にゃんこは鉄壁と出会う
猫の日に思いつき、案の定間に合わなかった話です
よろしくお願いします!
「アルフレドー!どこにいるの!?」
王城の中庭に女性の喧しい声が響く。
「ちょっと!アルフレドとランチするのはわたくしよ!」
「まぁ!アンタなんか相手にされるわけないじゃない!」
「なんですってぇ!!」
華やかに着飾った令嬢たちが、互いを牽制するやりとりを慎むことなく繰り広げる様を見れば、独身騎士たちの貴族令嬢は抱く夢は容易く砕け散ることだろう。
「あっちかしら?もう、ついてこないでよ!」
「抜け駆けは許さないわ!」
ぎゃんぎゃんとしたやりとりが遠ざかってしばらくして、植え込みの一角ががさりと揺れびょこんと小さな顔が覗く。探るように耳を立て、そろりと辺りと見回し、毛並みをぴりぴりと緊張させながら、ゆっくりとそこから現れたのは、しなやかな体の雉虎の猫。
たしん、と土を肉球で踏みしめ、イライラと長い尻尾を揺らしながら座り、気分を落ち着けるためにざりざりと体を舐め始める。
そしてハッとしたように目を見開いた。
(っと、いけね。ついうっかり)
慌てて離した口からちょろりと舌先を出したまま、きゅんっと細くなる瞳孔で遠くを見つめる。
(この姿で逃げまくってるから、仕草がマジで猫になってきちまったじゃねーか。王宮騎士アルフレドの名が泣くぜ)
そう、この猫が件のアルフレド。
だがもちろん令嬢たちが探していたのは、猫ではなくれっきとした人間だ。それも類稀な美男で、出自は平民ながら将来有望な王宮騎士のアルフレド。
(まさか、こんな形で獣化が役に立つとはなぁ)
はぁ、と姿にそぐわぬ哀愁の溜息を吐きながらひとりごちると、馴染んだ仕草で体を伸ばす。
公表はしていないが、アルフレドは獣化できるほどに濃く獣人の血を引いている。
その類稀な身体能力のお陰もあって活躍を重ね、入隊10年目の25歳にして、間もなく騎士男爵を叙勲する予定だ。
だがそのせいで婚活中の貴族令嬢達のターゲットになってしまったのは、正に青天の霹靂。
なんせ今はまだ平民なので、今日のように昼休憩にランチを共にと強要されたり、勤務中に囲まれたりと迷惑極まりない行動でも貴族令嬢達を無碍にできない。淑女に対して常に紳士的であれという騎士の職分も、このような時はただの枷になる。
そのため、なんの縛りもない猫の姿をとって姿をくらませるのが、すっかり日課となっていた。
(ーーったく、散々男の尻追っかけまわしやがって、飯も食えねぇじゃねぇか!どこが淑女だよ品のない!)
溜まりに溜まった不満は、言葉を話すには不自由な口端からうにゃうにゃと不明瞭な唸り声になって零れるのみ。だが人型に戻ればこんな文句は自室でも言えないのでこれが精一杯。
ぶるっと体を震わせ、気を取り直したように歩き出す。
ぽてんと手のひらの肉球が地面に触れて、低い場所にある鼻先に土の薫りがふわりと立ち上る。しなやかな肢体に滑らかな毛並み。先端が鉤になった長い尻尾がふらふらと揺れた。
(あーもーほんと、猫のが楽だわ)
日当たりのいい芝生の上に腹をつけて座り、両手を胸元に揃えてくわぁと欠伸。くるんと尻尾を体に沿わせて目を閉じる。
そう。今の俺はただの猫。マナーも人目も体裁も気にしなくていい気楽な猫ちゃん。
いいね、サイコー。
ごろごろと喉を鳴らしながら、安息を享受する。
「はー。今日も御令嬢方は賑やかでしたねぇ」
だがしかし、浅い眠りはしばらくしてから聞こえてきた声に妨げられた。目を閉じたまま耳をそばだて、気配を殺してながらそろりと薄目を開ける。
近くの通路を通りかかったのは、踵のない靴に踝まである濃紺のワンピースに真っ白のエプロン姿の三人。
なんだ、メイドか。
ほっと安堵の息を吐いたのは、この城のメイドであれば勤務中に可愛い猫を見つけたところで、『可愛い猫を可愛がる可愛い私を見てください!』と男の目を意識しながら寄ってくる、婚活令嬢のようなことはしないからだ。
「あれで、礼儀教育のお茶会の参加者なのよね?」
「勉強に来たというより、結婚相手を捕まえに来たみたいですよね〜」
まぁ、五月蝿いのには変わりがないか。
ぺたんと耳を寝かせ、髭をピクピクさせながら、やり過ごそうと目を閉じる。
「二人とも、口を閉じなさい」
だが、その鬱陶しい高い声は、落ち着いた静かな声によって一蹴された。
「どこに耳目があるかわかりませんよ」
同じ女性の声なのに、不思議と耳に馴染む。
なんとなく気を引かれて見ると、声の主は整っているが最低限の化粧をしただけの顔を、無表情で固めた背の高いメイドだ。
ああ、この女は知っている。
アルフレドの耳が、ひとりでにぴんと立つ。
有能なのが一目でわかる凛とした姿勢。しなやかな身のこなしと常に冷静沈着な佇まい。後の二人より先輩なのだろう、注意を促すその様子は慣れたもの。
真面目な勤務態度と、誰に対してもつれない言動のために、騎士たちの間でからかいまじりに呼ばれていた名は、確か
(鉄壁メイド!)
頭を捻って思い出した後、なんという二つ名だと思わずぶはっと吹き出した。
猫の口ではそれすらうまくいかず、もごもごした間抜けな音が漏れただけだったが、件の鉄壁メイドがバッと鋭い目を向けてくる。
(おっと、やべ。気付かれたか?)
視野が広いのか気配に敏いのか、こちらを睨むように見た鉄壁メイドとバチっと目が合う。そして慄く。
(おいおい、こんな可愛い生き物になんて殺人光線を浴びせてくんだよ!)
思わず文句を言いたくなるほど、彼女のつり上がり気味の大きなブルーグレーの目は眼光凄まじく、自分を警戒しているのが丸わかりだ。
(……追い出されはしねぇだろうけど、念のためちょっと媚びとくか)
まだしばらく自分の隠遁生活は続くだろうし、構われるのも困るが敵に回していいことはない。
行儀の良い姿勢を崩す。体の片側ををぱふっと地面につけて寝そべり、もふもふの白い胸毛を見せつける。更には可愛く目をきゅっと閉じ、両手をバンザイの形に上げるサービス。
(よし!今日も可愛い俺!)
これで人畜無害をアピールできただろう。
なんなら可愛い俺に存分に癒されるがいい。
自身のクオリティに満足しながら目を開けると、通路には誰もいなくなっていた。
(なんでだよ!?)
渾身の決めポーズをスルーされた。
かああっと羞恥で体が熱くなる。
(なんだよ!あの鉄壁女!つか女が三人もいて俺のこの可愛さに誰も反応しないってなんなの!?王宮メイドの鑑かよ!!)
よくわからない怒りに、尻尾でぱしぱしと地面を叩いて八つ当たり。
親戚や家族には大喝采を浴びる特技だと言うのに、ってよく考えたら25の男になにをさせているんだ、あいつらは。
(ダメだ、恥ずい)
素直に認めて撃沈する。
いつの間にか猫の姿で媚びることに羞恥心すら失っていたことに気づいたのだ。恥ずかしさ倍増に決まっている。懐柔失敗である。
(……いや、よく考えたら、追い出されたり敵視されないためのアレだったんだから、成功だよな?スルーして立ち去ったんだから)
しかし、すぐに切り替えられるのが良い騎士だ。
頭を抱えて反省した後は、忘れて前を向け!
そう顔を上げた瞬間、アルフレドは視界に入った女の影にぴきりと音を立てて固まった。
数メートル先からこちらを見下ろしているのは、さっき立ち去ったはずの鉄壁メイドだったのだから。
その眼光たるや、目の合ったものを全て凍てつかさんばかりの冷たさである。
(やべぇ……まじで捕まって追い出されるんじゃ、俺)
ぴりっと張り詰める空気に、背中がうぞうぞと波打つ。勝手に耳がぺたんと後ろに下がり、尻尾がぶわりと膨らむ。
(いや待て、なにビビってんの俺!?猫の姿でもメイドに負けるわけないだろ!?)
なぜかわからないが、離れた場所から無表情で見下ろしてくるたかがメイド一人に、本能が勝てないと告げてくるのだ。
すっかり怯えるアルフレドに向かい、鉄壁メイドがひゅ、と腕を振り上げた。
(殺られる……!?)
反射的にぎゅっと目を瞑ったアルフレドの鼻先に、ぽてんと何かが落ちた。
(なんだ、この匂い?)
ふんふんと鼻をうごめかせると、なんとなしに覚えのある匂い。確認するために目を開けると、そこにあったのは
(…………煮干し?)
それも出汁をとった後らしい、ふにゃりと煮崩れかけたやつ。
思わず鉄壁メイドの無表情な顔を見上げると、僅かに上下する肩と、うっすら赤く染まる頬。見事なコントロールで煮干しを投げたことなど嘘のように、行儀良く腹の前で組まれた手はよく見れば指先がわきわきと動いている。
(この女)
アルフレドの口角が思わずにやりと上がる。
猫なのでわかりにくいが。
(落ちたな)
スルーされたかと思ったが、呼吸が整っていない様子を見れば、立ち去った後に急いで煮干しを調達してきたことがわかる。
渾身の媚びポーズはしっかりヒットしていたらしい。うん、やはり俺の可愛さは無敵。
だがもちろんアルフレドはその辺の猫とは違うので、煮干し程度にがっつくような真似はしない。と言うか人間なので地面に落ちた物は食べない。
煮干しからぷいと顔を背けて意思表示をすると、鉄壁メイドの眉が僅かに下がる。
なぜか少しぎくりとして、さりげなく様子を伺う。
鉄壁は首を傾げ、俺を煮干しを交互に見た後、素早くくるりと踵を返して去って行った。
(は?)
あっという間の退場にポカンとする。
(それだけ?)
おひねりが煮干し一本?
いや、別にそういうおねだりのつもりではないから、何ももらえなくても良かったのだが。
(……まさか、腹ペコで餌をねだったと思われて、可哀想だって急いで煮干しを?)
鉄壁の優しさに感じ入るべきか、アピール失敗に更なる羞恥を覚えるべきか、人間の尊厳を惜しむべきかーーアルフレドの小さな頭に、複雑な感情が押し寄せる。
(…………戻るか)
昼の休憩も間もなく終わる。
令嬢たちも今日のところは諦めただろう。
猫の姿でいるから小さなことが気になるんだ。やはり長い獣化は危険だな。
なんだかやけに疲れて歩き出す姿がやけに萎びていることに、アルフレド自身も気づくことはなかった。