく知ることになる。


 建設現場近くの仮設トイレの前を通った時、先生の頭上から鳴き声を浴びせてきたのは、真っ白い猫だった。

 首輪をつけていない。野良猫かな、と先生は軽く顔を合わせただけで、すぐに目線をそらした。猫と目を合わせ続けていると、警戒されるという話を聞いていたからだ。

 ぷいっと前を向き、一台の自転車とすれ違ってなお、とろとろと歩いていた先生は、やがて背後から聞こえる、ひときわ大きい猫の悲鳴に振り返った。


 先ほどの猫だ。

 仮設トイレの屋根から歩道に飛び降りたのだろう。先生の立つところと地続きの歩道で倒れこんでいる。

 原因はひと目で知れた。右前足の先が本来あるべきところから、数センチ離れて転がり、右後ろ足もまた深々と切り傷を負っている。


 続くのは空気のはじける音と、「うお?」というとまどいの声。

 先にすれ違った自転車の人もまた、走るのをやめて足をついてしまっていた。自転車の前後輪が、肉眼でも分かるほどゴムの一部が破れて、地面にべったり張り付いてしまっていたんだ。パンクだ。

 その自転車の後輪より、いくらか先生より。

 いまなお濃くもやの漂う地表すれすれに浮かぶ、軽く胴体をくゆらす魚の影。

 たまたま、もやが晴れた部分のアスファルトがむき出しになった線はない。なにせ影はほどなく、尾びれを左右に振りながら猛然とこちらへ突き進んできたのだから。

 もやが左右へ開けた様子など、ちっともない。ただ表面をなぞる形で、その「もやうお」が迫ってくる。

 

 猫たちの惨状から、自分の甘い認識を悟ったときには、もう遅い。

 先生が逃げようときびすを返したときには、もう両足の間をもやうおが通り抜け、流れに乗った魚のごとく歩道をぐんぐん先へ進んでいってしまったよ。

 急に肌を刺す冷え込みに、視線を落とす。

 先生の履いていたゴム長靴は、もやうおが通った内側の部分に真一文字に立ち割られていた。

 それはさらに内側の靴下、先生の両くるぶしの上の皮にまで及び、さしたる痛みもないままどんどん血をにじませてきたんだ。

 ろくな止血方法も知らず、手にしたハンカチやティッシュを間に合わせであてがいつつ、家へ帰り着いたときには、もういずれも真っ赤っかになっていたんだよ。

 

 幸い、もやうおによって猫よりひどいけがを負ったという人は聞かないうちに、もやは晴れたよ。

 それ以来、今までもやうおは観測されていないが、先生は霧やもやが出ているときは、外へ出る気にはなかなかなれないんだ。


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