天使降臨?
レティシア視点です。
「おい、みんなで楽しむんじゃないのかよ!」
「!」
ゆっくり閉まる扉の向こうから聞こえた声に息を呑む。
「心折れるまで閉じ込めるんだよ。抵抗されなきゃ合意だしな」
はぁあ!?合意なわけあるか、クズ野郎!
怒りで体が震えたが、がちゃんと鍵の閉まる音に少し血の気が引く。暗所も閉所も苦手ではないけど、好き好んで閉じ込められたい人はいないと思う。
遠ざかっていく足音と話し声に息を吐いた。あの言葉の主は後で追い込むとして、今優先するべきは目先の安全。
扉の分厚さの割に外の声が聞こえるのは、通気口が多いからだろうか。格子のはまった小さな窓にちららと視線を走らせ、遠ざかって行く話し声に耳をそば立てながら、舞い上がった埃を吸い込まないように息を殺した。
「相手は鉄壁メイドだぞ?そう上手くいくか?」
「いくら鉄壁でもそうは保たねぇよ。なんせ、退勤後にいなくなったんだから、一人暮らしなら誰も気付かないだろうし。頼みの綱のアルフレドは明日の昼まで謹慎だからな」
アルフレド様。
なぜかその名を聞いた瞬間に、ぐわっと涙が込み上げてきた。いやいや、なんで泣きそうなの、私。いやまぁ普通に泣きそうなくらいのピンチではあるんだろうけど、そんなキャラじゃないでしょうに。
外からの声が聞こえるなら逆もまた然りで、泣いて助けが来てくれるなら好きなだけ泣けばいいけど。いや、こんな奴らのせいで泣き喚くとか悔しいからやっぱ泣くのダメ。
腹の立つことに、奴らの言うことは正解だ。
引っ越す前なら連絡なく帰って来ない私を姉が探してくれるだろうけど、一人暮らしの家では誰にも気付かれない。実際はアルフレド様とどうこうあるわけじゃないし、そもそも私のせいで謹慎中だし。これが因果応報というやつか。
探しに来てもらえる可能性があるとしたら、後輩メイドが上司に報告してくれていれば……というところなんだけど、生憎今日の遅番の責任者はまだ若いメイドのリーダー職で、騎士団や騎士団メイドに直接抗議するだけの力がない。騎士団内に立ち入るには時間がかかる。
個人的にはあまり大事にしたくないので騎士団に連絡はしないで欲しいけど、さすがにこの状況を放置するような後輩指導はしていない。
だから、大丈夫。あんな奴らの思い通りになんて絶対ならない。帰りが遅くなるだろうからお風呂は浸かれないかな。シャワー浴びて、ちゃんと眠って、普通に出勤する。
朝はまたアルフレド様に会いに……じゃなくて、食事を持って……うん、会いに行く。
待ってアルフレド様に出会ってからの今までが込み上げてくるのはまだ待って。走馬灯には早いと思う。
受け入れてくれるかを試すような戯れに、心臓がもたないと文句の一言くらいは言ってもいいだろうか。身勝手に甘噛みされても嫌じゃないなんて、そんな屈辱ったらないわ。躾がなってないどころじゃない、人をダメにする、なんて不埒な誘惑。
ぎゅっと握った指先に付けられた噛み跡は、もうすっかり薄くなっている。だめ、落ち着いて、なんか情緒が怪しい。
一旦、現実を見よう。
みっともないへの字口で嗚咽を堪え、深呼吸をしようとして、そうだ埃っぽいんだわと口を抑えた。ハンカチ越しに細く息を吐き、吸う。冷静になると同時に研ぎ澄まされていく感覚。よし落ち着いた。
手燭の小さな灯りに照らし出された倉庫の中は、それほど道具がしまわれているわけではなく、がらんとしている。
騎士の言っていた『訓練の道具』らしき木箱は手前の方に寄せられているが、果たして本当にそれが必要なものかは定かではない。
「……しばらくってどのくらいかしら」
心が折れるほどの時間だというのなら、少なくとも十日は放置しなくてはと眉を顰めるが、アルフレドの謹慎が明日までなことを把握した上での行動なら、それまでに済ませるつもりだろう。
それに四人全員が騎士服でいたのだから、彼らはみな勤務中だ。ほんと仕事しろ。この時間に勤務中なのだから、早ければ退勤は二時間ほど。
……助けを待つのは危険だな。
とはいえ、脱出するにも通気口は小さいし、格子の嵌まった明り採りの窓は天井ぎりぎりでとても届かない高さ。道具の詰まった木箱を積み上げても手も届かないだろうし、そもそも一人では重い木箱を持ち上げることすらできないわ。
嫌がらせなのか怠慢なのか、手燭の油はギリギリしか入っていなかったので、いざという時のために辺りを観察し終わったところで明かりを消す。
瞬きを繰り返し、暗闇に目を慣らす。田舎育ちなので暗い場所は苦手じゃないのが幸いだわ。普通の令嬢なら確かに心が折れるだろう。
「自力での脱出は無理だわ……」
眉を下げて呟き天井を仰ぐと、格子の向こうにすっかり薄闇に染まった空が見えた。
頭から追いやっていた人の姿が、否が応にも脳裏に浮かぶ。なんせ、昨日の今日なのがまずい。守られる頼もしさも抱きしめられた温もりも、頭の中から蕩けるような熱も知らない二日前なら、こんなに弱気になることなんてなかったはずなのに。
目を閉じてすぅと息を吸い込み、吐く。吐息が震えたのには気付かないフリをして目を開ける。
耐えろ。私は鉄壁だ。昨日だって誰かに助けてもらう必要なんてなかった。なのに、勝手に全部包むみたいに抱きしめるような男に、あっさり陥落するわけにはいかない。
この場をなんとか切り抜けて、明日何食わぬ顔で会いに行くの。だから、大丈夫ーー
「…………アルフレド、さま」
自分を覆っている鉄壁が軋むのを感じ、慌てて思考を放棄した。
「にゃあん」
「!?」
降り注いできた可愛らしい鳴き声に、息を呑む。
今の声は、まさか。そんなはず。そう思いながらも、凭れていた壁から急いで離れ、天井に近い場所を見上げる。
明り採りの窓の向こう、月明かりを背に立つしなやかな姿。逆光のため影になっているが、ゆったりと揺れる鉤尻尾を見ればわかる。紛れもない、レティシアの天使。
「レート!」
「なぅん」
緊張感を霧散させるレティシアの歓喜の叫びに甘えた声を返し、逆光で黒猫のように見える(一匹で二度かわいいわ!さすが天使!)レートは窓にはまった格子の隙間に頭をぐりぐりと捩じ込み、すぽんと通すや否や、ぎくりと身を強ばらせた。
慌てた様子でたしたしともがき、腰まで抜けたところで動きを止める。飛び降りるには足場が足りないのに気付いたのだろうか。なにそれかわいい。
「おいで!」
両手を伸ばして呼びかけると、寸の間をおき、暗闇の中にきらりと光る瞳が胸の中に降ってきた。
「ぐふっ」
信頼を勝ち取ったという喜びと、なかなかの物理的衝撃と共に、ふかふかの体を胸で受け止める。肺の空気が全部出るのも構わず抱きしめると、爪も出さずに収まったレートがもごもごかわいらしいマズルを動かして私の匂いを嗅ぎ出した。え、ちょっ、もしかして臭い?
「あの、レート?それは、仕事上がりだからであって」
「うみゃっ!」
「いや、待って、そんな」
ふんふんと鼻息荒く首元や胸元の匂いを嗅がれ、羞恥に悶える私の腕から、身を捻って降りようとするレートに思わず涙目になる。そんなに臭いの!?
次いで、服の裾を嗅ぎ回っているレートに為す術もなく立ち尽くしていると、扉の向こうに近付いてくる気配を感じた。
「ーーにゃあ」
「…………大丈夫、です」
薄闇に光る目が気遣うようにこちらを振り返るのに、口端をなんとか引き上げた下手くそな笑みで答え、足元の温もりを抱き上げる。
「レートはこちらに」
「にゃ…………みっ!?」
「静かに……いい子ね」
レートを隠し、息を潜めてその時を待った。