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鉄壁はにゃんこと出会う

前話のレティシア(鉄壁メイド)目線です。


 王城の中庭にきゃあきゃあと高い声が響く。


 お昼休憩で食堂に向かう途中だった足を止める。喧騒の主の姿は見当たらない。広い中庭だ、反響して声が広く響く。


(……追いかけて注意する必要まではないか)


 王城メイドであるレティシアは、そう判断して歩き出す。


 ご令嬢方の礼儀作法の授業が午前中にあったので、声の主はその参加者だろう。

 王城のサロンを使った様々な催しの中にある、先代侯爵夫人が教師を務める礼儀作法の授業。受講するのは伯爵以下のご令嬢方。侯爵位以上なら各家で学ぶ方が効率が良いから、わざわざお越しにならない。


 そのせいか、貴族との顔合わせが難しい身分のご令嬢方は、めぼしい騎士様や若手の文官方とのロマンスを求めるのに熱心でいらっしゃる。

 将来がかかっているのだからお気持ちはわかるけれど、王城で分別なく騒ぐのは困りもの。


 王城メイドである以上、放置することはできないのと同じように、強く言うこともできないのだ。

 今も目の届く場所にいたら注意しなくてはならないところだった。


(……本当に面倒だわ)


「はー。今日も御令嬢方は賑やかでしたねぇ」


 後ろを歩いていた後輩メイドが呆れを隠さずに言う。オブラートに包んだその言葉の真意は、レティシアが内心で呟いたことと同じだろう。


「あれで、礼儀教育のお茶会の参加者なのよね?」

「勉強に来たというより、結婚相手を捕まえに来たみたいですよね〜」

「二人とも、口を閉じなさい」


 もう一人の後輩と共に、御令嬢方を馬鹿にするような発言をするのを咎め、誰かに聞かれていたら罰せられるのはこちらなのだと指摘して黙らせた。

 声と顔に出さなければどう思うのも自由だ、という持論のお陰で得意になった無表情のままで。


 王城で働くメイドは身分や階級によって、その仕事場に明確な線引きをされている。

 こうして外廷で下働きをするのは平民やせいぜい子爵や男爵の家の者たちだ。それは万が一にも王族の目に留まることを避けるため。

 逆に、目に留まり愛妾以上に取り立てられても構わない身分の家の子たちは、内廷や王宮で働いている。


 対して、礼儀教育のご令嬢たちがさほど身分が高くなくとも、彼女たちは教師たる侯爵夫人の庇護下にある。つまり彼女たちへの侮蔑は侯爵夫人への侮蔑と同じ。


(沈黙は金。迂闊な発言を聞き咎められると損をするのはこちらだからね)


 念のためと辺りの様子をうかがうと、なにやらぷふっと空気の抜けるような音がして、思わずそちらを見やった。思わず目を瞠る。


 天使がいた。


 茶色に灰の縞模様タビーの艶やかな毛並み。こちらを窺うアーモンド型の大きな瞳は澄んだ水色に金の虹彩。陽の下で瞳孔が縦に伸びているため、その美しさが際立っている。ぴんと立った耳がぴくぴくしている。

 四つ足を畳んでお行儀よく座る姿も美しく、警戒するように丸められた尻尾の先はきゅっと曲がったかぎ尻尾。


(だけどそこがまたキュート。めちゃくちゃ美猫だわ!)


 レティシアの体温が一気に上昇する。

 なにを隠そう、彼女は生来から純然たる猫派。

 そりゃあもう興奮するってものだ。

 無論、その表情はいつもながらの無であるが。


(どなたか貴い方の飼い猫様かしら。いやでも首輪や徴がついていないから違うわね)


 じっと見つめていると、突然天使がぽふんと体を横に倒して横座りの姿勢になった。

 更に投げ出された前足の裏の黒い肉球までが惜しむことなく曝け出される。右前足の肉球だけピンク色なところまで。


(ああ!なんて素晴らしい日なの!……こうしてはいられないわ、急いで貢物を用意しなくちゃ!)


「早く行かないと食堂が混むわね。急ぎましょう」

「はい」


 何食わぬ顔で後輩二人を促し、足を速めて王城職員用の食堂へ向かう。そこで二人と別れ、向かうは厨房の裏口。


「忙しい時にごめんなさい、シェフ!」

「え、うわっ鉄壁……じゃなくて、メイド様!?なにかありましたか!?」


(鉄壁……まぁ、そう言われているのは知っていたけど。うっかりとは言え、面と向かって言われたのは初めてだわ)


 得意の無表情で、男性からのお誘いやメイド仲間からの異性関連のお誘いを片っ端から断り続けていたら、いつの間にかそんな異名がついていた。


(いけない、そんなことより)


「なにか、猫が食べられるものをいただけないかしら?」

「猫……?ああ、それなら」


 出汁を取った後の煮干しをぱっと差し出してきた料理人にお礼を告げ、ハンカチに包んだそれを手に急ぎ足で中庭に戻る。


(まだいるかしら?あんなに可愛らしい姿を見せてくれたのだから、なにか差し上げなきゃ気が済まないわ!)


 心の中では焦りに焦って先程の場所に戻ると、天使はくるんと猫座りの姿勢に戻って目を閉じているようだ。


(やだ、糸目尊い)

 

 眠りを妨げるのも申し訳ないので、離れた場所から様子を窺う。尻尾がゆらゆらしているから起きてはいるみたい。


(はぁ。この距離でももう可愛い)


 見惚れていると、突然ぱっと顔を上げた猫と目が合う。猫特有の無表情のままビクッと驚き、こちらを見たままそろそろと後ろ足を伸ばしていく。


(あ、逃げちゃう?行かないで!)


 視線を合わせて心の中で必死に引き止める。

 これ以上近づくと逃げてしまいそうでその場に立ち止まったまま、そうっとハンカチの中の煮干しを確かめた。


 イカ耳で尻尾を膨らませた猫に向け、煮干しを投げる。狙い通り鼻先に落ちたが、猫がビクッとして少し飛び退いてしまった。


(ああ、驚かせてごめんなさい!)


 猫は、それが煮干しだと気づいてすんすんと匂いを嗅ぎだす。


(はぁ、可愛い。撫でたい。抱っこしたい)


 手が勝手にうずうずしてくるのをなんとか抑えていると、匂いを嗅ぐのをやめた猫がこちらを向いた。


(なんだか、ドヤ顔をされているような気がするわ)


 そんな可愛らしい猫は、ぷいっと煮干しから顔を背ける。


(お気に召さなかったみたい。王城で暮らしている猫ちゃんだものね。普段からもっといいものを食べてるのでしょうし)


 捧げ物の不発にがっかりしつつも、レティシアはほんの少し首を傾げて次の手を考える。


(うーん、食堂のランチじゃ味が濃いわよね。人間用の味付けがされていないものは、パンくらいじゃないかしら。実家の近所に住んでいる野良猫ならなんでも食べるのだけど)


 家族にバレると怒られるため、わざわざ目立たない服に着替えて野良猫を愛でるのがレティシアの趣味である。


(うん、考えていても仕方ないわ。とりあえずもらって来ましょう)


 お昼休憩の時間は限られている。

 再び大急ぎで食堂に行き、パンをもらって中庭に戻る。

 だがそこに猫の姿はなく、さっき投げた煮干しだけがぽつんと残されていた。



 ふぅ、と小さな溜息を吐いてしゃがみ込み、煮干しを拾って再びハンカチに包む。

 立ち上がり、踵を返した背中は、鉄壁メイドの名に相応しい隙のなさ。


 だが僅かに辺りに視線を巡らせた瞳が、ほんの少し寂しげに曇っていたことに、レティシア自身も気づくことはなかった。


 





お読みいただきありがとうございます!

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