第八話 田中さん(フラグが立ちました)のお父さん(フラグが立ちました)
田中は母子家庭で育った。父の顔はほとんど覚えていない。
父は田中が中学生になる頃にはすでにいなかった。しかし何一つ不自由な思いをしたことはなかった。
田中は小学生までは杉並区のプールを備えた豪奢な一軒家で幼少期を過ごしていた。父とは少なくとも10年以上共に過ごしてきていたはずだが食事を共にするのはほとんど母と家政婦だったし、100点と書かれたテストの答案用紙を喜んでくれるのも、キャッチボールの相手をしてくれていたのも母だった。
田中にとって父とは、プールのある広い庭で開催されるパーティーで騒ぎ倒す酔っ払いの一人でしかなかった。
田中はある日、母に連れられ狭山の別荘に住まいを移したかと思えば、すぐに江東区の二部屋しかないみすぼらしい団地に移り住むことになった。
当初は旅行か何かだと思っていた田中だがすぐに、もう家政婦さんが来ることはなくプールもエレベーターもない、赤の他人の生活音が四方八方から聞こえてくるうるさい団地が自分の住まいなのだと理解した。父はいなくなっていたが、田中は何一つ不自由な思いをしたことはなかった。
田中の知るところではないが田中の父は国公立大学を卒業し、就職氷河期などと言われる時期とは正反対の時代に一流の証券会社に就職し、中堅の始まりと目される課長職についた頃に日本はバブル景気に近づいていた。
バブル景気。日本のあらゆるところに使い道のない大金を持つ人たちが多くあらわれた時代だ。
東京の多くの場所で畳一枚分の地価が一億円を超え、東京の地価だけでアメリカが買えると言われるほどだった。
東京の中心に皇居を持つ天皇家はその地価だけで世界で一番の金持ちになった。まだアップルもグーグルもフェイスブックもアマゾンもなかった時代だ。全世界の企業の時価総額ランキングの上位30社のうち日本企業が20以上を占め、欧米は日本に対し様々な規制をかけなければ自国の経済が守れないが、規制によって日本にそっぽを向かれることもまた避けたいと思わせるほどに世界は日本の資本を中心に回っていた時代。
日本人は有り余る金の使い道を探し求めた。結果、彼らが求めたものは価値のあるものではなくただ高価であるだけのものだった。いきなり大金を持たされた日本人は物の真の価値を見定める暇もなく、ただ高価であるものを欲した。企業自身すらどこから湧き出てきたのかもよくわからない溢れ出続ける莫大な金を持つにいたると文字通りのトリクルダウンを起こし庶民までもがバブルに覆われた。
その価値に見合うとはとても思えない若い女性達がヨーロッパの高級ブランドショップに大挙して押し寄せバーゲンセールのように高級ブランド品を買いあさり、その父親たちは東南アジアに押し寄せ自分の娘と変わらない年齢の女性を買い漁っていた。
日本のとある企業はアメリカの象徴ともいえるエンパイアステートビルに日の丸を掲げようとし、ソニーはハリウッドを支配しようとし、国内では新都庁やアクアラインの建造がスタートしていた。
一枚の花の絵を50億円で買う日本企業が現れると、世界的な名画もすぐさまただの投機対象となり一枚の絵画に100億をだす企業さえ現れ、果てにはそれを燃やしてみようと言い始める始末だった。
ただ只管に大金を使う方法を探し求めるだけの醜悪で下品極まりないイエローモンキーはすぐに世界中から嫌われる存在になった。しかし醜悪で下品極まりない日本人は門前払いをするには難しいほどの金を持っていた。極東に新たに生まれたイエローモンキーは金の猿、エコノミックアニマルと呼ばれるようになった。
エコノミックアニマルと呼ばれるに至った当時の日本の無残で無様な金の使い方と、世界からの妬みと嘲笑を今でも感じたければ吾妻橋から東に目を向ければいいだろう。
後の世でバブルと呼ばれるに至った時代。
良い物が売れるのではない、高いものが売れた時代。田中の父はそんな世情をいち早く敏感に察知し証券会社を辞めバブルに備えていたのだった。銀座のホステスだった田中の母はそこで田中の父に見初められその人と才覚に魅了されることになり人生を共にすることにした。すぐに田中が生まれた。
そしてバブルが訪れた。
目利きや商品知識など一切必要としなかった。とにかく高ければよかった。10万円では売れなかった絵が100万でなら売れた。何を言っているか分からないだろうがバブルとはそういう時代だったのだ。
田中の父は100万円程度の腕時計や貴金属といった安い商いから始めたが、それはすぐに1000万の高級外車になった。
何でも売れた。いや、売るのではない、買い手はどこにでもいるのだ。買い手を探す必要などなかった。なんでもいい、高い物を売ってくれる人を探すだけでよかった。海外では不人気で不良在庫でしかなかった高級車が、日本では珍しく高価と言うだけで飛ぶように売れた。高価であればいいのだ。珍しければ尚代良かった。その価値を理解する者も、理解しようとする者も日本には誰一人としていなかったからだ。日本にはどこからか沸いたのか誰も分からない大金があふれていたのだ。
田中の父は自身では何一つ持たず、商品を仕入れるわけでもなく一つの在庫すら持たないブローカーもどきだった。
スマートフォンどころかインターネットもなかった時代だったせいもあるだろう、その才覚と1キロもある携帯電話で売人と買人を引き合わせるだけで、その身に余るほどの富を得ることができた。
そういった世情に聡い成り上がり者たちは銀座に殺到し、その成金たちのおこぼれにあずかろうと銀座の街には人が集まった。昼夜違わぬ賑わいを見せる銀座の道路は常にタクシーで埋め尽くされていたほどだった。
成り上がり者の仲間入りを果たしていた田中の父は母とそこで出会った。
親の反対を押し切り何一つ支援を受けられぬまま東北から一人上京し、奨学金を受け一流女子大学に通いながら銀座でホステスをしていた母は、大学を卒業したあとも奨学金を早く返そうと昼はOLとして働き夜は銀座でホステスを続けていた。
田中の父は、母の東北人らしいその控えめな美貌に魅了され、母は父のその人となりに惹かれた。
母は金銭的に恵まれてはいなかったが成り上がりの父の金に魅かれたわけではない。金だけを魅力としたならばもっとふさわしい男はいたはずだ、いくらでも。
ともあれ二人は結婚し田中が生まれた。
田中の成長と共にバブルは本格化し日本円が世界を動かす原動力となる狂乱の時代が訪れた。
父はバブルの泡に包まれどこまでも上を目指そうとしたが母はそれに怯えた。
世情に聡くバブル景気に乗った父はそれを恐れる母をどこか見下し始めていたが正しいのは母だった。
母は未来を予想できるほど特別に秀でていたわけではない。庶民が慣れ親しむ商品は値段が変わらないどころか円高で安くなるほどなのに、庶民にはその価値が分からないような高級品の値段はネズミ算のように倍々に上がっていくという世情に乗る父を恐れたのだ。
今の世から見ればだれでもそんなネズミ講のような倍々ゲームはすぐに破綻するだろうとわかるだろう。しかし当時にそれを恐れ、当然訪れるであろう破綻を予想することが出来る人は少なかったのだ。いや皆無だったと言っていい。しかし田中の母はそれを感じ取ることが出来た数少ないまともな人間だったのだ。
母は父をいさめたが父はそれを聞き入れなかった。だが母はそれでも父を諫め続けた。だが父が聞き入れることはなかった。そこで母は絵画や車のような価値が不確かな物ではなく金のような世界的に不変な価値を持つ物に投資するように求めた。
金の価値はバブルだからと言って日本でだけ突出することもない、その価値は世界共通のものだ。ゆっくりと確実に上がっていく。
父は母の訴えを聞き入れ、最後だからとバブルの象徴である銀座の土地に全財産を投資することにした。
じわじわと価値が確実に上がっていく金への投資と、倍々で値が釣り上がっていく銀座の土地への投資ではそのリターンには天と地ほどの差がある。
父は本当に最後にするとは考えていなかっただろう。おそらく莫大な利益を得てそれを母に見せつけて黙らせようと思っていたのかもしれない。
父は全財産をバブルの象徴ともいえる銀座の土地にベットした。田中の父はバブルで成り上がったとはいえその財産は多く見積もっても3億と言ったところだっただろう。それだけでは当時、畳一枚分で1億とも言われた銀座の土地には到底手が出ない。そこで田中の父はバブルの恩恵を最も受けた人々に投資を呼びかけ数十億をかき集めた。バブルの恩恵を最も受けた人々、それはヤクザだ。
ヤクザはバブル経済に於いて純然たる必要悪だった。ヤクザはバブル経済の仲立ちをし、バブルの泡をより高く浮かび上がらせる人々だった。バブル経済が潤滑に進む様にそれを阻害するものを力で排除することを生業とし、それで得た大金を更にバブルに投資していった。ヤクザはバブルの恩恵に最も供した人々であった。
田中の父はこれを何度か繰り返せば巨万の富を得て危険なヤクザの力を借りずとも独力で動けるようになれると思っていたのかもしれない。しかしそれはチューリップバブルや暗黒の木曜日と同じ道の歩みにすぎない。仮に、このバブルというネズミ講が破綻しなかったとしても、ネズミ講と言うピラミッド構造が大きくなるだけで自身の立ち位置は変わらないのだから。
しかし最悪のタイミングでバブル経済は停止した。ネズミ講が終わりを告げた。
ある日を境に日本経済が急落したわけではない。バブルがはじけ飛んだわけでもない。
ただ、バブルの泡がそれ以上昇ることを止めただけの話だ。急上昇を続けていた日本経済が上昇を止め、ゆっくりと降下し始めたに過ぎない。だから庶民はその変化にすぐには実感がわかなかった。
だが田中の父にとっては一大事だった。
数十億を投資して土地をまとめさえすれば明日には数億円の利益を得られるはずだったのだ。
投資の大半を担ったヤクザがダンプを走らせ邪魔な家屋を均していきまとまった土地を確保した時に、バブル経済が停止してしまったのだ。
バブルの泡が上昇するのを止めたからと言って日本経済が急落したわけではない、日本はまだまだ裕福だった。百万の時計なら九十万で売れたかもしれない。一千万の車なら九百万で売れたかもしれない。だが数十億の土地を買う者はいなかった。
田中の父は破産した。それは法的な意味だけではなかった。
田中の父に投資したヤクザは「失敗しました」と伝えたらぶつけてくるであろう恨みつらみを聞き流していればそれで済むといった人々ではなかった。
彼らは法ではなくダンプと言う力で土地を均していったように田中の父にも同じように法ではなく力で対応した。
田中の父はすべてを失った。
文字通りの意味。すべてを、失った。