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第七十二話 一週間経ちました(世界一便利な言葉

「部長、電話がありましたよ」

警邏を終え浅草寺交番に戻った田中に西川が報告する。

「誰からだ」

「ええと・・」

西川はメモを見返しながら答える。

「中野の警察病院からですね」

「誰、から、だ」

「あっと、下村さんという・・・女医からですね」

まさか死んだんじゃないだろうな。

「で?なんだ」

「いえ、それだけですよ。電話があったことを伝えてくれればいいと。でもぉ、中野の警察病院ってあの五人殺しが収容・・」

「分かった、もういい。後は頼んだ」

田中はそう言ってPCに乗り込み再びハコを後にした。


イチイチそれで?それで?と聞かなければまともに報告も出来ないのか。

まったく最近の若い奴は言うべきことは言わずに、口にする必要のないことはベラベラとよく喋る。西川がなぜ山井さんの事を知っているんだ?死亡報道など意味がないじゃないか!

・・・。

最近の若い奴・・か。

私もそういう事を言う年寄りの仲間になったという事か。

田中は一人自嘲気味に笑ったが、自分の若い頃はもっとマシだったと自分を慰めた。

だがまあそう言う世の中なのだろう。

ミスをするくらいなら何もしない。指示をされるまで動きもしない。


田中はふと花藤を思い出した。

もうすぐ東京に来る。懐かしい。本当に久しぶりだ。

高卒の自衛官でありながらレンジャー課程を苦も無く修了し尉官にまで上り詰めた、文字通りの叩き上げのエリート自衛官。

アイツの下には指示をされるまで動かない奴などいないのだろう。

いや、違うか。花藤の部下は指示を出されるまで一歩も動かないだろう。しかし「進め」と言われれば「止まれ」と言われない限りどこまでも進むだろうな。

しかしハコの連中は「進め」と言っても動くのは一歩だけだ。イチイチ次は右足、その次は左足と言ってやらなければまともに歩くことすらできないのだ。


花藤廉也。

なぜアイツが降格に次ぐ降格で北海道の北の果てにいるのかが分からない。

連絡は稀にあったが花藤はそのたびに任地が変わっており全国を転々としていた。田中と同じ独り身で叩き上げ生え抜きの花藤ならば噂に聞く自衛隊の超極秘エリート部隊である特殊作戦群にうってつけだろうと思い、そこに入ったのかと勘ぐったことはあったがそれも違うようだ。

電話の向こうの花藤の声は閑職に次ぐ閑職でやつれ切っているようだった。

まあいい、それが本当なのかどうか会って見れば分かる。読み取ってやろう。

今の田中は久しぶりに花藤に会えることが数少ないというより唯一の楽しみの一つになっていた。


田中は気持ちを改めてスマホを取り出し谷巡査部長にメールを入れておいた。

「今から山井さんの様子を見に行く」

それだけだ。来れるなら来るだろうし、無理ならば仕方がない。


田中が中野の警察病院に到着すると一台の白バイが待機していた。

もちろん谷巡査部長だった。

谷は田中を認めると直ぐに走り寄ってきた。

「那奈ちゃんは!?」

「担当の女医から連絡があった。面会できるようだ」

田中は言葉少なくそれだけ告げると「じゃあ・・」とまだ不安げな谷の言葉を遮るように警察病院の入り口を顎で示した。


中野の警察病院に入った田中は受付に行き笑みを浮かべ、下村警部を呼んでもらうか山井那奈に面会の許可を貰うべきかを寸の間考えたが受け付けは田中を見るなり「しばしお待ちを・・・」と言い内線電話を手に取った。

「下村先生を・・・はい・・・・はい・・いらしてます・・・はい・・・」

受付の女性は受話器を置き田中に向かって告げた。

「下村先生がいらしますので少し御待ちを」

田中は素直にそれを聞き入れロビーのソファーに着いた。

それは意外と長かった。

だが田中は間違っても受付に「まだか?」などとは言わずにじっと待っていたが谷は落ち着かない様子だった。無理もないだろう。だが谷も田中を問い詰めるようなことはせずに立派に耐えていた。

20分ほどだろうか。

「部長!!」そう声をかけられ田中は顔を上げた。

そこには急いできてくれたのだろう、マスクを外す下村女医、元警部がいた。

下村女医は、こっちこっち!とばかりに田中を招き寄せる。その白衣には少なくない血痕が残っている。

下村は田中に付き添う谷を見ると当然の質問をした。

「こちらは?」

「谷巡査部長です。山井さんの親友です」

「そう・・」

交通機動隊の制服姿の谷を見れば田中の部下ではないことは一目瞭然だ。下村は不安そうな谷の顔を見つめ一つ頷き言った。

「心配させちゃったみたいね。でもこれは救急搬送があったからなの、彼女の物ではないわ、。行きましょう」


三人は病院の廊下を歩きつつ下村女医は簡単な説明を始めた。

「彼女はまだICUだけど・・・」

「え!?それって!」

驚き声を上げる谷を田中は無言で制した。

「明日には一般病棟に移れるわ。もう大丈夫だから」下村は谷の顔を見て言い、田中にも言った。

「部長さんは一日でも早い方が良いでしょう?」

「助かります、少し話せれば。無理はさせません」

下村は小さく頷き、三人はICUへと向かった。


田中はICUの前で今にも泣きそうなほど不安な顔をする谷に向かって言った。

「谷くん、綺麗になったな」

「はあ?」

谷は困惑し田中を見た。

「いや、本当に綺麗だ」

「何を・・?」

今日ここでなければ照れたりもしただろうが、谷の困惑した顔に少しばかり怒りが混じった。それを見た下村も田中の意図を察して言う。

「谷さん、女性白バイ警官なんて凛々しいわよ」

「なんですか、二人して!?」

田中は谷の肩に手を置いた。

「笑顔でいろ。山井さんの前で不安そうな顔をするな。いいな」

「え?」

「笑え。彼女は心配ない。ですよね?」田中はそう言って下村に顔を向けると下村はそれに答える。

「ええ、もう大丈夫よ」そう言って下村は谷に大きく頷いた。


三人がICUに入ると一人の看護師が山井那奈と何か話していた。

看護師が振り向くと下村はICUを出るように促し、看護師は山井那奈の額を撫でて出て行った。

「おばちゃん!!」

山井那奈の顔は目のすぐ下から上顎まで包帯で覆われてはいたが、元気そうな笑顔であることが分かる。

下村は苦笑いを浮かべ首を大きく傾げた。

「先生って呼んで欲しいなぁ」

「でもぉ・・あ!!お兄ちゃん!!やっと来てくれたんだ!」

田中の姿を見つけた山井那奈はグラスファイバーのギプスで固定された腕を振るが下村が慌ててそっとその腕に手を添えた。

「まだ動かしちゃ駄目よ、ね?」

それを見た谷は辛うじてひきつった硬い笑みを浮かべた。

「那奈・・・ちゃん?」

谷は声をかけたが山井那奈には届かない。

「お兄ちゃん!ずっと待っていたんだよー!みんながね、いい子にしていればお兄ちゃんが来てくれるって言うからね、なっちゃんいい子にしてたんだ!ねー?先生!なっちゃんいい子だったよね!?」

「そうよ、なっちゃんがいい子にしていたから田中のお兄ちゃんが来てくれたのよ。でも腕は動かしちゃ駄目って言ったじゃない」

「ごめんなさーい」山井那奈はそう言って唇を尖らせた。

「那奈ちゃん?」谷はもう一度言ったが、その声はやはり山井那奈には届かない。

「お兄ちゃんはなっちゃんとお話ししたいんでしょ?」

田中は満面の笑みで頷いてから谷に振り向いた。そこには今にも泣き出しそうな崩れた笑顔があった。

もうこれ以上は無理の様だ。

「谷くん、な?」

そう告げられると谷は一つ頷き踵を返した。

それに下村も続く。

「あまり、無理はさせないでね」

「もちろんです」田中はそっと答えた。

田中の言葉を聞き、下村は谷を連れだって出て行った。

ICUには田中と山井那奈だけが残された。


「お兄ちゃん!お話は!?なっちゃんねー・・・」

なっちゃんがそう言ってまた腕を上げようとすると田中は軽く咎めるように首を振った。

「先生の言い付けは守れるよね?」

「はーい!!」

なっちゃんは素直に腕を下げた。

田中はそれを見て殊更に笑顔を浮かべ大きく頷いた。

「いい子だね」

「うん!!みんな言ってくれるよ!なっちゃんはいい子だって!」

「それで、その・・なんでボクがお兄ちゃんなのかな?」

「だってお姉ちゃんがずっと言ってんだもん、お兄ちゃんがあのドアを開けてくれるんだって。だからね、えーと・・・」

「田中。お兄ちゃんの名前は田中」

「うん!田中のお兄ちゃん!ドアを開けてくれたんだもん、だからお兄ちゃん!」

「そう・・・」田中はさすがに逡巡し一瞬笑みを忘れかけたが聞いた。

「なっちゃんはあの時何をしていたのかな?お兄ちゃんがドアを開けた時」

「んー?」

なっちゃんは首をかしげたがそのまま話し始めた。

「泣いているお姉ちゃんも怒っているお姉ちゃんもね、悪い人が嫌いだからなっちゃんがやらなくちゃいけなかったの!」

お姉ちゃん?それは・・・。

いや、それは後でいい。今聞くべきことは別にある。

「なっちゃん、その悪い人達を懲らしめた人は誰なのかな?なっちゃんじゃないよね?」

「うーん・・・とねぇ」

「思い出せないかな?」田中はつい笑みを消し顔を寄せていたが、なっちゃんは素直に答えてくれた。

「ううん、最初に来たのはおっきいお兄ちゃん。とっても強かったんだよ!」

「ぼくじゃ・・・ないよね?」

「そうだよ!おっきいお兄ちゃんは那奈姉ちゃんのお兄ちゃんだもん!」

なっちゃんに、那奈姉ちゃん。どういう言う事だ?

「悪い人達を懲らしめたのは、そのおっきいお兄ちゃんかな?」

「うん!でもその後にね、ズル兄ちゃんが来たからね、なっちゃんがいっぱい刺してあげたんだよ!」

「刺す?なっちゃんは何を刺したのかな?」

「なっちゃんね、お姉ちゃんをイジめて泣かせていた悪い人をなっちゃんがね、ぐりーぐりーってしてあげたんだよ!でも悪い人達の中でも一番悪いのはなっちゃんも怖くって、だから那奈姉ちゃんがバンバンって。ズル兄ちゃんに怒られるくらいー!」

どういうことだ?一人ではなかったのか?

「なっちゃんのところに来たのは、おっきいお兄ちゃんと、その、ズル兄ちゃんだけなのかな?」

「わかんなーい!ハルクお兄ちゃんは怒りんぼの那奈姉ちゃんのお兄ちゃん!ズル兄ちゃんはみんな嫌いなの!でも他にもいたよ」

あの現場で残された足跡は殺された五人と山井那奈以外には一人だけだ。

聞きたいことは山ほどある。だが・・・。

「なっちゃん、今日はもうゆっくり休もうね」

「うーん、分かった!でもまた来てくれる!?」

「もちろん!またお話ししようね」

「うん!またね!!」

田中はそう言う山井那奈の頭をそっと撫でてやる。

「おつかれさま」

「なっちゃん疲れちゃった・・・」

もう一つ。

「その、泣いているお姉ちゃんって言うのは?」

「夏奈姉ちゃん・・・」

それだけ言うとなっちゃんは目を閉じ電源が切れたかのように静かに眠った。一瞬、死んだのかと思ったが柔らかな寝息を立て始めたので田中は安心してICUを出た。


すぐにメモ帳を取り出し書き連ねていく。

なっちゃん。那奈姉ちゃん。ハルクお兄ちゃんにズル兄ちゃん。

そして夏奈姉ちゃん。

夏奈?

そうだ、あの時彼女は言った。兄の名を。

「夏奈って言います。兄は、夏奈って言います」

彼女は確かにそう言った。

夏奈という兄はとうの昔に存在しないのではないか?

彼女は死んだ兄を諦めきれずにいつまでも想い続けていた?

それに男たちを殺したハルクお兄ちゃんにズル兄ちゃん。他にもいたという・・・。

「五番目のサリー」

田中はそうメモしたが、しかしすぐに幾重にも線を重ね消した。

解離性同一性障害。多重人格。

長谷部という男は鋭利な刃物で腹部のみを集中的に刺され、さらに内臓をかき回すように切られ失血死。

龍崎という男は顔面に多少の殴打の後は確認できたが腕、顔面、腹部・・・。ようは全身を数十か所刺され死亡。

ぐりーぐりーとされたのは長谷部で、バンバンされたのが龍崎という事か。

とすると、長谷部を殺害したのはなっちゃんで、龍崎は殺害したのは那奈姉ちゃん?

山井那奈は苛烈な状況でそれに耐えうる別人格を作った?

いや駄目だ。田中はメモ帳を閉じた。

これは憶測だ。まるで根拠のないものだ。推測は必要だが根拠の乏しい憶測は判断を歪める。

私は精神科医ではないし、今日ここにいたのは「なっちゃん」ただ一人だ。

だが五人殺し。

それは、後藤・・・なのか?

田中はメモ帳をポケットにしまいICUを離れ二人がいるであろう部屋へと向かった。


下村は病院職員の休憩室で泣く谷の肩に手を置き優しく慰めていた。

「彼女は大丈夫だから、ね?」

虚しい慰めだというのは理解している。

親友だというのにまるで見えていないようだった。

谷も山井那奈の異常な状態はすでに理解していた。


あの時、那奈ちゃんを見つけた時に、抱きかかえても彼女はワタシが見えていないかのように反応しなかった。ただ田中部長を見て「お兄ちゃん」と言い続けていた。

そりゃあ、まともな状態ではなのは一目で分かった。

顔は丸く腫れあがり鼻が潰れていたし、全身は傷だらけだった。

ワタシが、もう大丈夫だからと言い続けても那奈ちゃんはずっと田中部長を見て、そして呼んでいた。「お兄ちゃん」って。

ワタシは一時的に混乱しているんだと思っていた。那奈ちゃんが「お兄ちゃん」を探し続けているのは知っていたし、あんなひどい目に合っていたのだから。

でもそれは一時的な混乱だと思っていた。いや、思い込みたかった。

那奈ちゃんに会えば「リューさん!」って言ってくれると思っていた。

分かっている。彼女のせいじゃないってことくらい。殺された五人のせいだってことくらい。

でもやっぱり「リューさん!」て言って欲しかった。

それで安心したかった。


「彼女は大丈夫だから、ね?また来て話してあげて」

下村女医はそう言うが、本当に那奈ちゃんはまた「リューさん」って言ってくれるのだろうのか・・。

谷の涙は止まらなかったがそこに田中が来た。

「部長!!」

谷は泣き腫らした顔を上げたが田中はそれを手で制し下村女医に告げる。

「山井さんは寝たようですが、その・・・様子を見てあげてくれますか」

下村は大きく頷き休憩室を出て行き、そこには谷と田中が残された。

必死に涙を止めようとする谷の肩に田中は手を置き慰めるように言う。

「彼女は大丈夫だよ、行こう」

二人は病院を出た。


田中はくどいくらいに「山井さんは大丈夫だ」と言い谷も涙で濡れた頬を笑顔に変えヘルメットを被り走り去った。

事故るなよ・・・。と思いながら田中はそれを見送った。


田中は自分の変化に漸く気が付いた。


私は変わった。いや、理解した。

砂場、渡部警部補との奥多摩での件、そして高橋署長が自分を大きく変えた。

今までの田中は安定した収入を得られる職業としての警察官として、そつなくその職務をこなしてきた。

言い逃れのできない交通違反をした者を宥めすかしサインをさせ、暴れる酔虎からは距離を取り落ち付かせてきた。確かに、時には力で組み伏せたこともあるにはある。だがそれは、その者がそれ以上の罪を重ねないようにするためだった。あの米軍所属だった黒人もあれ以上暴れていたら怪我人が出て大きな問題となっていただろう。だから仕方なく締め落とした。


自分は変わった。

例えば、子供がナイフを手にしたとしよう。

「それは危ないから離しなさい」と諭しても子供は言う事を聞かない。

それでも子供がナイフを離すまで10回も20回も諭すべきだろうか?

以前の田中ならそうしただろうし、実際そうしてきた。

だが今の田中なら子供の頬を張りナイフを奪い取るだろう。

10回20回と言葉を重ねる前に子供はナイフを振るうかもしれないし、ナイフを収めてもその危うさを理解したとは限らない、またナイフを手にするかもしれない。

それならば思いきり張り倒した方が良いし、なによりその方が早い。子供もその痛みでナイフは危ないのだと理解するだろう。

あの割烹屋の前で外人のスマホを叩き壊し、その身体を払い倒していなかったら彼らは10分でも20分でも、自分たちの要求が通るまでいつまでもゴネ続けていただろう。そこでは世界一優しい日本の警察バッジなど意味がない。

だが田中が彼らのスマホを壊し、払い倒したからこそ彼らはそれ以上ゴネることも無く走って逃げて行ったのだ。

相手が理解するまで諭し続けるか、一発殴ってすぐに理解させるか。

どちらが良いのかは分からない。

少なくとも日本の警察官としてならば選ぶべきは前者であるし、以前の田中はそれを選んでいた。だが今の田中は場合によっては後者を選ぶようになったというだけだ。


時には10の言葉より、単純な暴力が最適解となることもあるはずだ。







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