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第七十話 五人殺し

高橋署長はたまたま田中巡査部長が通報を受け山井那奈を助けたとは思っていなかった。

彼を呼び出し話を聞きそれは確信へと変わっていた。

彼は調書にはないことを話した。

山井那奈は命を狙われていると。

それは調書に無かった。

なぜ隠した?

女性失踪事件への関与を疑われ、まるで容疑者の一人のような扱いを受けた意趣返しか?

違うだろう。彼自身もこの事件に何らかの疑念を持っていたのだ。

そして情報を隠すことでどこが、そして誰が反応を示すか探ろうとしたのではないか?

その一人が私だった。だから情報を小出しにし私の反応を探ったのだろう。

そう、彼はまだ何か隠している。

彼は通報者、五人殺しと何らかのつながりがあるのではないか?

そして五人殺しは、なぜ知っている?

山井那奈が命を狙われていることを。

いいだろう、動け。

せいぜい、かき回せ。

そして、暴き出せ。


田中は中野の警察病院を訪れていた。

ここは警察病院とは言っても公的な施設ではなく民間病院の一つだ。

元々は警察機関からの、あくまで私的な資金でという建前で警察組織関係者の福利厚生のために設立された病院ではあるが今では一般にも開放されている地域の民間病院の一つだ。

だが山井那奈のような特殊な患者を受け入れることが出来る都内唯一の病院でもある。


田中は受け付けで警察手帳を示し山井那奈の病室を聞いた。

受付の女性は「面会謝絶なので」と言ったが「見るだけでいい」と田中が言うと内線を手に取り一人の職員を呼び出し田中を案内させた。

田中を案内する職員は聞いてもいないのに勝手に山井那奈の状態を語り始めた。

どうやらすでに高橋署長の指示が出ているようだ。

「容態はかなりひどいんですけど、意識がある時はよく喋ります。ですが事情聴取はまだ・・・」

「様子を見るだけでいいんです。その、酷いというのは」

「それが、外傷も酷いんですけど、その・・・精神面が・・・事情聴取は無理ですからね!」

「見るだけで、病室には入りません」

田中の返答に案内の職員はホッとしたようだ。

二人はエレベーターに乗り込み山井那奈のいる集中治療室へと向かった。


田中が山井那奈のいる病室の前に立ちガラス越しに見ると彼女は包帯とガーゼで覆われ、様々なチューブが繋がれていた。

今この瞬間も医師が看護師を伴い何か処置をしているようだがそれが何なのかは田中には分からない。

分かるのは山井那奈がまだ生きているという事と、思っていた以上に彼女の状態は酷いようだという事だ。

田中がその様子を静かに見ていると山井那奈が目を開けた。そして微かに顔を起こすと田中を見た。

彼女は笑った。顔は包帯に包まれているにも関わらず田中を見て笑っていることが分かった。

そしていきなり上体を起こし田中に向かって手を振った。

点滴のチューブや検査機器のコードが抜け落ち傍らにいた医師たちが慌てて彼女を押させつけながら、何事かと後ろを振り返り田中を見止め何かを叫んだ。

田中には聞こえなかったが一人の壮年と言った感じの女医が部屋を飛び出してきて突き飛ばすように田中を押した。田中よりは年上だろう。その女医は怒鳴った。

「何しているの!!」

「なにが、です?」

「彼女は絶対安静ですよ!!」

「いや、まあ・・」

田中はそう言いながらも手を振ってきた山井那奈に会釈でもしようとガラス戸から覗き見ようとしたところを今度は本当に突き飛ばされた。

「あなた!彼女を殺すつもりなの!?」

殺す?それほどひどい容態には見えなかったが・・・。

「いやでも、彼女手を振ってましたよね」

「あんたねえ・・」

女医は唇を嚙み田中を見上げるが、首を振って不安な顔をする。

「なにか・・?」

女医は再び田中を見上げた。眉間にしわを寄せ睨みつけていた。

「いいわ、向こうで」

女医は病室のドアを開けいくつか指示を出すと田中に「来て」と言って歩き出した。


二人は職員の休憩室へと場所を移し、女医は自販機で缶コーヒーを買いテーブルにつく田中に「コーヒーでいいでしょ」そう言い返答も待たずにもう二本の缶コーヒーを買い求め田中の向かいに着いた。

「あんたは?制服が何しに来たの?」

女医はそう言って田中の前に缶コーヒーを置き、残った一本を開け啜るように一口飲んだ。

制服。その意図するところは「下っ端」だろう。

ただの女医ではないということか、それならば話は早い。

「少し様子を、と思いまして」

「ふーん制服が様子見ね」女医は鼻で笑ってポケットからタバコを取りだし火を点けた。

「吸いたきゃどうぞ、ここじゃあみんな吸うからさ」

「いえ、私は」田中は両手を拡げ自らの制服姿を見せつけた。

「ああ、そうね。これで良ければどうぞ」女医は自分のタバコを田中の前に差し出した。

ピンク色のピアニッシモペティルだった。

「いえ、大丈夫です」

田中は答える。

「あっそ」女医はタバコを一吸いした。

「で、なに?様子見?あそこはねICU。集中治療室って言うの。知らないようだから教えてあげる。あそこにいる患者は向こうに行くか、こっちに戻ってくるか。そういう場所なの。それで今はあの子がこっちに戻ってこれるようにみんなで頑張っているところ。分かった?」

「申し訳ありません」田中は素直に謝罪し深く頭を下げた。

「事情聴取は無理だと聞いていたのですが。その、会話は出来ると聞いたので」

「会話ができる?本当に?誰がそんなこと言ったの?」

田中はほんの数分前の記憶をたどる。

「あ、いやすいません。違いました。よく喋ると聞きました」

「面会謝絶だとは言われなかった?」

「・・・言われました。本当に申し訳ありません」

「よく謝るね、あんた」

女医はタバコを吸い続けた。田中に対しイラついているのは確かなようだがその紫煙を吹きかけてくるようなことは無かった。一吸いするたびに上を向き天井に吹き出していた。

「すいませんでした。彼女が手を振ったから意外と・・」

田中の言葉を女医はすぐさま遮る。

「意外となに?元気そうに見えた?そうね、手を振ってくれたもんね。嬉しかったの?」

「いや、その・・・挨拶でもと思いまして・・・」

女医はそれには答えなかった。タバコをもみ消しもう一本取り出し再び火を点けた。

そしてため息のように紫煙を大きく吐き両肘をテーブルにつき田中に顔を近づけてゆっくりと言った。

「あなたに振ったあの腕、折れてるのよ、尺骨も橈骨もね」

「ま、まさか」

「まさか、なによ。ギプスでもしていると思ったの?ICUで?それにあの腕は粉砕骨折だから必要なのはギプスじゃなくて手術なの」

「・・・それは」

「いい、喋らないで。あの子は今ギリギリのところにいるの、腕の粉砕骨折の治療を後回しにしなければならないほどにね。本当に酷い・・・」

女医は絞り出すように言い、思わず拳を握りしめるとタバコが折れた。重い息を吐きもう一本の煙草を取りだした。

今度は田中も「いただきます」と言いタバコを取り出した。メンソールなど吸いたくはなかったがこの目の前で苦悩する女医に少しでも気を使わせたくない思ったからだった。

女医が自分のタバコに火を点け、田中にもライターを差し出し火を点けてくれた。

二人で向き合い紫煙を燻らせる。

「あの子を・・・その、五人、死んでたんでしょ?」

「ええ、はい」

「ざまあみろ!!!」

女医は気分よさげに大きく紫煙を吐いた。

そしてまた息を吐き、そして小さく息を吐いた。

「ごめんなさいね」

「いえ・・・」

また二人の間に沈黙が横たわる。

「あの子ね、よく喋るの。勘違いしないでね、普通ならそうはならない。折れた腕を振ってたよね?あの子、痛みを感じていないみたい。それに・・・」

「それに・・?」

女医はまた深いため息をついて、一人納得したように頷いた。

「彼女ね、目を覚ますとお兄ちゃんはどこ?ってそればっかり。こっちが何を言ってもお兄ちゃんお兄ちゃんって。あなた、あの子の何?」

「通報を受け、彼女を見つけました」

「そう、兄というわけではないのよね?」

「もちろんです。しかし救助した時に言われました。お兄ちゃんって」

女医は思案気な様子でタバコをもみ消し田中を見た。

「ごめんなさいね、あなたのせいじゃないのにね」

「彼女は?」

「PTSDというか、幼児退行って感じなのかな。今のところはね。そこは私の専門じゃないし、まあ小学生みたいな感じ」

様子を見ることも難しそうだ。田中はタバコをもみ消し席を立った。

「お邪魔しました、申し訳ありませんでした」

そう深々と頭を下げ椅子を立ち、去ろうとする田中に女医は声をかけた。

「彼女、酷い肺炎で全身もだけど、熱が下がらない。まだ手術に耐えられない。また来て、時間があれば・・いや、お願い」女医はそう言って頭を下げた。田中は椅子に座り直しまた頭を下げた。

「彼女を、お願いします」

「任せて、あなた名前は?」

「田中です。隅田川署の田中と言います」

「私は下村。下村警部」

女医の予想だにしなかった言葉に田中は瞬時に椅子から立ちあがり右手を上げて敬礼しようとしたが、その手は止まった。

自衛隊病院ならいざ知らず、ここは警察病院だ。

自衛隊病院とは防衛省の管轄にあり、そこに勤務する医師、および看護師は全て自衛官、防衛医官である。つまり公務員だ。

だが警察病院はあくまで民間病院であり、ここで働く医師、看護師は公務員ではない。

田中は止まった手で髪を掻き「それはちょっと・・・」と誤魔化すように言い再び椅子に座った。

「なによ、嘘だって言うの?本当に警部よ。元警部、だけどね」

「あなたは警官から、医者に?」田中は信じがたいな・・と小さく首を振ってから、いただきますと頭を下げてピンクのボックスから煙草を一本取りだした。

下村はすかさずライターを差し出し田中のタバコに火を点けてやった。

「信じてないわね?私の父は警察官で母はここの医者だったのよ」

「なるほど・・」そうは言ってはみたが警察官から医者に?ただの女医ではないと察してはいたが。

「私はね、人を助ける母のような医者になりたかったし、警察官になって父のように人を助けたかった。だから医大に進んでから警察学校に入ったの。警察官として働きながら警察病院で仕事をしたかったのよ」

それは無理だろう、そんな話聞いたことが無い。田中は声にこそ出さなかったが顔には出ていたようだ。

「そんなことは私だって分かってたわよ。でもほら、私くらい優秀なら特別扱いしてもらえるかなって思ったのよ」下村女医は微笑んで胸を張って言った。

田中は深く頷き、続きを促すようにコーヒーを啜った。

「分かってるわよ、無理でした!で!私は、結婚を機に警察官から医者になったのよ。でも本当に警部だったわよ。そこからインターンとして警察病院に入って今でもここにいる」

楽し気に過去を語り終えた下村は現実を思い出し気を落とし静かに言葉を足した。

「絶対来て。次は一般病棟にね」下村女医は山井那奈を絶対に助けると言い。

「はい、分かりました、必ず」田中は、必ず山井那奈を必ず助けてくださいと答えた。

田中は立ち上がり下村元警部に敬礼し、部屋を出た。


手掛かりは得られなかった。

しかも彼女の容態は想像以上に酷いようだ。

しかし命を狙われているというのなら、集中治療室にいる間は安全だろう。

もちろん、一般病棟に移ってもここ警察病院で命を狙われることは無いと思うが。


田中は署に戻り捜査一課へと出向き山井那奈に関する調書を調べさせてくれるように申し出た。

ハコヅメ制服警官の申し出に一課がどう出るかと確かめておきたかったからだ。

「あ?なんだお前」

明らかに年下であろう刑事が田中を見上げ呆れ顔で口を開けた。

幸い渡部は出ているようだった。

「浅草寺交番の田中ですが」

高橋署長の神通力が効いているかと一応は言ってはみたもののこの若い刑事にはまるで効果が無い。

「だからなんだよ、制服に俺が・・」そう言いかけたところで別の刑事が割り込んできた。

「川田さん!署長から聞いてるでしょー?田中さん、すぐ用意しますね」

川田と呼ばれた刑事は突然何か重要な事を思い出したようで慌てて席を立ち所在無さげに部屋を出て行った。

どうやら高橋署長から通達は届いてはいるようだ。

「こちらですが。持ち出しはちょっと・・・」

書類を拡げながら田中は聞いてみたものの大して期待はしていない。

「あなたは・・・」

「井口警部補です。あなたは田中・・・さんですよね、署長から聞いています」

田中巡査部長とは言わずに、田中さんと口にしたところに一定の配慮が伺えたが、一瞬の間が余計だな、まだ若い。

「警部補はタバコは吸いますか?」

田中はそう言ってポケットからマルボロを取り出し机に置いた。

「いや、私は吸いませんけどここではちょっと・・・」

だろうな。

「この五人を殺害したと見られる人物は喫煙者でしょう。おそらくマルボロを吸っているんじゃないでしょうか」田中はそう教えてやろうとしたが時間の無駄だと思い言葉を変えた。

「何か進展は?」

「あーそれが」

田中は顔を上げて井口警部補の顔を見たが井口は口では返事をせずに書類を指さした。

田中が書類を改めて行くが変わったことは無いようだが?

「その、最後に」井口の返事を聞き書類を全て拡げた。

そこには別の殺人事件の書類が含まれていた。

なんだこれは?これが進展?

そこには強盗殺人事件の捜査書類があった。

女性が北浅草の花菱神社で何者かに襲われスマホを奪われたとあった。

背後から鋭利な刃物で数か所刺され更に頸部を斬り裂かれ死亡。

女性は自宅マンションから走って出て行く姿が監視カメラに写っており、エレベーターに乗り合わせた別の住民は、だいぶ慌てていたようだと証言。スマホ以外何も持っておらず財布なども自宅に置かれたままで、通り魔的犯行と思われる。とある。

「これは?」

田中の問いに井口は告げた。

「山井那奈の母親です」


田中は自宅へと戻ると山井那奈を救出した現場で手にしたminiDVテープをチェックしてみた。再生用のハンディカムはネットで購入しておいた。

映像は古く家族でのピクニックかキャンプの映像だった。古いというのは服装と髪型で見て取れた。

何もなければいいのだが。そう思いつつ早送りするとノイズと共にいきなり場面が変わった。

性行為中の男女が一瞬映りまたノイズが走った。すぐさま停止し巻き戻し再生する。

その男女は山井那奈と五人のうちの一人だろう、おそらく長谷部と言う小男だった。その映像は数秒でまたノイズが走る。

その後に映ったのはカメラを手にする長谷部のアップだったが、その後ろに映るのは幽鬼のように長谷部の背後に立つ山井那奈の姿があった。

その映像は一瞬だった。

その後はまた昔のキャンプ映像が流れ続けてから画面が真っ暗になり、最後の数秒にカメラに手を伸ばす田中が映りテープは再生を終えた。

田中はテープを巻き戻しもう一度再生する。


田中は何者かに自分が選ばれたという事は理解している。

あの通報の直前にスマホに届いた奇妙な通知。メールではなく不在着信でもなく、着信拒否している非通知でもない。そしてスマホには一切の痕跡が残っていない。

あれが幻覚か何かだったとしても、あの電話の相手は確かに言った。救急車を呼んであげてくれと頼む田中にあいつは確かに言った。「おまえがきてよべ」と。間違いなく言った。「ほかのものがきたら」と。

たまたま電話に出ただけの私に言う必要のない言葉だ。

「おまえ」とは、たまたま電話に出た私ではなく、この私なのだ。私を現場に呼び寄せる何らかの意図があったのだ。

なぜだ?誰だ?

田中には予想もつかない。

山井那奈を助けるために五人の男を殺し、それを自分に発見させる。

誰が?何のために?

分からない。


また田中がカメラに手を伸ばす映像が映りテープは再生を停止した。

田中は慌ててカメラを手に取った。少し巻き戻し再び再生する。

田中自身が映る寸前だ、ほんの一瞬だが何かが映った。

何度も巻き戻し再生を繰り返した。

ボリュームを最大にして手掛かりを求めた。カメラのレンズを何かが隠していたのだろう、画面は真っ暗だが何かガタガタと音がしていた。何かを探しているのか。そして一瞬だけ何かが映り、田中が映った。

一瞬だ、映っている何かを確認しようとギリギリのところで一時停止ボタンを押そうとするが上手くいかない。デジタルデータのようにコマ送りは出来なかったからだ。

諦めることなく何度も巻き戻し、一時停止を繰り返しついに目的の場所で止めることが出来た。

そこには一人の男が映っていた。

カーキ色のコートを着てフードを被り金色のブラスナックルをはめている男。

田中はビデオテープの再生時間をメモした。

一瞬だ。一瞬だけ映っていた。

机の上で探し物をしているうちにカメラが動き、男を映した。そこでブラスナックルが光を反射して一瞬だけ顔を映したのだろう。


この男は、まさか・・・。

後藤直樹!?









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